第3話 寛容もしくは無知の微笑

 朱音が駐車場に乗り付けると、ニュータイプ20名と教師役の職員4名がバスに乗り込むところだった。車をバスの前に停めて、それが出られないようにした。


「待ちなさい。これはどういうことですか?」


 車を降りると職員に詰め寄る。


「政府の指示通り、ニュータイプを福島第一廃炉現場と京都の関西復興本部に運ぶところです。明日の昼までに届けろということでしたので」


「政府指示は誤りです。とにかく中に戻りなさい。みんなも寮に戻って」


 朱音は両手でパンパンと叩き、羊を追うように彼らを建物に戻した。


「指示は正式文書でしたが……。博士、どうなっているのです?」


 その場に残った職員たちは不満げだった。


「どうもこうもないわ」


 朱音は事務所に入り、1人になって考えた。爪を噛むのは思索に没頭するときの癖だった。


「それしかない」


 決意を言葉にし、1週間前の検診結果を書き換えた。2037年と2038年生まれのニュータイプのすべてのカルテに伝染性紅斑でんせんせいこうはんと。


 内閣府に電話を掛けた。大池総理と直談判するつもりだったが、電話に出たのは内閣府事務次官の葛原だった。


 朱音は岩城に対した時と同じように、ニュータイプの廃炉作業投入は時期尚早だとまくしたて、政府指示の撤回を要求した。


『あなたという人は……』


 葛原が鼻で笑った。


『……復興が1年遅れれば、生活保護費や仮設住宅の維持費やらで、莫大な費用がかさむ。避難者の帰還意欲も低下し、地方の再生が遅れる。あなたにはそのことを理解してほしい』


「それは分かっているつもりです。だからといって、命あるものを軽々しく扱うのは、どうなのですか!」


『軽々しく創ったのは、千坂博士、……あなたでしょう。殺すために創った命を大切にしろとは、科学者の身勝手ではないのですか?』


 彼の言葉に耳を傾けるつもりはなかった。


「とにかく、彼らは伝染性紅斑に感染しているのです。いま、外部に出すわけにはいきません」


 朱音は正義の味方を演じたが、声は震えていた。


『伝染性紅斑?』


「世間で言う林檎病というやつよ。20名、全員が感染しているわ」


 モニターの中の葛原が視線を落とす。手元の端末でニュータイプの健康診断結果を確認したのだろう。額に深い皺が現れた。


『何ということだ。データを改ざんしたのだな』


「まさか……」朱音は精一杯とぼけてみせた。


『博士ともあろう人が……。我々はニュータイプの現場投入を決定する前に健康状態も確認しているのですよ。彼らは健康そのものだった。今頃データを改ざんしたところで、履歴を調べれば書き換えたことは分かる。結局、あなたの経歴に傷がつくだけだ』


 葛原の話は単純なことだった。カルテの改ざんなどログを見ればすぐに分かる。朱音は、そんな簡単なことさえ気付かないで行動した自分の愚かさに狼狽えた。


「……せめて後1年、……待ってはもらえませんか……」


 テレビ電話の前で泣き崩れた。


『まったく……。分かりました。博士がそこまで言うのなら……。総理に話してみましょう。だからといって何も約束はできませんよ』


 電話は切られ、モニターが黒くかわった。




 30分ほどすると、数名の職員ががやがやとやってきた。


「博士、ニュータイプをどうするのか、決まりましたか?」


 彼らは、机の前で悄然としていた朱音に向かって遠慮がちに尋ねた。


「ごめんなさいね。……ニュータイプの移動は延期です。政府が気持ちを変えてくれたらいいのだけれど」


「ハァ……」職員は、朱音ほどニュータイプの行く末を案じてはいないように見えた。「……とりあえず、これまでの教育プログラムを継続します」


「そうしてください」


 朱音が答えると、職員はそれぞれの仕事に戻った。


 葛原から連絡があったのは20時を過ぎてからだった。


『大池総理は、2038年生れのニュータイプの現場投入を半年猶予するということです』


「2037年生まれの10人は?」


『彼らには1Fに入ってもらいます。明日、移動してもらいます。十分な妥協でしょう。いいですね』


 葛原が朱音の返事を待たずに電話を切った。


 朱音の脳裏を肩をもみ、微笑んだ3710号の顔が過った。彼女が素直なことに後悔を覚えた。彼女に人生の喜びを経験させてやりたかった。




『ママ、帰らないの?』


 テレビ電話の向こうに大学生の娘、アオイの顔があった。同じモニターに表示されている時刻は午前零時だ。


「アオイ、ごめんなさいね。急に仕事が入って」


 最後通牒をつけられても、朱音はずっとニュータイプを救い出す方法を考えていた。


『いつものことだからいいけど……。顔色が悪いわよ。ちゃんと食事をとってね』


 娘の言葉で朝から何も口にしていないことに気づいた。


「分かった、心配しないで。おやすみ」


 朱音は電話を切り、事務所を出る。ニュータイプの寮に足を運び、3701号が寝ている部屋のドアを開けた。室内は暗く3701号の顔を見ることはできなかったが寝息は聞くことができた。


