第9話 想い出

 国の南端に座すアミエイラ子爵領。

 その中でも南の果てに位置する町・キルケーに来て、1か月が経った。相変わらず、ルドビカ伯爵家や王立魔術学校からの追手は無い。


 体調に関しては、シエゴさんに処方していただいた魔法薬のおかげで、少しずつ回復しつつある。血の管を引き締めて血圧を上げる魔法薬らしく、毎日飲む事で人間らしい生活を送れるようになったのだ! 床を這っていた頃に比べれば、目覚ましい進歩である。


 しかもこの魔法薬は、構築式から薬剤まで、私のためだけに調整された代物。

 つまり、唯一品。すっっっごく高価。


 本来なら、アミエイラ家が“先行投資”という体で建て替えてくださるはずだった。

 しかし、市場価格を知った私は『この値段を継続的に人様に払わせる』事実に悲鳴を上げ、ぶっ倒れた。精神的負担で体調を崩したのだ。




 そんなこんなで『お願いだから私に払わせてください』と頼み込んだ結果、私は早朝から、小屋の裏手に広がる林を猛進している。勿論、目ぼしい薬剤を採取しながら、だ。


 今の私は、オパールグレーの長髪を結って、露出の少ない作業着を着、大きなカバンを背負っている。魔力吸収作用を持つ小石は黒い紐で括り、首から下げていた。小石の研究はあまり進んでいない。目下の問題は、魔力吸収を促進させる術が見つからない事だ。


 本格的に小石の実験に着手する際、シエゴさんは仰っていた。


『予想済みだと思いますけど、この件魔力吸収の文献は無いと思ってください』

『あぁ、やっぱり。仮に研究してても、一般的魔術師に“魔力を捨てる方法”なんてウケるわけないし、そもそも世に出ませんよね』

『よく分かってるじゃないですか。僕らは僕らのやり方で、試行錯誤しつつ頑張りましょう』


 現在は、周囲に害の無い効果かつ効率的に魔力を消費する身体強化術等を、小石に直接刻み込んでいる。物理的に魔力消費量を増やす事で、強引に魔力吸収を促しているのだ。


 この場合、消費される魔力は、予め小石自体が持つ魔力吸収作用により、所有者から小石に譲渡されている。その為、術式の発動者および魔力の所持者は“小石”という判定になる。


 しかし、小石が一度に吸収できる魔力量は少ないので、簡単な術式しか組み込めず、トータルの吸収量に変化は見られない。研究はトライ&エラー。短気は損気。分かってはいるが、基盤が殆ど無い分野で研究を続ける事は辛かった。


『あの…………これもう私たちで新しい魔術式作った方が早くないですか……?』

『珍しく気が合いますね……僕も同じこと考えてました……』


 つい先日、私達は疲弊した顔を付き合わせ、力強く頷いた。


 そういうわけで、次は回復術を応用した新規魔術の作成を目論んでいる。胸元で揺れる石を撫れば、桃色の魔力痕が走っていった。



 デギの木で構成された林は、暗色の葉のせいで鬱蒼としている。転ばぬよう強く地面を踏みしめて、奥地へ向かった。そこに群生するであろう“藍色のカメリア”を採取しなければならないのだ。


