15.瑪瑙ラテ、痛恨のミス
「全治二か月、といったところでしょうか」
「そんな……ッ!」
おじいちゃん医者の宣告に、瑪瑙ラテは背筋が凍った。
包帯を巻かれた左足首の痛みが跳ね上がったような気がする。
ライブまで一週間しかないのに、怪我が治るまでに二か月!?
「転んだだけと本人からは伺っていないのですが、そんな大怪我なのですか?」
「転んだだけ?」
質問したマネージャーの代わりに、ジロリ、と睨まれて、ラテは身体を竦ませた。
マネージャーも訝しげにラテを見る。
「転んだのは本当のことなのですけれども?」
「栄養失調と過労で倒れた、というのを一言で表現するとそうかもしれませんが。その際に捻った足首自体は二週間もあれば問題ありませんが、それより問題は各部の疲労骨折です」
「……どういうことですか、瑪瑙さん。聞いている話と違うようですが」
「そ、そんなことはないような……?」
じりじりと詰め寄るマネージャーから距離を取り出すラテに、医者は溜め息を吐き。
「事実として、極度の睡眠不足、過労、栄養失調がデータに出ています。レントゲンを撮ったのは左足だけですが、脆くなった骨のいたるところにヒビが入っています。おそらくは左足だけじゃないでしょうね。全身痛かったと思いますが、よく我慢してしまったな、と」
「いやあ、それほどでも」
「瑪瑙さん、褒めてないです」
マネージャーもまた頭を抱えて溜め息を吐いた。
「はぁ……、瑪瑙さん、練習終わりの報告をしてからも続けていたんですね……。それに栄養失調、睡眠不足って。私に送ってきていた美味しそうな画像とか、睡眠深度のグラフは何だったんですか?」
「えへへ……実はネットで拾ってきた画像ばっかりで、どれも食べたことなくて……。規則正しい睡眠はかずはちゃんのデータです」
「呆れた、全部、嘘だったんですね……」
「ご、ごめんなさい」
小さくなって素直に謝る。
マネージャーは何か言いたげに口をわやわやと動かしていたが、結局は「はぁぁぁーーー……」と再び大きく息を吐くに留めた。それからラテの頭に手を乗せる。
「いえ、こちらこそごめんなさい。瑪瑙さんがそれほど焦っていることに気付かなくて。マネジメントを預かる者として、失格ね」
「それはっ! うにっ」
思わず反論をしたところで、頭を押さえられる。
それからほっぺを両手でつかまれて揉まれまくった。
「確かに! 他人のデータまで使って! 人に嘘を吐くのはどうかと思いますが!」
「うにっ、ごめ、うにににっ!」
「瑪瑙さんがこんなになるまで気付かなかった自分がバカすぎて嫌になります! どーりでビデオチャットなのにカメラを切ってると!」
「ごめんなさ、うにぃっ!?」
そうして散々いじめられた後にラテは解放された。
心ゆくまで揉みこまれたほっぺたを撫でつつ「すみませぇん……」と謝罪ロボットになる。
「はあっ。もう……今後は対面のミーティングを増やしますからね。騙すような真似をしなくても、きちんと言ってもらえれば可能な限り協力しますから」
「……でも、それじゃ足りなくて」
「ハードスケジュールで無理して怪我する方が無駄な時間でしょう! ライブ前にこんな怪我して凹むのは瑪瑙さんですし、準備しているスタッフも、楽しみにしているファンのみんなだって気落ちしますよ!」
「うっ……」
完全に論破されて言葉に詰まっていると、医者が「ともかく」と口を挟んだ。
「捻挫も治らないうちに運動しそうだから、一日泊まっていってください。点滴入れて一日安静にしていれば、普通に生活する分には大丈夫でしょう」
「あの、来週にライブがあるんですけど、それに出演は可能でしょうか……」
「どういうライブかにもよりますが……練習の時点でこのような状態になっている、ということは動きの激しいダンスがある認識で合っていますか」
「そう……ですね。立って歌うだけの演出はほとんど無いです」
医者はマスクに隠れた顎をぞろりと撫でて、少しばかりの時間を思考に回す。それから見解を答えた。
「……全身の骨が脆くなっているから医者としては止める場面ですが――」
ラテも覚悟を決めて訊いてはみたが、改めてそう言われるとショックが大きい。
いや、現時点ではこの医者とマネージャーしかドクターストップがかかったことは知らない。
マネージャーをなんとか説得すれば出演することは可能。
ライカの引退がかかったライブに怪我で欠場など、悔やんでも悔やみきれない。八代祟る。
「止めたところで無駄な気がします。なので、現時点からなるべく良い状態に戻すようにします。疲労骨折もどこかがポッキリ折れてしまっているのではなく、骨に細かいヒビがたくさん入っているという感じですから、一日くらいは乗り切れるでしょう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
「ただし! 捻挫が治るまでダンス練習は禁止、きちんと七時間睡眠と一日三食取ることを約束してください。そこが最低のラインです」
「れ、練習禁止……それはどれくらい……?」
「治るまで、です。マネージャーの方も徹底してくださいね、無理をして余計酷い怪我をする方は何人もおられますから」
「はい。お手数ですが、怪我の治りに良い食事の参考資料等をいただいたり出来ますか。しばらくは私が管理するようにします」
ラテが何かを言う前に足場が固められていく。
気が付けば説得をする間もなく、マネージャーがライブまでの一週間を泊まり込みで療養することになってしまっていた。
これでは練習出来ないじゃないか!
