13.ラテは魚介豚骨で出来ている。

 いくら強力に事務所からプッシュされたとしても、推された当人に推されるだけの理由がなければいずれ人は離れていく。

 かつては広告戦略が生き死にを左右したが、現代ではそこまでの威力を発揮しない。

 情報源の多様化、摂取量の増加、何よりもクオリティの評価……。情報自体の情報まで重視される時代になり、より隅々まで求められるようになったのだ。


 一昔前のアイドルと言えば、ライブや音楽番組で歌って踊り笑顔を振りまければ、あとは広告戦略でどうにでもなった。アイドルという名の神格を創造できた。その一瞬だけ、アイドルたちは真なる偶像になった。

 天然のダイヤモンドを研磨、カットしてふさわしい台座を用意して。そうしてアイドルは唯一無二の輝きを放っていたのだ。


 翻って現代。

 アイドルは売れる消耗品に堕ちた。

 稀少性を失い、価値を分散し、そして偽物すら混じるようになった。

 目も眩むほどの輝きは数で補い、偽物も数の中に埋めて隠し、まとめ売りすることで価値を維持する。


 いや、全てが偽物だなどと言うつもりはない。

 いつだって本物は偽物とは違うことを証明してくれる。


 だけど本物が輝くための舞台が整っていない。ふさわしい台座も、カットも、研磨も、為されていない。

 手を掛けずに輝いて富をもたらすことが求められていて、偽物は消耗品として相応しい。需要にマッチしていた。だけれども、供給にはマッチしていないからすぐに消えていく。


 アイドルという概念の死。

 偶像の対象ではなく、そこらへんに落ちている職業の一つ。


 ――だから。

 アイドルシーンにとって遠久野ライカの登場は衝撃的であった。


 Vtuberについて、業界からは早々に注目されていたらしい。目を見張るような輝きを見せることはあったが、日の当たり具合で煌いただけの事実にぬか喜びもした。

 それでも一人で困難に立ち向かっていく姿は新たな時代を感じさせた。


 長く苦しい冬の終わり。


 黎明。


 その雷鳴は、夜明けを引き連れて現れたのだ。


 遠久野ライカは、神格に値する偶像足り得た。

 つまり、彼女は本物だった。


 近付けば三本の雷に撃たれると知っていても、恋焦がれ、手を伸ばさずにはいられない。崇め、奉ることで降臨を願う。


 彼女を追う理由はいくらでも後付け出来る。可愛い、綺麗だ、歌が上手い、ゲームが上手い、声がいい、話を聞きたくなる……きりがない。ただし、どれもが正解で、どれもが不正解だ。


 遠久野ライカを本物だと断定する理由はたった一つ。


 彼女を知覚した瞬間に。

 私は、わたしたちは、遠久野ライカという偶像のファンとなったアイドルに狂ったからだ。


 それから順当に段階を踏んで度合いを深めていくことを実体験してきた。

 ゆえに、私――瑪瑙ラテもまた、どうすれば人が狂うのかをよく知っている。






 プリズムの経営戦略上、当然の話ではあるが、特化型翻訳再現AI『Right』を用いて、海外の視聴者を引き込むのが重要となっている。

 何せ開発者が社長をしており、Utubeサーバーを優先的に利用する権利がある。日本語圏以外の地域に手を伸ばすのは至って当たり前の話だ。

 母国語を話しているだけで、勝手に多言語出力してくれるのだから。


 ただし――話しているのは厳密には瑪瑙ラテではない。


 これは日本語ユーザーでは無い者が抱えている苦悩の一つであった。

 『Right』のおかげで、言語の壁を感じることなく『瑪瑙ラテ』というコンテンツを楽しむことが出来る。だがしかし、日本語以外の言語は『Right』というフィルターを通した『瑪瑙ラテ』らしきものの言葉であって、『瑪瑙ラテ』本人の台詞ではない。

 これを解決するには、日本語を習得し目当てのヴォイスを直に摂取するのが、ファンの鑑と言えよう。


 もう一つの解決案は難易度が高い。

 よって、自分たちのためにそちらを選択された時、ファンは狂い高確率状態になる。


「Hello! Today is English day! but, I use...ええと、a little...and little. mistake is sorry!!! I get study...let's together!」


