第10話 等価値の愛 1

 泥のように眠り、朝日を受けて起床する。

 魔法薬を飲んで体調が整ったら、少しだけ窓を開けるのだ。朝特有の澄んだ空気と、鼻腔を埋める樹々の香りが心地良い。


 刹那、視界の端を何かが横切った。

 驚いて目で追うと、筒状の紙を咥えた鳥が、窓枠に佇んでいた。白い羽根に虹色の尾。長い睫毛を携えた、美しい鳥である。が、何故か私から視線を外し、かったるそうに首を倒していた。時折、白目を剥いているように見える。


『早よ受け取れや』


 そう言われている気がした。

 恐るおそる紙を掴む。

 その瞬間、突風に襲われて、反射的に目を閉じた。再度目を開くと、鳥は豆粒ほどの大きさとなり、青い空を飛んでいた。いくらなんでも速すぎる。


 呆然と空を眺めていたが、手の中の違和感に意識を引き戻された。目の高さまで持ち上げると、裏面に文字を見つけた。

 “ブラン・アミエイラ”──几帳面な字。

 慌てて開けば、同じ筆跡が広がっていた。


『患者が暇してる日時をお伝えします。

 その日に指定の場所へいらっしゃい。

*直近の日付が直近すぎるけど、何もその日に絶対来いって言うわけじゃないからね』


 数字を追うと、直近は今日だった。

 下の方には、力強い筆致の文がある。


『受け渡しの際は子爵邸にいらしてください。(すぐ来いって訳じゃありません。希望日なら何時でも大丈夫ですからね!)』


 上はアミエイラ様。下は患者本人だろう。

 お二方とも、注意書きの雰囲気が似ている。

 なんだか可愛らしい。肝心の希望日は、今日以外は1ヶ月以上先のものばかりである。


 昨日の採取で疲れているし、お心遣いは有難かったのだが……。結局、エプロンを掴んで、調合器具のある部屋へ急いだ。道中で使う分の薬材を回収しつつ、歩を進める。


 そういえば、あの鳥がこの文章を運んできたということは。


「あの子、アミエイラ様の鳥なのかな」


 さっきの感じだと、配達業務が嫌で嫌で仕方ないのかもしれない。次は迅速に受け取って、即刻家に帰してあげよう。



 火の上に鎮座する、大きな薬鍋を眺めた。鍋の隣には、テーブルと加工済みの薬材が置いてある。

 湯気が立ち始めた頃に、デギの葉を切って、カメリアの花と共に煮る。色素が溶け、俄かに暗色を示した時、カメリアの朝露を入れるのだ。縦に長い薬壺を用い、確実に流し入れる。


 棒でかき混ぜる速度は、“とてもゆっくり”。

 どの薬学書を読んでも、この工程だけは常に抽象的だった。何故なんだ、1番大事な箇所だろうに。合っているのか不安になりながら、薬液が粘性を獲得するまで、ひたすらに混ぜる。


 十数分後に、夜空を閉じ込めたような薬液が完成した。1掬いだけ口に入れると、柔らかな蜜の甘さが広がった。同時に、足の筋肉痛が和らいでいくのを感じる。


 ため息を吐きながら、薬鍋を覗いた。

 失敗した。即効性がありすぎる。

 なんだか想像よりも薬液の色が濃い気がするし、煮る時間が長かったのかも。と、テーブルに向け一歩踏み出した時、気づいた。足の治療が止まっている。先ほどよりはマシだが、重怠さは健在だった。


「すぐ効くけど、あんまり効かない?」


 望んでいた塩梅だ。

 薬液を瓶に詰め、改めて、カルテと今朝の紙を見比べた。カルテに名前の記載は無い。

 今回は就任試験だから、当然ではあった。

 私は薬師ではないのだから。それに、専門家以外には、病状を知られたくないと考える人もいる。父以外には体調を明かせなかった、過去の私のように。


 改めて読んでいると、今朝もらった紙の末端に、読み飛ばしていた部分があった。キチンと読んだつもりだったが、所詮寝起きの頭という事なのだろう。気づけて良かった。


 目を通す。

 ──ヴァイス・アミエイラ。

 アミエイラ子爵閣下の名が、力強く記載されていた。




 子爵邸は町の南端部と森の間に位置しており、森を超えた先は崖、および海がある。


 完成した薬を提げた私は、赤を基調とした、品の良い客室に居た。部屋の中央は、テーブルを挟んで、ロングソファが2脚置いてある。私は片方のソファに座り、縮こまっていた。華美でなく、歴史があり、価値も高い品々が、淑やかに部屋を飾っている。