「練習させないためではなく、怪我の治りを良くするためのお手伝いに行くんですからね……? そこのところ、分かっていますか?」
「もっ、もちのろんですよ、もちろん。やだなあ、ははは」
ジト目で睨んでくるマネージャーに乾き笑いを返して視線を逸らす。
「無理して捻挫が悪化するようなら止めざるを得ないですから、念頭においてくださいね。明日の退院前と、三日後にもう一度様子を見させていただいて、ライブの当日にも確認させてください」
諫めるようにして言う医者に、大人しく「はい……」と頭を下げる。
「入院の部屋はどうされます? 今なら四人部屋と個室が選べますけど。ああ、個室は割増料金かかりますよ」
「インターネット環境が整っているのであれば個室でお願いします」
有料なら四人部屋でとお願いしかけたラテを遮り、マネージャーが勝手に個室を選ぶ。
「病院で配信しろ、ってことですか?」
「配信してもらっても構わないですけど、落ち着いたらメッセージとかグループチャットしたくなると思うから」
それからマネージャーは手を差し出した。ラテも小首を傾げた。手を乗せてみる。
「違いますよ。お家の鍵を貸してください。着替えとか持ってきますから。他にも希望があれば持ってきますよ。パソコンは事務所からノートを持ってくるので、それで我慢してください」
「あっ……はい、ありがとうございます……」
こうして瑪瑙ラテは不本意ながら入院することになった。完全に自業自得である。
【プリズム8期生 瑪瑙ラテ 退院配信】
「みなさん、大変お騒がせいたしました」
ペコリと頭を下げるチョコレート髪。瑪瑙ラテ。
『退院おめでとう!』
『人気が出たからって案件漬けにするプリズム許せねえよ』
そのように流れるコメントを見つけて、罪悪感に駆られる。
プリズムは何ら悪くない、というよりライブを優先したいラテの気持ちを鑑みて、案件はライブ後にスケジュール調整してもらっていた。
通常の配信と、ボイスやダンストレーニングにかなりの時間を割いてもらったのだ。
「ええと……まずお伝えをしなくてはならないのは、今回、なぜ急遽入院することになってしまったのか、というところだと思うので話します。簡単に纏めると、私がバカをやったせいです」
『バカってwww』
『エアコン消したまま寝て熱中症とか?』
『最近死ぬほどあちーもんな』
「直接の理由はそうですね、熱中症なんですけど。お医者さんに……その、バレちゃいまして……」
気まずい心持ちを隠せずに、画面の中でラテがそっぽを向いた。
『バレたって何が?』
「睡眠とか食事の時間を削ってライブの練習してたら熱中症になって倒れちゃったんですよね……。マネージャーにもその場で嘘がバレて怒られちゃいました」
『当たり前だろ!!!!』
『マネージャーを騙してたのかよwww』
くるくch『店主たちもっと怒って』
『くるくもよう見とる』
「うう……心配かけてごめんなさい……。体調管理ってことでマネージャーにはネットで拾った美味しそうなご飯の画像を送ってたんですけど、食べてないコトがバレたのでしばらくはマネージャーがご飯を作ってくれるみたいです……」
『ママージャー草』
『めっちゃ監視されとるwwwww』
何なら配信中の今、すでに作ってくれている。常備菜も用意してくれるそうで、おなかがすいたら食べろと言われた。
「かずはちゃんの睡眠サイクルデータで偽造していたのもバレてしまいました。ごめんね、かずはちゃん、もう要らないから」
かずはch『私がマネちゃんに怒られたのってそーゆーこと!? 睡眠時間の参考にするって言ってたのに!』
『おまえ、勝手に片棒を担がされていた』
『御前、健康優良児だったのか……』
『睡眠時間の参考ってなんだよ』