『thxxxxxxxxx!!!!!!!!』

『今日は英語か……』

『右通すとなんか変な感じでイヤなんよな』

『Study ENGLISH!!! JPN~~~~!!!!!』


 ユーザーからの通称『右』……『Right』を使用せずに他言語を話す。母国語である日本語こそ最も流暢に翻訳が出来ると、そちらを『Right』に任せてしまうという手段。

 瑪瑙ラテは日本語以外はまるでダメ、ということを公表した上で、『Right』に頼らずアクセスをもらっている国の言語を使って配信する日を設けたのだ。


 Utubeにおける『Right』の使用許可は厳しく、多少の実績では認められない。個人に特化したAIの育成という部分で数を絞る必要があるからだ。

 なので一般的な流れとして、まずは国内で人気を集め、『Right』の使用許可が降り次第、海外へのアプローチを始めていくというのがセオリーになっていた。


 わざわざ話せる言語を、別言語から翻訳して聞かせよう。そういう考えが今まで出てこなかった。

 だって話せる言葉を使えば、『Right』が翻訳してくれて意味やニュアンスは伝わる。わざわざ下手なイントネーションを晒してまで勉強する必要はないのでは?


 ――そんなはずがない。


 いくら似ていたとしても本物とレプリカは別の存在だ。

 魂の有無ぐらい、ファンならば見抜いてみせる。


 そうだ。魂が籠っていなければ、言葉は狂気を誘わない。輝きは宿らない。


 何の力もない今の『瑪瑙ラテ』に出来るコト。

 それはただ、魂を磨き、磨き、磨き。ひたすらに研磨するコト。

 あまねく求める者たちを、その輝きで魅了するコト。さらなる輝きを、煌きを、魂の頂を目指して。


 遠久野ライカが立つ、その頂まで。







 きっと本当は誰もが分かっている。ライカだけが理解していない。

 周囲の人々が遠久野ライカを見失うのは、存在感が無いとか、そういうネガティブな要素ではない。


 単純な話だ。

 彼女は眩しすぎた。


 神に愛された少女。

 才能を発露させながら成長し、人類でも最高峰の女性へと至り――そして誰もが彼女を直視出来なくなった。


 人が認識可能な範囲から逸脱してしまった。


 ライカと同じく輝きを備えた者でなければ、知らず知らずの内にその素顔から目を逸らしてしまう。


 彼女の優れた点は、様々な分野で発揮する才能があったこと。

 彼女の不幸は、総合的に他者と隔絶するほどの才能を育ててしまったこと。


 そして遠久野ライカは孤高……孤独となった。


 誰も辿り着けないはずの頂に、一人だけ辿り着いてしまった天稟。

 何者も同じ手段ではけして並び立てない。


 それこそ悪魔と契約するか、奇蹟が起こるか……。


 『瑪瑙ラテ』の手札には存在しないキーカード。

 未知の山札から、存在すら怪しいそれを引き当てる必要があった。








「……ごほん。ラテラテ、そろそろ休憩した方がいいにゃ~」

「はいっ」


 不意に飛んできた先輩の声で、瑪瑙ラテはぴしりと背を伸ばして止まった。条件反射のようになってしまったが、練習よりも先輩の言葉は重い。

 振り返ると、ジャージ姿の時雨タマが、流れる汗をプリズムロゴ入りフェイスタオルで拭っている。時雨タマの魂は、雑にタオルで払われた金髪と、それに隠れがちなキツい猫のような目が特徴的な人だ。だから猫っぽい時雨タマが生まれたのだとよく分かる。