 とても好みの部屋だ。こんな状況でなければ、感嘆しながら部屋を見渡していただろう。

 


 尚、本日2度目の子爵邸だったりする。

 最初に来た際、街の方々から『あらまぁ随分と顔色が良くなって』『元気そうで良かった』というお言葉と共に、食材と薬材を賜った。

 1ヶ月過ごして、なんとなく感じたのだが。

 恐らく、この町にとって、食材は貴重品だ。

 にも関わらず、私に持たせてくれた。

 その嬉しさのあまり、片っ端から受け取ったら、鞄がはち切れそうになっていたのだ。


 なので、荷物を整理して出直したのだが。

 緊張は解れず、激しい心音を聴きながら震えていた。1つ、どうしても拭いきれない懸念があるのだ。


 閣下は“私”をご存知なのだろうか。

 私は社交を絶って長い。

 同年代の方は、魔術学校の同窓生以外、私の容姿さえご存知ないでないはずだ。だが、父の世代では違う。幼少期は、容姿も能力も事で有名だった。


 それに、学校を脱走した。

 何故か追っ手は無いままだが、噂が立っていないはずがない。ブラン・アミエイラ様からは『特に何も聞かないけど、それはそれで妙』と聞かされているが、仰る通り妙なのだ。学生が逃げたとあれば、追跡して捕まえるはずだ。父にしても、後継者を逃す訳にはいかないはず。

 それなのに、何故。


 コンコンコン。


「入室しても良いかな?」


 落ち着いた男性の声が響いた。


「どうぞ」


 声が震えてしまった。

 深呼吸し、膝の上で硬く握り拳を作る。

 どちらにせよ、聞かねばならない。

 今、伯爵家がどうなっているのかを。

 私が犯した罪と、直視すべき時が来たのだ。

 勢いをつけて立ち上がった。

 

 扉が開く。

 豊かな茶髪を撫でつけた、背の高い男性。

 アミエイラ様とそっくりな、端正な顔立ちをされていた。杖を付いて、腰を庇いながら入室してくる。澄んだ茶色の瞳と目が合った。

 彼の顔が、ゆっくりと驚愕に染まっていく。


「……驚いた。まさか本当にだったとは」

「やはり、ご存知だったのですね」

「いいえ。容姿と時期的に、“もしかしたら”と思っただけです。貴女は隣国にいらっしゃるものだとばかり」


 カーテシー令嬢の挨拶をすると、閣下もお辞儀で返してくださった。


「改めて、初めまして。ワタシは、ヴァイス・アミエイラ。本領の領主で、今回の依頼人です。ええと……申し訳ありません。何とお呼びすれば良いでしょう? 娘達に倣った方がよろしいでしょうか」

「初めまして。トリチェ・ルドビカと申します。ご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありませんでした。どうぞお好きにお呼びください、閣下」


 閣下は眉を下げ、苦笑した。

 優しい方だ。私への配慮を強く感じる。


「それでは、トリーさんと呼ばせてください。話し方も崩させてもらうよ」

「痛み入ります」


 互いに目を合わせ、そっと笑んだ。

 2人して向き合うように座る。

 どうしよう、何から話せば良いんだろう。

 住まわせてもらってる事の感謝?

 単刀直入に、社交界の現状を聞く?

 それとも──。

 ハッとして閣下を見やると、目を細めて微笑んでいらっしゃった。


「では、本題に入ろう。トリーさんは“薬師”を目指してここに居る、という認識でいいね」

「勿論です、閣下」


 そうだ。

 私は、薬師になる為にここへ来たんだ。


「私の為に、貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます。まずはこちらをどうぞ」


 鞄から薬を取り出して、机に置いた。


「これはシアリアという鎮痛薬をアレンジしたものです。薬剤は、デギの葉・カメリアの露と花です。本来は花の代わりに竜の血を用いるのですが、閣下は甘い物がお好きと聞きました」

