第11話 実験体15号ちゃん

「……」


 追い詰められたソフィアは、動揺した素振りを見せるどころか、歪んだ笑みを浮かべて見せた。まるで聖母のように透明だった彼女の瞳が、悪魔に身を売った人間の如く暗くなっている。


 背筋が凍りそうになる中、黙り込む彼女にもう一度問いかけた。


「貴方が修繕費として見せてくれた資料と本来の額じゃあ、どう考えても一致しない。一体何に使ったんだ?」


 二つの数字を指さしながら、ソフィアの顔をじっと見つめる。それでもなお、暫く黙っていたソフィアだったが、言い逃れは出来ないと悟ったのか、ようやく口を開いて話し始めた。


「初めから、分かっていたんですね。私がゾルマから不正に金を貰い、何かに手を染めているということを」

「そうだ。それでも、子供を見る貴方の瞳が濁っていなかったから、こうして腹を割って話そうとしている。何をしてきたのか、正直に話してくれないか?俺なら、貴方を救えるかもしれない」


 オルトの時とは違い、俺は本心から彼女を助けたいと思っている。ソフィアが子供達に向けた瞳は、透き通るように青く輝いていた。


 そんな彼女が悪事に手を染めているというのが、俺には信じられない。きっとゾルマが無理矢理命じて、今もその泥沼から抜け出せなくなっているに決まっている。


 俺が彼女を助け出し、もう一度聖母のような彼女に戻って貰うのだ。


 俺の必死の願いが通じたのか、ソフィアは瞳を閉じて一度頷くと、歪ませていた口元を戻し穏やかな笑顔を浮かべてくれた。


「アルス様がそう仰って下さるのであれば……分かりました。ご案内いたします」


 そう言って立ち上がり扉を開けると、俺達に着いてくるよう手を扉の奥へと向けた。俺とルナは彼女の指示に従い、ソフィアの後ろについて扉の奥へと進んでいく。


 扉の奥に有った部屋は普通の小部屋だったが、更にその奥の扉を開くと地下へと続く階段が現れた。その階段を下っていくと、獣と血が混じったような匂いが漂い始めた。


 階段を下りた先には教会に似つかわしくない鉄の扉があった。ソフィアがその扉の鍵を開錠し、扉を開く。ここまでくれば否が応でも察してしまう。この先に有るのは、俺の予想をはるかに超えた何かだと。


 扉の先は夥しい血痕が部屋中に飛び散っていた。その他にも拷問器具のような物や、幾つもの檻が設置されている。その中には獣ではない何かが息絶えていた。


 ソフィアは部屋の奥へと進んでいき、布がかかった大きな何かに手を置いた。


「それではご覧ください!これが私の研究作品……『合成人魔獣』です!!」


 ソフィアが布をめくると、大きな檻が現れた。その中に居る『何か』を見て、俺は咄嗟に口を手で覆った。胃から込み上げてくる消化物を必死に抑え込み、檻の中に目を向ける。


 恐らく……人間だ。


 そう判断したのは生気を失ってはいるものの、成人男性と認識できる人間の顔があったから。その顔に獣の手足がくっつけられている。


「どうです、どうです!?素晴らしいとは思いませんか!?この曲線美!この筋肉!あぁぁぁ……さいっこう!!」


 吐き気を必死に堪える俺を余所に、ソフィアは光悦とした表情で檻の中の生き物を撫でまわし始めた。俺は喉元まで逆流してきた消化物を無理矢理飲み込み、ソフィアへ問いかける。


「……これは、一体何なんだ!?」

「これですかー?私が創り出した『合成人魔獣ちゃん』ですよ!!人間と魔獣を合体させ、人間の知能と魔獣の強靭的な肉体を併せ持った、最高の生物です!!素敵でしょう!?」


 そう言いながら頬を擦り付けるソフィア。俺の予想を遥かに超えた彼女の所業に、頭が追い付けずにいた。


『兄様達から見限られるために、ちょい悪徳領主として悪政するぜー!』とか考えていた過去の自分をぶん殴りたい。ここは触れてはいけない禁忌の領地だったのだ。

 いや、もしかすると父上はここまで調べた上で俺に領主代理を務めさせようとしたのかもしれない。最悪の場合、第六王子である俺ならば切り捨てても問題は無いからな。


「ゾルマの資金を使ってやっていたのがコレか。てっきり孤児院の子供達を使って、違法な取引でもしてるんじゃないかと思ったよ」

「なーに馬鹿なこと言ってるんですか!!子供は未来の宝!!いつか私の実験を引き継ぎ、最強の『合成人魔獣』を創り上げる可能性を秘めているのですよ!?そんな宝を売るような真似するわけないじゃないですか!!」


 頬を膨らませて怒りを露にするソフィア。その瞬間だけは聖母のような瞳に移り変わる。


「……生きた人間を使った人体実験は、ドステニア王国では禁忌とされている。それを知らないとは言わせないぞ」

「勿論知ってますよー!でも安心してください!王国の人間を使ってるわけじゃないですしー、どっかの国の犯罪者ですから!この『試験体15号ちゃん』のベースは、どっかの国で女性30人を惨殺した犯罪者らしいですよ!」


 嬉々として喋り続けるソフィアに、俺は恐怖を覚えた。彼女は檻の中の生物を試験体15号と呼んでいた。つまり15人以上は、この狂気の実験の犠牲になっているということになる。


 マジでヤバすぎる。禁制の精力剤なんか、可愛く見えてしまうレベルでヤバすぎる。生きた人間を用いた人体実験なんて、やってみようと考えるだけで極刑だ。


 俺が焦りと動揺で体を震わせていた時、ルナが背後から小声で話しかけてきた。その手には隠し持っていた短剣が握られている。その短剣を俺の手に握らせた。


(アルス様、この女危険です。今ここで処分しましょう。アルス様なら殺せます)

(馬鹿か!そんなことしたら、領主就任早々に『孤児院の聖母』が失踪したと噂されて、俺の立場が終わるぞ!最悪エデナ教と敵対することにもなりかねない!そうなったら、父上は俺の首を切る!俺なら絶対にそうする!)


