第17話


 ***


「……化粧って本当にこれでいいのかな?」


 静から渡された手鏡で自分の顔を食い入るように見つめる朱亜。仲介人と共に潜入先の高級妓楼に行く途中、不安になって何度も確認していた。心なしか、仲介人とも目が合わない気がする。


 彼女の顔には白粉がべったりと塗り付けられていてなんだか顔色が悪く見える。それとは対照的に、口紅は真っ赤でまるで血が塗り付けられているみたい。目元は青く塗られていて、これじゃまるでお化けじゃないか、と朱亜は思った。けれど、静は自信たっぷりな様子で朱亜に化粧を施す。


「私は後宮で勤めていた時、女官たちの中で一番化粧をするのが上手かったんですよ! 私に任せておけば問題ありませんから!」


 なんて豪語していたけれど……朱亜は不安をかき消すように頭を掻こうとするけれど、その手はピタリと止まった。髪も結ってもらったのを忘れていた。短かった髪は付け毛で長くなり、頭のてっぺんあたりでお団子が結われていた。そこに静から借りた年季の入ったかんざしが刺さっている。


「本当に大丈夫かな?」


 先を歩く仲介人に聞くけれど、彼は何も答えてくれない。そもそも目が合わない。裏道を抜け市井と花街を区切る門を潜ると、いろんなところから視線を感じた。まるで邪王城の中に乗り込んだ時みたいだ、と朱亜は背筋を伸ばした。ここにいるのは、もしかしたら敵ばかりかもしれない。気を引き締めないと!


「……楼主、あの、こちらが……」


 花街の奥にあるひと際豪華な建物の前で仲介人は足を止める。多くの官吏や貴族が出入りするという、この花街の中では一番と言われる高級妓楼。そこののれんを開け、仲介人はとても言いづらそうに口を開いた。朱亜が同じようにのれんをくぐったとき、楼主と思しき老女が「ひっ!」と悲鳴を上げた。まるで化け物を見たかのように、目を大きく丸めている。


「アンタ! 良い娘がいるって聞いたから受けたのに、どんな上物が来るかと思ったら! なんて女を連れてきたんだい! これで18歳だ? こんな化粧で年齢隠してるんだろ!」


 やっぱり変な化粧だったんだ! と朱亜はがっくりと肩を落とす。楼主の叫びを聞いたのか、奥から煌びやかで艶やかな妓女たちが顔を覗かせた。そして、朱亜のことを指さしてクスクスと笑い始める。はっきりと聞こえてこないけれど、どうやら悪口も言われているみたいだった。だんだん、生まれて初めての感情が芽生えてくる。惨めで、とても恥ずかしい。いたたまれなくて朱亜がみるみる小さくなっていったとき、奥から一人の妓女が姿を現した。


「なぁに、うるさいんだけど」


 ゆったりとした寝間着を着ているのに、彼女の体つきの良さが分かる。ふっくらと豊かな胸元、キュッと引き締まった腰つき。そこから足までに伸びていく線は、まるで美しい壺を見ているかのよう。その妓女は朱亜を見て、ギョッと口を開く。


「何アンタ、ダサッ!」


 そうやってはっきり口に出してもらった方がありがたい、と朱亜は思う。言葉通り、顔を洗ってこの化粧を落としてから出直そうとしたとき、例の妓女が近づいてきた。朱亜の顔に触れる。


「この化粧、ずいぶん昔の流行りじゃない。誰かにしてもらったの?」


 鈴を転がすような声。妓女は長い髪を耳にかけ、朱亜をまじまじと見ながら「ふーん」と笑う。


「アンタ、私の部屋までついていらっしゃい」

「……え?」

「その化粧、直してあげる」


 先を行く妓女に続き、娼館の階段を昇っていく朱亜。彼女の私室は最上階にあった。こじんまりとしているけれど、服や化粧道具がちゃんと整頓されていて狭さは感じない。彼女は濡らした布切れを朱亜に投げ渡す。


「そのままじゃまともな客は取れないわよ。まずはそのダサい化粧落としてくれる?」

「は、はい!」


 手鏡を見ながら、ごしごしと顔をぬぐっていく。布はすぐに白粉で汚れていく。目元や唇の化粧は取れにくくて、妓女から油を借りそれを馴染ませることでようやっと落ちた。もう一度丁寧に顔を洗いなおしてから、朱亜は妓女の方を向く。


「目、閉じて」


 言われるまま、朱亜は目を閉じる。さっきはべったりと塗り付けられていた白粉の感覚はなく、ふわりふわりと頬に何かがつけられていく。くすぐったくて身をよじると「じっとしていて」と怒られてしまった。