 というのも、処方された魔法薬の対価および営業許可証の条件が『キルケーの植生を理解し、患者に適した薬を作る事』だったためだ。


 昨日のお昼過ぎ。薬材の整理をしていたら、アミエイラ様がやってきて、患者の事を教えてくださった。


『患者は甘い物が好きで”慢性的な腰痛”に悩んでるわ。重い症状じゃないし、なによりお年を召しているから、回復術とか魔法薬で一気に治しちゃうと危ないのよね』


 アミエイラ様は患者のカルテと私の顔を交互に見ていた。何かを期待する目だった。


『良くなったのは病状だけ。なのに、”体全部が若い頃に戻った”と勘違いして、更に大きな怪我に繋がるかも。ってことですよね』

『大正解〜! よく勉強してるのね、トリー。

 それじゃ、この人のこと任せたわよ』


 アミエイラ様は満面の笑みを浮かべ、カルテを手渡してきた。

 嬉しそうな彼女を見ると、自然と笑みが溢れる。カルテを受け取り、手元に視線を動かした途端、腕を掴まれた。真顔のアミエイラ様が私を見つめている。


『いい、トリー。疲れたら休みなさいよ。

 病み上がりなんだから無理しないで。

 難しいと思ったら人の手を借りなさい』

『は、はい!』


 淡々と告げられた言葉に、肩をすくませながら返事をする。アミエイラ様の茶色の瞳が煌めいた。人心を見透かす、フクロウの瞳。

 彼女は溜息を吐き、脱力した笑顔を見せる。


『貴女、本当に嘘つかないわね。安心したわ』

『ふふ。最近指摘されて気づいたんですけど、それが私の美点みたいです』

『……ねぇ。もしかして、シエゴに何か言われた? なんてことなの。貴女は患者だから外面のままいくのかと思ったのに』


 アミエイラ様は眉間に皺を寄せた後、俯いた。フォローを入れなければ。確かに彼との会話は不快な事もあったが、学びも多いのだ。


『でも、そうね。本当にそう。みんな貴女みたいなら良かったのに』


 なんでもない事のように、サラリと返された言葉。彼女は顔を上げ、絶句した私を見た。


『……だってね、お父様もお兄様もシエゴも、皆あたしが心配すると嘘つくの。見れば分かるのに、失礼しちゃうわ!』


 冗談で誤魔化して、笑っていた。



 せめて、彼女が心配しないくらい、キチンとした成果を上げたい。その想いで歩を進める。

 群生地はもうすぐのはずだ。



 必死に足を動かしていると、開けた場所に出た。鼻腔を満たす、甘い蜜の香り。

 カッと陽が射して目が眩む。

 気づけば昼になっていた。


「見つけた!」


 深い藍色をしたカメリアの花が、絨毯のように一帯を埋めていた。風に巻かれて花が散り、陽を受けて淡い影を落とす。ぽっかりと開いた空だけが明るく、幻想的だった。


 呆然と眺めた後、ハッとする。

 花を採取しなきゃ!


 他所の地域ではまず見ない藍色は、成長過程で土壌の魔力を吸い、呈するようになる。実際に、眼前のカメリア達は竜の血と同格の魔力量を誇っていた。座り込んで、必要量と有事の際の保存用に分けて採取し、再度立ち上がる。


 刹那、脳天を貫く頭痛と、たたらを踏むほどの目眩に襲われた。脂汗と共に吐き気が生じ、たまらず口元を抑える。

 

「うえっ.....」


 肩で息をしながら、近くの切り株に腰を下ろした。鞄からシエゴさんの魔法薬(急に体調悪化した時用)を取り出し、一息に煽る。震える指で薬瓶を地に置き、腕を組んだ。暫く待てば復調するはずだ。瞼を下ろし、苦痛に耐える。



 今回作るのは、シアリアをベースにした薬だ。シアリアとは、鎮痛作用のある薬である。

 薬師が作る場合、デギの葉・カメリアの露・竜の血で精製するが、今回は竜の血ではなく、カメリアの花を使う事にした。


 竜の血は保有魔力量が多く、少量で薬の効果を上げられる。ただ、独特の苦味があるのだ。この間、シエゴさんの好意──半分は嫌がらせだったかも──で飲ませてもらったが、喉に絡みつく嫌な苦味で、中々飲み込めず苦労した。


 対するカメリアの花も効能増大作用を持ち、精製後は仄かな甘みが残る。患者は甘味が好きだと言うし、折角なら飲みやすい薬を処方したかった。


 けれど、この2つの魔力量は、天と地ほどの差がある。代用するなら、大量の花弁が必要だった。しかし、キルケーの土壌は魔力量が多く、特殊な植生を形成している。


 そうして、“特殊な植生”の一例として、以前アミエイラ様から教えていただいた採取場の中に「藍色のカメリア」の群生地が含まれていた事を思い出したのである。



 思考を巡らせている内に、段々と調子が戻ってきた。

 のろのろと鞄から地図を取り出して、忘れないうちに群生地の場所を記す。小屋から現在地まで指で追うと、相当な距離を歩いていた事がわかる。ついでに今日採った薬剤の場所を記せば、立派な分布図となった。


 キルケー周辺だけ黒く染まった地図を見ると、胸の内側が達成感で満たされる。行動範囲が広がり、まだ見ぬ世界を体感できることが、こんなにも幸せだなんて。


 ──私は多分、魔術の有無に関わらず、未知の探求が好きなのだ。


 シエゴさんに指摘されて以来、何かと昔の事を反芻するようになった。私が『どんな人間なのか』改めて定義したくなったのだ。褪せた想い出は幾つもあるけど、思い返すうちに彩りを取り戻した記憶もある。


 クリストファーと遊んでいた頃。あの頃から父の教育は辛く苦しい物だったけど、知らない魔術を知れる事は楽しかった。


『トリー、昨日より魔術上手くなったな!』


 なによりも、彼の笑顔が好きだった。

 クリストファーは些細な進歩を我が事のように喜んでくれた。彼が笑ってくれたから、私は自分を見失ずに済んだ。

 彼が去った後は、ひた隠しにしていた訓練の苦痛と焦燥感を強く感じるようになり、暗闇を歩くような気分で生きてきた。


「クリス……」


 掠れた声で、幼い頃の彼の愛称を呼ぶ。

 彼がまたあの笑顔を浮かべられる日が来る事を、直向きに願っている。

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