 俺がそう言うとルナは小さく舌打ちをして、ソフィアを睨みつけた。俺だってソフィアを処分した方が良いのは分かっている。


 だがソフィアの外面の良さが邪魔をする。彼女を排除しようとすれば、巡り巡って俺の首が飛ぶことになるだろう。孤児院での活動が、彼女の身を守るための盾となっている。もしもここまで考えていたとすれば、質が悪すぎる。


 最善の策は、彼女に実験を停止させて研究結果を消し炭にすること。だが彼女の態度を見るに、実験を停止させることは不可能に近いだろう。


 彼女を他国にでも追いやるか?いやそれは得策ではない。『合成人魔獣制作』が

成功した場合、ドステニア王国を害する存在になるのは目に見えている。


「ソフィア殿。この実験を止めようとは思わないのか?立場上、この実験を見過ごすのは難しい。今なら貴方の孤児院での活動に免じて、見なかったことにも出来るぞ」

「え、止めないですよ!!だって、私悪くないですもん!?使ってる人間だって、犯罪者とかゴミみたいな人間しか使ってませんし!寧ろリサイクル活動です!素敵でしょ!?」


 『なんでそんなこと聞くんですか?』とでも言わんばかりに首をかしげるソフィア。彼女にとって犯罪者の命はその辺に転がっている石ころと同じ価値でしかないのだ。


「申し訳ないが、俺はゾルマのように人間を提供することはしないぞ。あくまでも貴方に与えるのは、孤児院と教会の運営資金だけだ」

「えー?じゃあ良いですよー!適当な人間を攫ってきますからー!」


 あっけらかんとした態度でそう言い放つソフィアに、俺は恐怖を通り越して眩暈に襲われそうになる。狂人には何を言っても無駄なのだ。


 彼女を放っておけば一般市民にも犠牲が出る。


「はぁ……安易に引き受けた俺が馬鹿だったって事か。クソ野郎が」


 思わず本音が口から零れ落ちる。


 本当はこんなところ今すぐ立ち去って王宮に帰りたい。そうすれば、仕事の重圧に負けて逃げかえってきたと、兄様達に見限られるかもしれない。そうすれば、自由気ままなグーたら生活が出来るだろう。


 だが、俺にだってプライドはある。一度『ちょい悪徳領主』になると決めたんだ。寧ろピンチはチャンス。立派なちょい悪徳領主として、この狂人を利用してみせる。


「ドステニア王国第六王子として命ずる!暫くは人体実験を控え、魔獣を使用した生体実験のみを行え!それと、『合成人魔獣』の研究目的は、欠損した人体の代わりを魔獣の体で補う場合の問題についてというものにしろ!」


 俺の言葉を聞いたソフィアは、死んだ魚のような瞳になってガックリと肩を落とした。見るからにやる気が削がれているのが分かる。


「えー……そんなのつまらないじゃないですかー。そんなこと言うなら、別の国に行っちゃおうかなぁ。そうすれば、人の目とか気にせずに研究できるしー」

「行きたいのであれば行けばいい。ただ、その道中に思わぬ事故が起きないことを祈らなければならないがな」


 俺の発言にソフィアの顔が曇る。正直出ていってくれるならこちらとしても有り難い。だがしかし、彼女の暗殺に失敗する可能性もある。そうなれば『合成人魔獣』が他国の戦略兵器としてドステニア王国に牙をむくかもしれない。


 それに、彼女を失えば孤児院の子供達が悲しむことになってしまう。俺は非情にはなれない。どこぞの犯罪者の命より、子供達の笑顔の方が価値がある。


「もしこの研究が世間にバレたとしても、表向きの研究目的がそれであれば、多少は情状酌量の余地があると思って貰えるはずだ。その傍らで、今まで通り『合成人魔獣』の実験をすれば良いじゃないか」


 俺の話を聞いてソフィアは顎に手を当てて黙り込んでしまった。彼女も自分の研究と子供達を天秤にかけているのだろう。ここまでくればゴリ押しで行くしかない。


「他国に逃亡するリスクを負うより、王子である俺のいう事を聞いておけば暫くの間は安全に研究を出来る。子供達の傍にも居られるんだ。よく考えてくれ」


 黙ったままのソフィアに向かって俺は右手を差し出した。『ちょい悪徳領主』として生きてくための覚悟は決まった。狂人とはいえ、彼女のような美人と一緒なら、喜んで屍の上を歩いてやる。


 自分に向けて差し出された右手をジッと見つめるソフィア。それから自分の作り上げた『試験体15号ちゃん』に目を向ける。ハァーと残念そうに深く息を吐いたあと、ニコリと笑って俺の手を握った。


「確かにそうですねぇ。研究道具移動するのも面倒だし……分かりました!これからは人助けのために研究することにしましょう!良い素材が手に入った時だけ、『合成人魔獣』の研究をすることにします!」


 何とかソフィアを説得した俺は、狂気に満ちた実験室から逃げるように立ち去り馬車へと逃げ込んだ。その様子をみたルナが、呆れたように口を開く。


「アルス様。本当にあの女を見逃しても良かったのですか?」

「あーうん……」


 二件目だけでお腹いっぱいだというのに、次の目的地となる奴隷商は更に嫌な予感がしてならなかった。

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