第48話 【完】


「ど、どうしましょう魅音様!」

「……もう仕方ないんじゃない?」


 皓宇を追いかけていく彼女の後姿はとてもキレイだった。明るい日差しを跳ね返して、自ら輝こうとする。朱亜をそんな風にさせるのはこの世界に一人しかいない。魅音は「仕方ないわね」と言わんばかりに息を吐いて、動揺している静を置いて鈴麗宮に戻る。朱亜が脱ぎ捨てた服を片付け、切り落としていった長い髪を手に取った。


「これも売っちゃいましょう。いい付け毛や筆を作る事ができるわ」

「いいのかよ、勝手に売って」


 劉秀が一応諫めるが、魅音は「いいじゃない」と振り返った。


「迷惑料よ。これから皇帝陛下に説明に上がるのは私たちよ? これくらい貰ってもいいんじゃない?」

「それも……そうだな」

「早く用意しましょう。明豪も付き合ってくれるかしら?」

「えぇ。私も今日の夢に現れた天龍様に、こう言付かっておりましたから。救世主の旅路を誰も止めてはならない、と」


 いまいち信憑性がないけれど、今回はその預言に乗っかっておこう。魅音は朱亜がつけたかんざしを思い出す。翡翠のかんざしより、あっちの方が似合っている。いいものをもらえて良かったね、と心の中で朱亜に語り掛けた。


「静さんはどうするの?」


 静も同じように部屋を片付け始めている。鈴麗宮に住まう者がいなくなってしまった、彼女はどうするのだろう? と心配したけれどそれは杞憂らしい。


「私は後宮に戻ります。若い女官たちの指導をしてほしい、と前々から打診をされておりましたから」

「そっか。元気でね、静さん」

「魅音様も。劉秀! ちゃんとするのですよ!」

「わかってるよ!」


 静に怒られるのもこれが最後だと思うと、さすがの劉秀もしんみりしてしまう。が、静が次に放った言葉に彼の動きは止まった。


「夫として、魅音様を良く支えるように。分かっていますね! あと、婚儀の際はお呼びくださいね。お手伝いいたしますから」

「は? 夫? 婚儀?」

「劉秀は魅音様の婚約者だと、皓宇様から聞いていたけれど……?」


 魅音は劉秀の顔を覗き込む。耳が赤く染まっていて、恥ずかしいのか一瞬だけ魅音と視線を通わせたけれどすぐに逸らしてしまう。


「何よ? 本当に従者のままでいるつもりだったの?」

「いや、そういうわけでは……お前こそ本当に、俺でいいのか? 俺はお前の父を死罪にした沈家の末裔だが……」

「それはそれ、これはこれ、よ。私は嫌、アンタ以外の男。ずっと小さいころから、私はアンタと一緒になるつもりだったのよ」


 魅音は劉秀の指先を握る。彼女の横顔もほんのり桃色に染まっている。静は「あらあら」と言って、そそくさと部屋から出て行ってしまった。これから先は若い二人で、という静の計らいだろう。妙な静けさが部屋を満たしていく。


「俺もだ。子どもの時から、お前の事ばかり考えていた」

「うん」

「二人で万家を再興させよう。俺は夫として、当主を支えるよ」

「うん!」


 魅音は劉秀に飛びつく。彼は彼女の小さな体を抱きとめた。


「ねぇ、劉秀。子供は何人欲しい?」

「はぁ?! 気が早くないか?」

「万家を再興させるんでしょ? ならば、もっと一族を増やさないと。それに、子供はたくさんいた方が楽しいわ! きっと!」


 飛びついた勢いのまま、魅音は劉秀の唇を塞いだ。文句言われるかな? と思ったけれど、彼はそれを受け止めて、強く抱きしめてくれる。彼の熱い体温は魅音の着物を貫き、地肌に伝わってくる。それが心地よくて、頭がクラクラとしてしまう。


「……どうする? このまま作っちゃう? 子供……」


 耳元で誘惑するように囁くと劉秀はわずかに動きを止めた。しかし魅音を引き離し、ブンブンと首を横に振る。


「まずは王宮だ! 皇帝陛下に朱亜のことを説明するんだろう?」

「あー、そうだった」

「……それに、そういうことは……婚儀が済んでからだ!」


 ***


 皓宇は夜中のうちに出発していた。馬に荷物を積み、残した物はないかと一度鈴麗宮に戻る。持っていかなければいけない邪王の印章の欠片は胸元に大事にしまっているし、忘れ物はなさそうだ。


 そうだ、と皓宇は思い立ち、こっそりと朱亜に貸している部屋に潜り込んだ。穏やかな寝息を立て、皓宇がやってきたことにも気づいていない。指先でそっとその頬に触れる。温かい。胸は規則正しく上下している。目尻に涙が浮かぶ。彼女が生きている、それだけなのにこんなにも幸せがこみあげてくる。官位を得て仕事を始めたら、きっと自分が彼女の面倒をみなくてもよくなるだろう。危険なことに脅かされることなく、ただ穏やかに暮らしてさえくれたら、もう自分はそばに居なくても構わない。