 彼女は近くのダンボールから新しいフェイスタオルを取り出すと、ラテに手渡した。


「どうぞ。集中するのはいいことですけど、あんまり根を詰めると倒れますよ」

「ありがとうございます……えっと、そんなに集中できてました?」

「してましたよ。普通に声をかけても反応してもらえないくらい。配信中並みに声を張ってようやく振り向いてもらえました」

「それはすいません……」


 しゅんと項垂れて謝り、受け取ったタオルでもそもそと汗を拭く。

 気が付けば、周囲の床が飛び散った汗で水溜まりになっている。危ない。

 部屋の隅にあるロッカーからモップを持ってきて軽く掃除をする。


「よく動きますねえ。疲れてないんですか?」


 休憩に誘ったはずのラテが動き続ける姿に、むしろ感心した様子で時雨タマが尋ねる。


「止まってなんていられないですから。止まってる時間なんて……」

「ああ……なるほど、焦っているんですね」


 心の裏側をちろちろと炙り続ける感情の正体をあっさりと言い当てられて、ラテは鼻白んだ。


 タマはどこからか持ち込んで来たスポーツドリンクを差し出し、ラテの肩に手を置いて、その場に座るよう促す。

 見た目はヤンキーのようだが、実際は心優しい頼れる先輩の一人だ。気遣いの鬼でもある。

 ラテも仕方なく座ったが、モップの横に足を投げ出した途端、ドッと疲労が全身に雪崩れ込んで来る。思わず寝転んでしまいそうになった。


 隣り合って座ったタマが自分のスポドリを舐めながら言う。


「ライブまで……あと二週間ですか」

「はい……。ライカ先輩のタイムリミットまであと二週間しかない……」


 瑪瑙ラテを炙っている焦燥感は、あとわずかに迫った大規模ライブが原因ではなかった。大人数とはいえ、自分がメインの新曲もあるので緊張はあるけれども。


 遠久野ライカ引退の日まで、残り二週間しか残っていない。


 残念ながら、彼女に認められた人間はおらず、このまま行くと引退を止められそうにはない。それが大方の予想となりつつあった。

 SNSを見張っていても、ライカのヘアアクセサリー画像を載せて『ライカさんと会えた!』という投稿を見掛けこそしたが、彼ら彼女たちがライカを捉えたという話はついぞ聞こえてこない。


 二か月以上を過ぎて、ほとんどが諦め始めていた。

 『くろにくる』の羽鳥ツバサを以ってしても無理だった、その事実が諦める背中を押していく。


「……でも、ラテラテは諦めてにゃい」

「諦めるって言葉は、私の辞書から二本線で消してあります」


 ふんす、と鼻息荒く応えると、配信時の口調でタマはくすくすと笑った。


「すごいにゃ。草凪アリアも、羽鳥ツバサもダメだった。たぶん、この業界はおろか、世界を見回しても結構トップクラスの才能だと思うけど、みんな心を折られちゃったのに……。世界中が見せつけられたのに、瑪瑙ラテはまだ打つ手があると考えている」

「そんな大きなことは言えません。でも……まだ時間があるんですから、最後まであがきたいだけです」

「最後まであがけば……なんとかなる?」

「なんとかなる……と思い込んでやってます」


 たはは、とラテは苦笑を漏らした。

 草凪アリアや羽鳥ツバサと比較したら、瑪瑙ラテは紛うことなき格下だ。才能も、実績も。


 ただし現時点で一点だけ二人に無い要素を持っている。


「私に出来るのは諦めないことだけです。諦めなかったら奇跡が起きる、なんて都合のよい考えはないですけれど……もし、万が一、億、兆の可能性から奇跡が零れ落ちてきた時に、それを上手く受け止められなくて失敗するのは嫌ですから」

「チャンスの神様は前髪しかない。その前髪をむんずと掴んで力づくで振り向かせるには準備がいる……、ってかにゃ」

「前髪をブチブチ引き抜いてしまったとしても、最低でもそこまでやらないと諦めきれないです。ライカ先輩がいなかったら、今の私は無いでしょうし……。恩返し、っていうのも違うかもしれませんけど」


 そう言うラテの話は初出だ。配信でも裏のチャットでも、ライカのことは憧れだとしか漏らしていない。


「んん、実はライライ先輩と昔からの知り合い?」

「いえ、いえ。全然。ライカ先輩のお姿を拝見して、勝手に救われた人間の一人ってだけですよ。世界が灰色に見えていた時期があって、遠久野ライカを見ている時だけは鮮やかさを思い出せた……。別に珍しくもないでしょう、そんなことを言う人は」


