オーラ

 ソフィーはかつて魔法使いに変身魔法をかけられた。そしてこの目の前のソファーに横たわる少女も変身魔法をかけられていたのだ。


 変身魔法をかけられてしまうと、普通の人間にはなにを言っても言葉が通じない。それはソフィーが実際に経験したことだ。

 つまり今巷を騒がしている行方不明者のほとんどはソフィーやこの子のように、悪い魔法使いに変身魔法をかけられて、自力では解くことも魔法をかけられたことも伝えられずに人知れず泣いているのかもしれない。いや、きっとそうなのだろう。


「それは……僕も考えたよ。けれどもしそうだったとしたら、犯人の動機がわからないんだ。動物に姿を変えさせて捕食する……わけでもないようだし、ただ無作為に魔法を使うことになんの理由があるのか……協会から頼まれて今回の件について調査を進めてはいるけれど、さっぱりわからないんだ」

「ルゼルさまのお仕事はそれだったのですね! さすがです! ……と、感心している場合ではなくて」

「うん?」


 首を傾げるルゼルにソフィーは自信有り気に口を開く。


「私にいい案があるんです」

「だめ」

「なんで⁉︎」


 しかし案を出す前にルゼルに断られてしまった。

 ソフィーは不服そうにルゼルの足元をくるくると回りながら飛び跳ねた。


「今回の失踪者多発事件に魔法使いが関与しているのなら、それは僕たち魔法使いが解決するべき仕事だ。だからソフィーは首を突っ込んではいけないよ」

「私には動物に姿を変えられてしまった人と話すことができるんです! だから変身魔法をかけられた人を探すお手伝いくらいできるはずです!」


 ルゼルの足元でソフィーは懸命に大声を出した。

 変身魔法をかけられた者の声を聞くのは、おそらく人の姿をしているときではできないだろう。しかしこのうさぎの姿をしている今なら、先程フクロウに姿を変えられてしまった少女の言葉がわかったように、他の犠牲者の声を聞いてあげられるはずだ。

 魔法を使えないソフィーでも役にたてる。


「でも危険だよ。さっきのフクロウは中身が人間だからソフィーに襲い掛からなかった。でも本物のフクロウだったら? こんなに小さなソフィーは丸呑みにされておしまいだよ」


 そう言ってルゼルはうさぎ姿のソフィーを抱きかかえた。


「私はソフィーに危険な目に遭ってほしくないんだよ」


 ソフィーを見つめるルゼルの細められた目は、心配そうに、そして悲しそうな色をしていた。


「……大丈夫です。うさぎって結構俊敏で跳躍力があるんです。ここはどうか、私と――うさぎの力を信じてくれませんか?」


 ルゼルの腕の中で真っ赤な瞳が彼女を心配する彼の瞳をまっすぐに見つめ返した。ルビーのような輝きを放つその瞳はそう簡単に割れそうにない。


「…………」

「……」

「…………」

「……」

「…………どうしても?」

「はい。私も力になりたいです。私にできることがあるのに、なにもしないなんて私はきっと自分自身を許せなくなってしまいます。私が私らしくあるために、できることをしたい。これが私の願いです。宝石よりもネックレスよりも綺麗な花束よりも、私が欲しいものです」


 自分が自分らしくあるために絶対に折ることができないもの。たとえ危険がはらんでいようとも、やらないと後悔するであろうこと。

 いくらルゼル――夫に止められても誰かの役に立ちたい、誰かを助けたいという気持ちだけは抑えられない。


 ソフィーは平民の家に生まれて、十五の齢で侯爵家の使用人となった。

 もちろん当初はわからないことだらけだったし、ミスを何度もやらかして、何度も何度も叱られた。

 いくらソフィーが同じようなミスをしても、他の使用人たちはソフィーの教育に手を抜かずに何度も根気よく練習に付き合った。

 ずっとソフィーが一人前の使用人になれるように協力してくれた。侯爵家に娘が生まれ、その侍女に選ばれた時はすごく嬉しかったし、メイド長も使用人たちもとても喜んでくれた。

 助けられてばかりだったソフィーが今度は新人の世話をして、お嬢様の面倒を見るようになって、人は助け合って生きていくものだと痛感した。


 人にできることに限度はある。けれど、だからといってなにもしないのは別の話だ。

 ソフィーは人の善意を信じ、人の役に立てるような人になりたい。だから、ここばかりは引くに引けない。

 だって、そこにソフィーにでもできる仕事があるのだから。


「……はぁぁぁ」


 目をそらすどころか瞬きすらしないでただまっすぐにルゼルを見つめるソフィーの瞳に根気負けしたのか、ルゼルは大きなため息とともにその場に座り込んだ。


「どうしてきみはそんなにも綺麗な色をしているんだろうね」

「色?」

「僕にはオーラ、というのかな。それが見えるんだよ。ソフィーのオーラは初めて出会ったときから今でもずっと……とても綺麗な色をしている」

「オーラ、ですか。私はいったいどんな色をしているんですか?」

「……秘密」

「えっ」


 ソフィーの問いに、ルゼルはふいっと顔を逸らしてしまった。


「ルゼルさま……?」


 顔を逸らされてしまったので表情はうかがえないが、長い髪の隙間から見える首筋が心なしかいつもより血色がいいような気がする。


「あの……?」


 もしかして怒らせてしまったのだろうか。

 ルゼルは大魔法使いだ。ソフィーの助力なんてなくても一人ですべて解決できるのかもしれない。

 人を助けたいと思っての発言だったが、もしかしたらソフィーがいる方が足手纏いになってしまう可能性を考えていなかった。


「す、すみませ」


 伝説、大魔法使い。そんな敬称を授かったルゼルにでしゃばった真似をしてしまったと思ったソフィーはとっさに謝罪の言葉を口にしようとした。

 大魔法使いに手伝うと言うのはプライドを傷つける行為だったかもしれないと反省したからだ。

 しかしソフィーが謝るより先に、ソフィーの額にルゼルの唇が落とされた。


「へっ⁉︎」


 動揺するソフィーの体が人の姿に戻る。

 うさぎの状態で抱き抱えられていたので、人の姿に戻ってもソフィーの体はルゼルの腕の中だ。それが余計にソフィーの頭を混乱させた。


「……くれぐれも無茶をしてはダメだよ」


 肩にのしかかるルゼルの頭。あまりの密着度の高さにソフィーは頷くことしかできなかった。

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