 妓女は朱亜の顔に軽く白粉をつけ、顔色が良く見えるように頬紅を乗せていく。派手にならないように指先に少しだけつけて、頬骨のあたりにポンポンと叩きつけるように紅を広げていった。唇も同じように、中央に紅を乗せて周りはぼかしていく。目元は茶系の色で濃淡を作り、流し目が美しく見えるように目じりを少し過ぎるくらいまで、まつ毛の際には細い筆で墨を引いていった。


「ほら、これでどう?」

「……すごい! すごいです!」


 鏡に映る朱亜の姿は先ほどとは大違いだ! なんだか女らしい人間に生まれ変わったかのような気分になっていく。自分の顔をまじまじと見ている朱亜を見て、妓女は小さく笑った。


「あんな化粧でよくこの店に入ろうと思ったわね」

「ウチ、化粧の事なんてわからなくて。アレは人にやってもらったんだけど」

「ずいぶん昔の化粧をする人だったわよ。まだ知っている人がいるのね。……私の祖母がよくやっていたから懐かしかったけれど、今見ると本当にダサくてびっくりしちゃった」


 重ねて何度も「ダサい」と言われると、静が可哀そうになってくる。


「直してくれてありがとう! えーっと、名前……」

魅蘭ミランよ」

「ウチ、朱亜って言います。これからよろしくお願いします!」

「アンタ、その「ウチ」っていうのもやめなさい」


 え、と朱亜は首を傾げる。


「ここに来る男が求めるのは、ケバい化粧の田舎から来た娘じゃないの。大人の魅力や知性溢れる、艶やかな女よ。せめて「ウチ」じゃなくて「私」と言いなさい」

「はい……」


 朱亜は尻込みしてしまう。萎縮していく彼女に気付いたのか、魅蘭はお節介を焼く。


「今日は私の座敷について、そこで所作を覚えたらいいわ。まだアンタが客を取るなんて無理そうだもの」

「あ、ありがとう!」


 下にいる楼主の声が聞こえてきて、外が騒がしくなっていく。いつの間にか陽は傾き、眩しい夕日が部屋に差し込んできた。官吏たちが仕事を終える時間だ。魅蘭は手早く化粧を終え、髪型を整えていく。


「そこにある私の着物、着てもいいわよ」

「いいの?」

「だって服もダサいんだもの」


 がっくりと肩を落としながら、朱亜は魅蘭の着物を借りる。朱亜がその薄っぺらい体に帯を巻き付けていると、横にいる魅蘭は上衣の胸元を広げていく。下裳は胸の谷間が見えるように少し下げてその乳房を際立たせるように帯を巻いていく。その性的な姿を見て、ここでは一体何が起きるのか、ということに気付く。魅蘭は匂い袋を帯の隙間に仕舞いこんだ。ふわっと香る、甘い花のような匂い。朱亜がそれに引き寄せられているのに気づいた魅蘭は、口角を上げて笑った。指先で朱亜の顎に触れクイッと持ち上げる。


「この妓楼で一番の妓女である私が直々に教えてあげるんだから、ちゃんと学びなさいね」


 その唇も目元も、所作も色っぽい。彼女に夢中になる男の気持ちがわかるような気がした。魅蘭は「これ、忘れてるわよ」と朱亜の帯に扇子を差し込む。


 一番広い宴会場に向かう。引き戸を開けていないのにもう盛り上がっている声が聞こえる。魅蘭が宴会場に入ると、それだけで盛り上がる。どうやら偉い役人が主催する宴会らしく、多くの妓女が宴席について客をもてなしている。


「おぉ! お前が新しい妓女だな!」


 朱亜が続くと、そう囃し立てられた。もう噂が広まっているらしい。「全然変な化粧じゃないじゃないか」とか「貧相な女だなぁ」とか、男たちは言い放題だ。


「お前! 舞ってみせろ」

「え?」

「舞が上手かったら今宵の相手をさせてやる!」


 舞えと言われても……朱亜が知っている踊りなんて、故郷で雨不足の時に踊っていた雨乞いしか知らない。仕方なく朱亜はそれを踊る。両手を上げて、雨を表現するようにヒラヒラと振りながらひょこひょことつま先でカエルのように飛び上がると、さっそくヤジが飛んだ。


「なんだそれは! 馬鹿にしているのか!」


 酔っぱらいのヤジ、本当に腹立つ。ぶん殴ってやろうとかと思うけれど……ここに来るまで色々と尽くしてくれた静のことを思い出して心を落ち着かせた。静だけじゃない、皓宇だって朱亜が探ってくる情報を待っているはずだ。初日で躓くわけにいかない。


「ならば、これはどうだ?」

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