14.羽鳥ツバサは憂いを篩う
肩をぐるりと回しながら炎天下の道をゆく。いつ行っても病院は肩が凝る。
「やあ。お加減はいかがかな」
かけられた声の種類を脳内検索にかけながら、羽鳥ツバサは振り向いた。
「アンタか。元々、大した怪我じゃあないわ」
ライバル企業、プリズムヴィジョンの社長がバス停の影に隠れたベンチに座っていた。
その男、鷹詰貴朗は呆れた様子で言う。
「見てた限りだとかなりの大怪我に感じたけれども」
「言葉通り、手加減されてたんやろな。それなりに血は出たが、急所を打たれんかったし」
「普通、それをかすり傷とは言わないんだがね。……ところで少し時間をくれないか? 君と話をしたくて待っていたんだ」
「おかげさまで諸々、延期になってん。構わへんよ」
皮肉交じりの返答にタカローは頭を振った。
「確かに依頼をしたのは僕だけど……まあ、いい。近くに喫茶店があったから、そこに行こう。この暑さでいい加減に喉が渇いたよ」
乗るつもりだったバスが通り過ぎていく。ど田舎ではないのだ、一本や十本、逃したところで惜しくはない。
タカローの先導で数分歩いたところにこぢんまりとした、シックな風貌の喫茶店があった。レトロな雰囲気のドアをくぐると、しっかり効いたクーラーが夏の熱を涼めてくれる。
ほとんど客のいない喫茶店の奥まで進んで、見晴らしの悪いテーブル席に陣取った。
「さて、何でも好きな物を頼んでくれていい。当然、ここは僕の払いだ」
「そりゃ当たり前やろな。つっても腹減っとらんし、レイコだけでええよ」
テーブルに置いてあったメニューに目を通すことなく、ツバサは喫茶店ならあるだろうオーダーを適当に言った。アイスコーヒーのないカフェはこの世に存在しない。認知する限りでは。
タカローは眉をしかめて言った。
「配信で聞くと面白いんだけど、やっぱりリアルだとそうでもないね。そのエセ関西弁」
「せっかくのファンサービスになんちゅうことを。まあ、そういうならいつも通りに話そうか」
寄ってきた店員に注文を伝え、それが来るまで互いに無言となる。
とはいえ、お約束のようなもので雰囲気が悪くなったワケではない。何回かタカローと話したことはあったが、彼は知らない人間に話を途中で遮られるのが嫌いらしい。
窓際に置かれたガラスの花瓶を通って、夏の陽射しが店内を乱反射している。ここだけ水の中になったようだ。
自分には似合わない妄想。だが、ツバサを折られた今なら似合いかもしれない。
「悪かったね」
ツバサは目を瞬かせた。
珍しいことに、タカローから沈黙を破る一言を放ってきた。
いつもであれば注文が揃ったところで「それで?」とツバサが促し、ようやく話し始める優柔不断な男が。
「何のことを指して謝っているつもり?」
「せっかく君に無理を言ってやってもらったのに、成果が無くて悪かった」
「その言い方にむしろ腹が立つな。分かってはいたが、ライカが負けるなど欠片も考えていなかっただろ」
そう責めるように言うと、タカローは苦笑でごまかした。
「君なら、と可能性を見出したのは確かだよ」
「ライブの直前に仕合を組んでおいてよくそんなことがのたまえるな。ライカが怪我一つ負わない前提だろう」
「僕はどちらでも良かったからね。もし君がライカを捉えられる人なら、怪我をするだけの価値がある。そうでないなら予定は変わらず、最後に遠久野ライカを唯一無二たらしめる要素を積み増せる」
「チッ。想定内に収まってしまい、誠に申し訳ありませんでした、だ」
店員が注文を持って現れる。
氷の方が多そうなアイスコーヒーをツバサの前に置き、アイスティーとBLTサンドをタカローの方に設置して帰っていった。
早速薄いコーヒーで喉を潤して、氷を噛み砕く。
「しっかし、何なんだアレは」
「アレとは?」
「とぼける必要あるか? 遠久野ライカ、アレはおかしすぎるだろう」
「僕もそれを知りたくて、こうして君のような人に話を聞いているのさ」
タカローはBLTのLをつまみ出しながら答えた。レタスが嫌いなら頼むべきでないサンドの一つだろう。
「……実戦の勘は鈍っていたけれど、それでもまさか女に負けるとは夢にも思わなかった。まともな競技者相手なら男相手でも負けなしだったから」
「ライカのアレはガチの実戦技術だからね。戦国時代の組討がメインの流派だと聞いてる。素手で鎧貫きして心臓取る技がある時点でちょっとおかしいと感じるのだけど、羽鳥くん的にはどう思う?」
「現代に残ってていい流派じゃないだろ、それは。どこに需要があるんだ」
「海外の民間軍事会社とか、日本でも要人警護の人が学びに来るそうだ。ライカは彼らに教えられる立場だから、羽鳥くんが敗北しても仕方ない……というか勝っていたら、恐ろしくてデートのお誘いなんて出来なかったね」
「そんなバケモンにVtuberやらせておくなよ、もったいない。道理でまともに当てられもしないワケだ」
ツバサはつい数日前の仕合を思い出す。
確かに目の前にいるはずなのに、どれほど手足をブン回しても全く当たる気がしない恐怖。
伸ばした両手の内に掴めるはずの女が、無限よりも遠くにいる錯覚。
にも関わらず、相手からの攻撃は余すことなくこちらへと着弾するのだからたまらない。