「待った。ワタシは趣向を書かずに、依頼書を作成したんだけど。犯人はブランだね?」

「ふふ。ええ、恐らく」

「全くあの子は。腰の事も気づくし、日に日に目敏くなるなぁ」

「あら、隠されていたんですか?」

「そうなんだよ。最近まで隠してたんだ。心配かけたくなかったからさ。まぁ結局、子供達とシエゴくんに凄く怒られちゃったんだけどね」


 眉間に指先を置き、唸ってらっしゃる。

 だから私にお鉢が回ってきたのか。

 病歴が長いなら、シエゴさんが処方済みでも可笑しくないと思っていた。それに、子爵閣下はお若いので、魔法薬ですぐ治しても、新たな怪我には繋がらないのでは? とも。


 けれど、痛みを隠していたのなら、話は変わってくる。“異変があったら共有して休む”事をご本人のマインドに刻まなければいけない。


「説明の続きですが……花を使う事で、風味が甘く、優しい仕上がりになっております。また、キルケー特有の魔力の多い花を使った為、効能も問題ありません。これを機に、しっかり静養なさってくださいね」

「うーん、耳が痛いなぁ。でも、ありがとう、トリーさん。では早速」

「あっ」


 閣下は左手で杖を持ち、右手で薬瓶を取った。そして、杖をチラと確認してから、一息で飲み干す。まさかこの場で飲まれるとは思わず、反射的に立ち上がった。


「か、閣下! 毒味は」

「ああ、大丈夫。杖が反応しなかったからね」


 そう言って、杖を掲げた。

 木製だと思っていた杖は、よく見ると最上部に医師が埋め込まれていた。表面には魔術式。魔術師製の判定具だろうか。確かにそういう物はあるが、閣下がお持ちだったなんて。シエゴさんが作ったのだろうか。


「それにしても、よく効くねぇ」

「即効性はありますが、完治には至りません。ひとまず、1週間服用していただいてもよろしいですか?」

「分かった。キルケーの植生もおさえているようだし、後で正式に営業許可証を発行するよ。少し早いけど、就任おめでとう、トリーさん」


 目尻を細めながら、さらりと仰った。

 思わず目を剥く。


「もっと衝撃的な告げ方の方が良かった?」

「いえ! そういうわけでは」

「あはは、だよね。いや、君の実力はさっきの会話で大体分かったし、ウチは人手不足だからさ。意欲ある若者は大歓迎だよ」


 閣下は杖を撫でながら、視線を下げた。

 自嘲するような笑みを浮かべている。


「君は魔術の知識もあるしね」

「私、魔術師は……」

「分かっているとも。ただ、アミエイラ子爵家は、歴史が浅い上に魔術が不得手な家門でね。他の貴族家のように、魔術師が常駐している訳じゃないんだ」


 アミエイラ子爵領は、歴史的に見ても極端に魔術師が少ない土地だった。魔術師が産まれない上に、求められない土地。魔術師からの学術的な注目度は高かったが、それだけだ。

 現子爵閣下が領主となられてからは、社交活動に重点を置くことで、魔術師との交流を深めていたが。


「この辺りは特に魔力濃度が濃いだろう。そのせいで植生が崩れ、農耕に支障が出始めているんだ。魔力に関しては、魔術師の手を借りる他ない」


 絶句してしまった。

 魔術師や魔法薬師からすれば、キルケー周辺の薬材は宝の山だろう。普遍的な薬材が膨大な魔力を持つ事で、希少素材の安価な代用品に出来る。事実、一部に高魔力素材は、キルケーの特産品だったはずだ。


 しかし、魔力を扱う職業は、母数が少ない。

 取引相手にお金があろうと、数が少なければ先細る。また、何故これほど魔力濃度が高いのか、理由が判然としない為、気味悪がって手をつけない者もいる。


 さらに、農耕は上手くいかず、財政は逼迫気味とあれば。喉から手が出る思いだろう。

 知らなかった。いや、予想はしていた。

 キルケーの食品は、どれも値が張る。

 なにか理由があるのだろうと思っていたが、土壌の魔力濃度がそこまで悪さをしているとは思わなかった。

 

「もう一度言うけどね。魔術師になって欲しいわけじゃないよ。君は薬師になる事で、十分、この土地に利益を齎している。強いて言えば、時々ブランとシエゴくんの調査を手伝ってもらえれば嬉しいけどね」