 指先に力を込めてペットボトルのキャップをねじる。何度か指を滑らせた後にようやっと開封し、乾いた身体に水分とその他ミネラル等を補給する。

 ラテが飲み終わるのを待って、立て膝に顔を置いたタマが応えた。


「安心していいにゃ、瑪瑙ラテはプリズムでも珍しい部類だよ」

「ライカ先輩に憧れてプリズムを目指す人ほどたくさんいるじゃないですか」

「その中で高倍率のオーディションを抜けて、プリズムに入れたのは希少だにゃー。時雨タマが今オーディションを受けても通るとは思えないレベルの高さだって」

「そんなことは……」

「あるにゃよ。タマの時がレベル低かったとは言わにゃいけれど、それでもオーディションを受ける人数の桁が違ってる。ライライ先輩に憧れてプリズムを目指していた人の中でも、特別な人間なんだって自覚していいよ」


 そうなのだろうか。


 瑪瑙ラテは手のひらを閉じて開いて、自らの運命線を視線でなぞった。

 手相などちょろっとインターネットで調べたぐらいだが、それでもはっきり、くっきりと手に運命が刻まれているように思えた。


 自分にとって、人生のターニングポイント。


 黙り込んでしまったラテから目を剥がし、タマはぐーっと両手を伸ばしてから立ち上がった。


「……8期生のオーディションは、タマたちも観せてもらったにゃ。最終的には部長とか社長が決めるんにゃけど、今回選ばれた四人にはタマたちの意見も反映されてる」

「はい、相性とかを考えて意見を聞いた、という風に教えてもらいました」

「ふぅん。じゃあ、コレはオフレコなのかにゃ。四人の中で、ライライ先輩が名前を挙げたのはキミだけだってこと」

「えっ?」


 思わず腰を浮かしたラテに、タマはウインクで返す。


「ラテラテには、プリズムのお姫様をなんとかしてもらわにゃならんからね。少しは自信とやる気のバフかけられたかにゃ?」

「お姫様って……そんな質の人じゃないでしょう。でも、支援はありがたく頂戴します。元気出てきました!」

「うむ、よし!」


 タマは満足気に頷いて、練習室を去っていく。防音の重い扉を押し開き、


「あ、今日はちゃんと帰って寝てくださいね。ラテさんは電車でしょう? もう十一時ですし、終電なくなってしまいますよ」


 配信モードを終えたタマが外行きの丁寧な口調で忠告をくれた。

 もう十一時か、と現時刻をここで認識する。明日は昼から案件があり、夕方に配信の予定だ。まだ練習の時間がある。


「電車が無くなったらタクシーで帰るつもりなので大丈夫です」

「そういうことじゃないんですけど……、適切に休息を取らないと効率は落ちますよ」

「可能な限り、休息は取ってるので大丈夫です!」

「あまりだいじょばなさそうですけども。……体調には気を付けてくださいね」


 時雨タマはそう心配を残して、練習室を後にした。

 ラテは頭を下げてそれを見送り――タマの気配が消えてから不満を漏らす。


「タマ先輩も人のこと言えないと思うけどなあ」


 この時間まで個人練習をしているのは同じだろうし、自分のことでいっぱいいっぱいのラテと違って、後輩を気に掛ける負荷もある。

 根の詰め具合は大差ないのではないか、むしろ時雨タマの方が大変まである。

 それだけ次のライブに懸ける想いがあるのだろう。


 夢物語のような奇跡が起きなければ、二週間後、遠久野ライカは引退する。


「何もせずにはいられない。……みんな、そうだよね」


 練習に戻ろうと立ち上がった。

 ……ところで、おなかの虫がぐぅっと室内に響き渡った。


 空腹なんて全然感じていなかったが、休憩を挟んで身体がエネルギー不足を思い出してしまったらしい。

 よくよく考えたら朝にヨーグルトを食べてから、水とスポーツドリンクしか飲んでいない。

 気付いてしまうとお腹が空きすぎて、目が回るような気すらしてきた。練習を再開する前に何か食べた方が良さそうだ。


 確か、近くに二十四時間営業のラーメン屋があったはず。


 思い立ったら我慢出来なくなってきた。練習室を飛び出して、見送ったばかりの後ろ姿を探す。


「タマ先輩! ラーメン食べに行きましょ!」


 やっぱりと言うべきか、別の練習室に入ろうとしていた彼女は驚いたように振り向くと、それから笑って答えた。


「準備するから下で待ってて!」


 ――二人で食べた、脂がギトギトの魚介豚骨ラーメンは背徳的な味がした。

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