「遠くて近い、近くて遠い。……よく言ったもんだ。顔が見えたところで捉えられるタマじゃないぞ」
タカローはアイスティーにガムシロップを溶かしながら、
「実際のところ、君はライカをどの程度まで捉えていたんだい?」
ツバサを呼び止めた本題を軽い口調で切り出した。
正真正銘、羽鳥ツバサが最後の弾だ。
タカローの築いたコネクションは、学術・IT系はもとより、芸能方面にも広がってきた。そして、会わせられる人材にはライカと対面させてきた。
著名な教授やカリスマと噂されるタレントと引き合わせたこともあったが、遠久野ライカの前には十把一絡げの格落ちでしかなく。ほとんどの場合、黙って連れて行くのだがライカに気付く人が、まあ、いない。
世が世なら羽鳥ツバサは国を背負う英傑になりうる資質がある、と感じた。それはライカに似た資質であり、ツバサであればと可能性を信じたのだ。
企業間のややこしいしがらみもあって中々実現しなかったが、ライカが引退する前にとようやく折り合いを付けられただけに、この結果は残念だったと言わざるを得ない。
しかしながらツバサは、ライカとは初見だ。
遠久野ライカを多少なりとも捉えられる人物には二パターンの分岐がある。
おおよその者が体験することになるのは、見えていたはずのライカを徐々に見失っていくパターン。時間をかけるほどにライカの存在を認識できなくなっていく。
そして、わずかな人だけが逆のパターンへと分岐する。ライカと接する内に、より鮮明に捉えられるようになる。草凪アリアなどがこちらへ分岐したが、今のところ素顔まで視認可能な成長を見せた人はいない。
残り少ない時間で羽鳥ツバサが遠久野ライカの素顔を捉えられる未来はまだ捨てられなかった。
その期待を知ってか知らずか、羽鳥ツバサは言った。
「ダメだな。ウチじゃアレは捕まえられんわ」
「……断言されると困るなあ」
「一年後、二年後なら分からんが、あんなバケモンを半月でなんとかしろ、ってのは無理があるだろ。現時点じゃどう足掻こうがあっちが格上だ。……命をかけた死合ならワンチャン、火事場のクソ力で」
「それはやめてくれ。仮にミラクルパワーを発現しても死んじゃ意味がないじゃないか」
潰えた希望にタカローは深く嘆息した。これで本当にタカローの打てる手は無い。
草凪アリアが引き込んだ世界各国の観測者も目立った成果は挙げられていない。むしろ東京の治安が悪くなっていて、その分で言えば企業的にマイナス評価だろうか。
「なあ」
ツバサは残り少ないアイスコーヒーを舐めながら訊いた。
「どうしてここまでするんだ?」
「僕がまだライカと一緒に仕事をしたいからさ」
「そういう、建前はいいんだよ」
タカローが散々口にしてきた台詞、その上辺にかけられた幕をツバサは鋭く切り裂いた。
「アンタも草凪アリアも、必死すぎるだろ。言っちゃ何だが、配信者の引退なんて珍しいことじゃない。遠久野ライカが前人未踏、空前の類まれな人物だとは分かっちゃいるが、それでも人間である以上いずれは引退をする。十年も活躍したんだから十分だろ? それなのに世界中を騒がせてまで変なクエストとやらを発令するし、女配信者同士で殴り合いをさせるなんて博打も打つ。どう考えてもアンタらやり過ぎなんだ」
氷が溶けて水のように薄くなったコーヒーを飲み干して。
「……ああ、いや。もう予想はついているんだが。行き先はウチにも覚えがある」
この世の何もかもに絶望してしまった時。
どこに向かえば救われるのかを羽鳥ツバサも考えたことはある。
鷹詰貴朗が
遠久野ライカと羽鳥ツバサは似た者同士だ。
他者を圧倒するスペックを保持していて……それがゆえに孤独だった。
ここではないどこかでなら。そう信じて訪れた電脳の世界。
相似のルートを歩んでいた二人が別々の分岐を進んだのは、やはり性能の差だったのだろう。
羽鳥ツバサの前には遠久野ライカがいた。
遠久野ライカの前を行く者は、いない。並び立つ者すらいない。
この魂がこの世にある限り、独りなのだと理解してしまえば。
「――ライカは魂を殺すつもりだ」
「そうなるよな……」
絶望にすら飽きた者が願うのは今生からの引退。
タカローはそれを良しとしない。
良しとはしないが……。
「参ったね。蜘蛛の糸を辿ってキミを訪ねたんだが、最後に残った糸すら燃え尽きてしまった」
「アンタは詩人か? 『Right』を創り上げた頭脳を発揮する場面だろ」
「発揮したいのは山々だけれど、人知の外側にいる相手には無力さを感じるばかりさ。それに……結局のところ、僕程度では時間が足りなかった」
そう零して、ガムシロップをひとつ、ふたつとアイスティーに空けていく。
透明な糖分が琥珀色の水に歪んだグラデーションを描いた。
甘味が広がる様子を見つめるタカローの眼に、感情が乗っていないことにツバサは気付いた。
「……次の手は?」
「もう、間に合わないよ」
そう言って表情こそ歪めてみせたが、タカローの心には波紋すら立っていないように見えてしまった。
ツバサはこの顔にも覚えがあることを思い出した。
タカローは、何もかもに疲れきってしまった人間の眼をしていた。
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