 一言一言、言い聞かせるように、丁寧に言葉を紡いでいらっしゃる。閣下は1度目を閉じて、私に向き直った。


「これはワタシのすべき事であり、君には君のなすべき事がある。そうだろう、トリーさん」


 ブラン様とよく似た話し方。

 澄んだ茶の瞳が、射抜くように私を見つめている。私のすべき事。口内で反復し、意を決して唇を開いた。


「あの、お聞きしたいことが、あるんですが」

「うん、いいよ」

「ルドビカ伯爵家と、王立魔術学校は──どうなりましたか」


 私は、薬師のトリー。

 魔術師のトリチェ・ルドビカとは、袂を分かたなければならない。その為に、古巣の情報は得なければ。


「王立魔術学校の失踪者に関しては、王室から箝口令が敷かれている」


 放たれた言葉に閉口してしまう。

 箝口令。私に対して?

 ──何故。


「知っているとは思うけど。あの学校は、王の管理下なんだ。そんな施設で、主席魔術師が消えたとなったら、責任問題になる。君の場合、家にも学校にも従順だったから、拐かされたんじゃないかって噂もあったね」


 私は自分で抜け出したのだ。

 私は……。

 肝が冷える。冷や汗が滲む。手が震える。

 もっと良い方法が、あったのではないか。


「知ってる貴族は知ってるし、命知らずは噂話をしたりもするけど。知らない人は本当に知らない。その程度の話になってるよ」

「……父は、なにか……」

「君については何も。私兵を捜索に回している様子も無いね。ただ、君がいなくなる前、女性の爵位継承権に関して、なにか提言をなさったそうだ」


 追われていない。

 一瞬安堵しそうになるが、クリスの言っていた事を思い返し、背筋が凍る。


『ルドビカ伯爵は法を変えるつもりだ。他ならぬあなたの為に』


 本気だったのか。本気で私を後継者にしようとしたのか。でも、なら、どうして、追っ手を寄越さない? どうして、私を探さない?

 見限られた。そうなら嬉しいけど、あの人の思考が読めないから、手放しに喜べない。


 父の適正魔術は、私と同じ空間操作系。

 それも、追跡術を最も得意としている。

 そう。……だから、父に見つからないよう、最も出来の良い隠蔽術を使って逃げた。追跡術をかけても反応が出ないよう、“私の体”以外に魔力痕を遺さない、最高傑作の魔術で。


 父を欺けた? 本当に?

 唇を噛む。痛みで思考が切り替えたかった。

 どちらにせよ、追っ手が出ていない事は事実なのだ。それだけでも、喜ばなければ。


「活発なのは、ルグウィン子爵令息かな。貴方の従兄弟殿は、主席魔術師として、隣国の訪問計画を立てているらしい。魔術発祥の地で理解を深めたいとか。ルドビカ伯爵も彼の案を支持しているそうだ」


 初めて安心出来る情報を聞けた。

 クリストファーは主席魔術師になった。

 父が後押ししているのなら、彼は父に期待されているはずだ。父は功利主義者だから、益の無い人間を嫌う。少なくとも、クリストファーはそうではないのだ。


 後継者の件がどうなったかは、彼らだけしか分からないだろう。元々、彼が指名を受けたのも、ルドビカ伯爵家とルグウィン子爵家しか知らないはずだ。


「ワタシに分かるのはこのくらいかな」

「ありがとう、ございました」


 深く深呼吸する。

 知れて良かった。

 気づけば、眉間に皺が寄っていた。

 指で揉みほぐしていると、閣下が立ち上がる音が聞こえた。

 

「ワタシはそろそろお暇させてもらうよ」


 名残惜しいけどね、と付け足して、残念そうに微笑んでいらっしゃる。慌てて立ちあがろうとして、手で制された。


「君はトリー。キルケーの薬師だ。ワタシが証書を出した以上、君の身分は“そう”なんだ。

 ここに居る間は、忘れないでね」

「……はい。ありがとうございます、閣下!」


 去っていく子爵閣下の背を見送る。

 私という人間が、忽然と姿を消した。それがこうも大事になるなんて、当時は考えてもいなかった。


 けど、後悔しているわけではない。

 私は父から逃れて、新しい身分を得た。

 クリストファーも変わらず父に目をかけられている。向こう数年、私が完全に姿を消せば、クリストファーが後継者として確約されるはずだ。


 その為にも、魔力を消す研究に尽力しよう。

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元主席魔術師の穏やかな余生。 燦々堂まつり @sansandou_matsuri

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