「さようなら、朱亜。元気で」


 皓宇はそっと顔を朱亜に近づけた。ちょっとだけ迷って、彼の唇は朱亜の額に触れる。本当は彼女の唇に口づけを落としたかったのだけど、恥ずかしさが勝ってしまった。顔が熱い、さっさと出発しようと皓宇は外に出る。


「殿下、顔色が悪いのでは? やはり、今日出発するのは……」


 静が心配してくれる。やっぱり顔が赤くなっているらしい。皓宇は「大丈夫だ」と言って、静の手を握る。


「静も長い間ありがとう。行ってくる」

「どうかお気をつけて」

「あぁ。明豪も、朱亜の事よろしく頼む。例のあれも……」

「もちろんでございます。いってらっしゃいませ、殿下」


 皓宇は馬を引いて歩き出した。荷物を積んだ馬は皓宇の歩く速度に合わせてくれる。ゆっくりとした森の中を進み、少し休んでから再び歩き出す。きっと今ごろ、朱亜が官位と褒美を授かっているころだろうか? そんなことを想像しながら。


 のんびりと歩く皓宇。その背後から、猛烈な勢いで迫っている馬がいることにまだ気づいていない。朱亜はもう彼の後ろ姿を捕らえていた。木漏れ日を受けて輝く金色の髪。初めて会ったときから今も変わらず、朱亜の目には美しく見えた。それを失いたくない一心で馬を走らせる。


「皓宇!」


 朱亜がその名を叫ぶと、彼は驚きながら振り向いた。目が零れ落ちてしまいそうなくらい大きく見開いている。朱亜は馬を止め、急いで降りて、今度は自分の足で駆け出していく。


「しゅ、朱亜……ど、どうして、こ、ここに!」


 驚きすぎて皓宇の声が震えている。


「もう! どうして一人で旅に出ようとするの?! 危ないじゃん!」


 皓宇の身勝手な行動に朱亜は怒りを見せる。皓宇ははっとして言い返した。


「朱亜こそ! 式典はどうしたんだ!」

「ウチには関係ないことだからいーの」

「よくないだろう!」

「皓宇だって! ウチに内緒で出ていくなんて。静さんから聞いたよ、天龍峰に行くって」


 皓宇は胸元を押さえる。


「……これは私が果たさなければならぬ役目なのだ。一度邪王に唆され、心を明け渡そうとした、その罪を償わなければいけない。それに、雨龍とも約束したんだ」

「太子様との約束は守るのに、ウチとの約束は破るんだ」

「は? 約束?」


 朱亜は両手で皓宇の手を取る。ぎゅっと握り、まっすぐその目を見つめた。どうして自分の気持ちが伝わらないんだろう? ずっと考えて、ようやっと答えに辿り着いた。自分から言わないと、心は伝わらないんだ。


「ずっと一緒にいるって、1人にしないって約束! 忘れちゃったの?」

「……いやいや、そんな約束をした覚えはないぞ」

「え?!」

「私がお前と交わしたのは……」


 キラリと朱亜のかんざしが太陽の光を受けて輝く。飾りについている明るい赤色の珊瑚は朱亜の強さや明るさを現しているように見えた。朱亜は「あれ?」と首を傾げる。


「いや! 絶対にした! ……と思うんだけど……」

「朱亜」


 朱亜は再びまっすぐ皓宇を見る。彼は観念したように微笑んだ。


「よく似合っている。そのかんざしも、その髪型も、その姿も」

「……えへへ」


 照れてしまう朱亜。背中がむずむずとかゆくて、何だか恥ずかしい。繋いでいる皓宇の手が熱いのか、それとも自分の手が熱いのか分からなくなってきた。


「皓宇、一緒に行こう。皓宇は弱いから守ってあげないと」

「私も、お前を守りたい」

「え?」


 皓宇の顔が近くなる。びっくりして目を丸めていると、唇に何かがかすった。それが皓宇の唇であると気づいたのは一拍置いてから。朱亜はきょとんと目を丸くする。


「朱亜が大事だから、危険な目に遭わせたくなくて遠ざけたんだ。私は朱亜のことをそれくらい愛おしく思っている」

「ウチも。皓宇のことが大切だよ。好きだから、いつでも守ることができるようそばにいたいの。ダメかな?」

「……いや」


 皓宇は朱亜の手を握りなおす。彼を覚悟を決める、これから先どんな困難があろうとも彼女と共に生きていく覚悟を。


「行こう、一緒に」

「うん!」


 二人は馬を率いて歩き始めた。


「天龍峰は一度行ったことがあるから、案内してあげる!」

「さすが朱亜だ。頼もしいな」

「天龍峰に行った後は? どこにいくの?」

「え? 考えていなかった……」

「せっかく旅にでるんだから、いろんなところに行こうよ! そうだ、ウチ、皓宇のお母さんが生まれた国に行ってみたいな」

「いいけれど……とても遠いぞ?」

「皓宇が一緒なら、ウチは大丈夫!」


【完】

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天龍国時間遡行伝 -時を越える男装剣士と金色の髪の皇子- indi子 @indigochan

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