 2年ほど前、アオイにニュータイプに名前を付けないのは何故かと問われたことを思い出す。その時は彼らに愛情を持たないようにするためだと答えたが、今、自分が、ニュータイプを愛おしくて仕方がないことに気づいた。それが個々の存在に対する愛なのか、生物一般に対する普遍的な愛なのかは分からない。ただ、危険な場所に彼らを送り込むことが苦しくてならなかった。チサカ細胞の耐放射線性に自信がないわけではない。彼らはどんな環境でも生き抜くだろう。


 朱音は一人一人の部屋を覗いて寝息を聞き、最後には3710号のベッドの横に腰をかがめて寝顔を覗いた。


 突然、3710号が眼を開けた。心臓がギュッと痛む。ニュータイプの感覚が人間より鋭いのを忘れていた。


「博士、どうかしましたか?」


 キョトンとした3710号の瞳は監視カメラのセンサーの僅かな明かりを反射していた。


「あなたを助けたいけど、どうしたらいいのか分からないの」


「助ける?」


 3710号は上半身を起こし、朱音を見つめた。


「政府は、明日、あなたたちを1Fに送るというのよ」


「そうですか。嬉しい」


「エッ……」


 彼女の反応に言葉を失った。


「私、他人ひとの役に立てるのですね」


 ニュータイプは放射線下の作業に携わり人類の役に立つことができる貴重な存在だと、常々教師役の職員が教えていた。


「危険な場所なのよ。それでも嬉しいの?」


「ハイ。私、博士のためなら、何でもします」


「ごめんなさいね」


「どうして謝るのですか?」


 返事の言葉を見つけられず、朱音は3710号を抱きしめて嗚咽した。




 翌朝、放射性物質除去技術者養成センターの駐車場には1台のバスと数台の黒塗りの車が入った。


 車から降りたのは葛原と岩城、公安部の警察官10名だった。不測の事態を恐れた葛原が、岩城と警察を呼んだのだ。


 2人の職員が3701号から3710号の10名を連れて現れると、同じような顔をしたニュータイプを始めてみる警察官は驚き、ひそひそと声を交わした。


 列の最後にくたびれた顔をした朱音がいた。その精気を失ったような様子に、葛原が安堵の表情を浮かべた。


「まだ納得してはいないようですな」


 付き合いの長い岩城が、朱音の気持ちを察していた。


「やはり、私はやってはいけないことをしたのですね」


 朱音はバスに乗り込むニュータイプを静かに見送った。


「そんなことを言ったら、彼らがかわいそうだ」


 岩城がトランク一つを手にしてタラップに足をかけた3710号の背中を顎で指した。


 朱音は、思わず走り出した。止めようとする警察官を振り切り、バスに乗り込んだ。


 通路に3710号の背中があった。


「37……」


 そこで言葉をのんだ。名前を付けておけば良かったと思った。


 ニュータイプたちの視線が朱音に集まる。3710号が振り返った。


「みんな、……今まで、ありがとう!」


 朱音は、そんな言葉しか浮かばないことが悔しかった。


 3710号が自らの意思で朱音を抱きしめ、耳元でささやいた。


「博士はあたたかい。……私なら大丈夫です」


 朱音の頬を涙が濡らした。


 座席のニュータイプの瞳にも感染したように涙が浮かんだ。ある者のそれは離別の悲しみを、ある者のものは使命に立ち向かう勇気を示していた。


 朱音を追って公安警察官がバスに乗り込んでくる。


「博士、降りなさい」


 1人の警察官が朱音の肩をつかみ、3710号から強引に引き離した。


「やめて!」


 3710号が声を上げる。他のニュータイプたちも朱音を助けようと腰を浮かせた。


「動くな!」


 警察官たちが銃を構えた。


「子供たちに銃を向けるな!……」朱音は視線を子供たちに向けた。「……動かないで。私は大丈夫だから」


 無理やり笑みを作ると、警察官の手でバスから引きずりおろされた。


「まったく、あなたという人は……。同情はしますがありもしない感染をでっちあげるなど。……データ改ざんの責任は取ってもらいますよ」


 隣に立った葛原が朱音を責めた。


 彼をいさめるように、岩城がコホンと咳ばらいをひとつした。


「核の危険性の認識と裏腹に、核兵器、核施設は感染するように世界に拡散している。ニュータイプは、未熟な核技術の感染から人類を救う希望になるでしょう。博士は彼らを生みだした。けっして後悔すべきことではない。亡くなったご主人も喜んでいるのではないですか?」


「それは私たちの理屈です」


 朱音の目の前をバスが走り抜けた。窓に手を振る3710号の笑顔があった。


「彼女らは、博士を理解しているようだ」


「分かってもらったからといって、やっていいことと悪いことがあります。何よりも、私たちが彼らを理解してやれなかった」


 朱音はギリギリと奥歯を噛んだ。


 バスの影が小さくなっていく。それは木陰の中に溶けて消えた。

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青い果実 ――2043―― 明日乃たまご @tamago-asuno

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