「それで熱中症で倒れた時に足も挫いてしまって。そういった諸々で入院することになってしまいました。ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。あとかずはちゃんは本当にごめん」
かずはch『ほんとだよ!!! 今度、怒りに行くから待ってて!』
『意訳:べ、別に心配なんかしてないんだからね!』
『薙刀娘はやっぱりツンデレよ』
「みなさん、かずはちゃんはすごい素直な子だから。睡眠サイクルをデータで教えて、って言ったら何も訊かずにデータを毎日送ってくれたんですよ! だから、あまり油を注がないでもらって」
『注いでるのはラテ子なんだよなぁ』
サイレch『もしかして、反省してない?』
『同期が全員見張ってて草草草』
「ううっ、す、すみませんでした……」
すぐさま「よよよ……」と反省した姿を見せる。
配信を始めてから演技の切り替えが早くなってしまった。いや、反省しているのは演技ではないが。
『ライブは出られるの?』
『体調平気?』
「あっ、そうですね! 病院で点滴打ってたくさん寝たので、体調は元気です! 特に熱中症の後遺症とかもない……と思います」
バーチャルボディを左右にぶんぶか揺らして元気具合をアピールする。
実際、元気であった。見張られていて、出掛けられないので。
「あとは挫いた足首なんですけど、少し安静にしてたら大丈夫だって言われてます。お医者さんのチェックが必要ですけど。無いとは思うんですけどお……当日にドクターストップがかかったら申し訳ないです。そしたら舞台袖でサイリウムを振る役をやります」
『ラテ子のサイリウムを振るのは俺たちの仕事なんだが?????』
『踊らなくていいからとりあえず画面の端にずっと立ってて』
「画面端にずっと立ってるのは単なる罰ゲームでしょ!?」
『おしおきだよ』
『バケツ持って立ってて』
『テスト0点の罰』
「はあ~っ! 店主の皆さんはどうか分かりませんが、私はきちんと優秀な成績で小学校を卒業していますので! 小卒の学歴マウント取らせてもらいますね」
『幼卒ナメんなよ!?』
『大卒には勝てないが!?』
しばし視聴者とのプロレスに興じる。
適当なところで話を切り上げようと思っていたが、国内はおろか海外の院卒が出てくるに当たって「ぐぬぬ」と普通に分からせられてしまった。
「冗談で小卒とか言ってましたが、真面目な学歴を出しても勝てないヤツを出してくるのは卑怯ですよ! この業界では!」
『今度は資格マウントにしよう』
「やめましょう、この話は」
さらなるデンジャラスゾーンに飛び火する前に、強引に話を終わらせる。
人に自慢できる資格なんか持っていない。何なら自動車免許も無い。
「ともかくですね、問題はあれど、ライブには出演する予定なので応援よろしくお願いします――ということをお伝えしたかったワケです。応援よろしくお願いします」
『何を歌うの?』
「私はですねぇ……っっっぶないっ! それは! 当日のっ! お楽しみ! にしておいてくださいね!?」
『残念』
『惜しい』
『息呑みたすかる』
『先っちょだけ』
「自然に訊かれたから答えそうになっちゃったじゃないですか! 惜しい、じゃないんですよ!?」
口に出しかけた答えを飲み込んだ音がめちゃくちゃ配信に乗ってしまった。
今までの経験から分かるが、この場面は切り抜き編集されて短い動画になってアップロードされるだろう。恥ずかしすぎる。
――その時、これまでの趣きとは違うコメントが流れた。
『こーなると残りの懸念は台風だけだね』と。
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