犠牲者・フクロウ

 ソフィーが登る、庭の端に植えられた大きな木は、庭を一望できる高さまで育っている木だった。


「あっ、ルゼルさまだ」


 屋敷は二階建てで、ルゼルの書斎があるのは二階の庭に面した部屋だ。ちょうどこの位置からルゼルが机に向かって書類を眺めているのが見えた。


「とても真面目な人……」


 魔法使い、とくに伝説と呼ばれるほどの大魔法使いがどんな仕事をしているのかは知らないし、ルゼル自身が話そうとしないのでわからないが、きっとソフィーにはできないような難しいことをしているのだろう。

 毎日持っていっている紅茶やお茶菓子がルゼルの疲労を少しでも減らせていたら、とそう思って仕事をしているルゼルを数分の間、木の上から見つめていた。


「そろそろ戻ろうかな」


 あまり変身魔法にかかっているままだと、ルゼルに迷惑をかけるかもしれない。

 ソフィーがルゼルにできることといえば普段の家事と、料理を用意することくらい。仕事の手伝いはできないので、せめて迷惑をかけないようにとソフィーは木から降りようとした。


「ホー」

「……フクロウ?」


 本来なら夜行性のはずのフクロウの鳴き声が聞こえた気がして、ソフィーは足を止めて振り返った。庭との境にある柵の向こうにある木、その枝に一羽のフクロウが留まっていた。


「今の私はうさぎ……もしかして狙われたりするのかな」


 フクロウは猛禽類だ。ネズミなどの小動物も食べる。そう考えるとソフィーの顔から血の気が引いていった。


「あ、遊ぶのはこのくらいにして早くルゼルさまのところに戻らないと!」


 そうだ。魔法がどうのというよりも、うさぎには天敵がいるのだ。いつあのフクロウがソフィーに気が付いて襲ってくるかわからない。ソフィーはできるだけ気配を殺すように努力して、木から降りようと飛び降りる木の枝を選ぶ。


「ホォ……」


 うさぎソフィーを支えられる頑丈な枝を見極めていると、またフクロウの鳴き声が聞こえた。しかしどこか先程より元気がない。


「ママぁ」

「え?」


 枝を一本一本折らないように気をつけながら慎重に気を降りていたソフィーの動きが止まる。


 フクロウから、子供の声がした気がしたのだ。


「助けてぇ……帰りたいよぉ」


 聞き間違いではない。ソフィーの見つめた先で、フクロウはへろへろと力なく泣き言を言っていた。


「……もしかして」


 街に下りたときに小耳に挟んだ行方不明者多発の話。そして今のソフィーの姿。それらを掛け合わせて考えると、最悪の可能性に気が付いてしまった。


「ちょ、ちょっとそこのフクロウさん!」


 フクロウはうさぎを襲うかもしれない。しかし、声をかけないわけにはいかなかった。


「? だれ、どこ?」

「こっちこっち!」


 ソフィーが木の上でぴょんぴょん飛び跳ねるとフクロウがこちらに飛んできた。


「うわっ!」


 急に寄ってきたフクロウに驚いたソフィーは足を踏み外し、重力のままに落下していく。


「危ない!」


 しかしソフィーのふわふわな体が地面に着く寸前にフクロウがソフィーの体を鷲掴みにしてくれたので、落下の衝突を防ぐことができた。


「た、助かりました……」


 ソフィーはどくどくとうるさい心音を宥めながら助けてくれたフクロウに礼を言った。


「ううん、私が急に飛んじゃったから驚かせちゃったみたいでごめんなさい。でもあなた、私の言葉がわかるのね!」

「はい。もしかして、なんですけどあなたは人間……だったりしますか?」


 普通に生きていたらまず絶対にしないであろう質問をソフィーはした。

 するとフクロウはソフィーを安全に地面に降ろして着地するとゆっくりと頷いた。


「うん、そうなの。ママに頼まれてお買い物に行って、気が付いたらこんな姿になっちゃっていたの。もしかしてあなたも?」


 やはりそうだ。ソフィーもかつて通り魔的に変な魔法使いに姿を変えられてしまったことがある。このフクロウも同じなのだ。同じ魔法使いに襲われたかまではわからないが、悪意を持った魔法使いに変身魔法をかけられてしまったのだろう。


「私も人間です。今うさぎの姿になっているのはルゼルさまに頼んだからですけど……」

「るぜるさま……?」


 ソフィーの言葉にフクロウはこてんと首を傾げた。


「ああ、えっと、なんて言えばいいのかな。とてもすごい魔法使いの方なんです」

「魔法使い……なら私の体も戻せるの?」

「たぶん戻してくれると思います! 私も一度ルゼルさまに助けてもらいましたから!」


 ソフィーより大きな体格のフクロウは瞳を潤ませた。きっと一人きりで、誰にも言葉が通じずにつらい日々を過ごしていたのだろう。

 ソフィーには変身魔法を解く力がないが、魔法を解除できる人を知っている。


 ソフィーは今にも泣き出しそうなフクロウとともにルゼルの部屋に向かった。書斎の前につくと小さな前足で扉をノックする。


「はい……もう満足した?」


 部屋から顔を見せたルゼルはソフィーの隣にフクロウが並んでいるのを見て目を丸くした。


「そのフクロウは……」

「あっ、違うんです! べつに私のことを襲ってきた悪いフクロウさんではないんです! ただ」

「人間、だね」


 状況を説明しないと変な誤解をされかねない。そう思ってソフィーが口を開くとその言葉を遮ってルゼルがそう言った。


「さすがルゼルさま……一目見ただけでわかるのですね」

「魔法の気配が残っているからね」


 ルゼルは頷くと、フクロウにかかった魔法を解いた。

 するとフクロウは瞬く間に女の子に姿を変えた。


「え、すごいすごい! 戻れたわ! これでママのところ、に……」


 ぱぁっと顔を明るくして喜んでいた少女だったが、突然ぐらりと体を揺らすと倒れ込んだ。


「おっと」


 まだ十二歳ほどの少女を抱きとめたルゼルにソフィーは尋ねる。


「る、ルゼルさま、その子は大丈夫なんでしょうか?」

「大丈夫だよ。変身魔法の副作用的なもので一時的に体調が悪くなっているだけだから。熱が出ても解熱剤を用意すればすぐに良くなる」


 そう言ってルゼルは少女を客間に連れて行き、ソファーに寝かせると、ソフィーに手を伸ばした。


「じゃあ、ソフィーの魔法も解いて……」

「待ってください!」


 急に大声を発したソフィーにルゼルは驚いた顔を浮かべて手を止めた。


「最近、ふもとの街で行方不明者が多発しているのはルゼルさまもご存知ですよね? それでその、この子はフクロウにされていたので、もしかしたら」

「行方不明者は動物に姿を変えられているかもしれない、って?」

「はい!」


 ルゼルの言葉にソフィーは力強く頷いた。

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