第3話 友人

 今私達がいる埃っぽい場所は、アミエイラ子爵領の南端の町・キルケーの外れにある小屋で、半年前まで町唯一の老薬師が居を構えていたらしい。健康面の不安から勇退されて以降、そのままなんだとか。


 「本当は貴女を子爵邸に運びたかったんだけど、お父様に猛反対されてね……」と悔しそうにするアミエイラ様に全力の感謝を捧げつつ、案内されるままに他の部屋を覗いてみた。


 店舗らしき部屋には薬棚やカウンターが。調合部屋には薬壺と薬材が入った瓶、使い込まれた薬学書が並んでいた。流石に薬材はダメになっていたけど、器材の方は手入れすれば使えそうだった。


「凄いですね、こんなに薬材があるなんて」

「この辺は良い採取場があるそうよ。気になるなら後で紹介するわ」

「ありがとうございます、アミエイラ様!」

「はいはい、どういたしまして。貴女への投資だと思えば安いわ。じゃあ、あたしは探し物があるから、本でも読んで待っててちょうだい」


 アミエイラ様は手を振りながら店舗部分に去っていく。彼女の背を見ながら思う──探し物なら私でも手伝えるんじゃないだろうか──助けてもらったのに何も出来ていないから、どうにか彼女の力になりたかった。


「私もご一緒させてください!」

「えぇ? さっきまで寝こけてたのに何言ってるのかしら。足手纏いだからや・め・て」


 さらりと一蹴されてしまった。

 おっしゃる通りである。




 魔術と薬学は密接な関係にある。

 体内の魔力で超常現象を引き起こすのが魔術師、万物に宿る魔力を用いて「爆発」や「筋繊維の復元」などの“超常現象を引き起こす要素”を集め、薬瓶に留めるのが魔法薬師だ。爆発させたければ火山のマグマを収集し、筋繊維の復元をしたいなら不死鳥の涙を採取する。それらの採取物に宿る魔力を己の魔力で抽出して、薬に混ぜるのだ。


 反対に、魔力を一切使わず、手作業で薬を完成させるのが薬師に当たる。

 魔法薬師の作る魔法薬は魔術師や貴族に重宝される高級品で、薬師の薬は一般用、という風潮もある。事実、魔力を介さない薬は本人の治癒力や科学現象に依存してしまうため、魔法薬に比べると薬効が劣ってしまうとかなんとか。


 こんな風に、私にも薬学の知識はあるし、なろうと思えば薬師になれるはずだ。

 薬師、なってみてもいいかもしれない。

 胸が高鳴った。


『伯爵家の者として、恥ずかしくない魔術師になりなさい』

 瞬間、怒りを滲ませた父の声が蘇る。

 心臓が跳ね、じわりと冷や汗が滲んだ。倒れる前にベッドに手をついて、大きく深呼吸する。埃が鼻腔に入り込んで、カビ臭い匂いが充満した。ここは伯爵邸ではない。私は父の目前にいるわけではない──暗示をかけるように、繰り返し唱える。


「まだ体調悪いの?」


 アミエイラ様がやってきて、背中をさすってくれた。こんな半病人の世話ばかりさせて、申し訳が募る。


「この小屋の権利書を持ってきたんだけど、後にした方が良かったかしら」


 ぽつりと呟かされたセリフに、思わず目を剥いた。


「くださるんですか? この小屋」

「いらなかった?」


 欲しいです……とは、言えなかった。

 父の声を思い出し、唇を噛む。物理的に距離を取っただけでは、あの人の思考を引き剥がせなかった。


「小屋を見て回ってる時の貴女、随分楽しいそうだったから、薬師をしたいのかと思っちゃったわ。ごめんなさいね」

「……楽しそうでしたか、私」

「自覚なかった? ふふ、あちこち見て回るたびにニコニコ笑っちゃって、可愛かったわ」


 思い出し笑いだろうか。口を押さえながら品良く笑うアミエイラ様は嬉しそうだった。


 “楽しそう”。

 久しぶりに言われた言葉だった。


『伯爵家の者として──』


 耳の奥で父の声が反響している。

 もうここに父はいないのに。


「今すぐは難しいかもしれませんが」


 口をついて出た言葉に、自然と口元が緩んだ。


「薬師になります。やらせてください」


 アミエイラ様は茶色の瞳を大きく開いて、すぐに破顔した。言葉が無くても分かる、私の決断を支持してくれているのだ。薬棚を見ていた時の私も、こんな風に笑っていたんだろうか。


「契約成立ね。よろしく、お嬢様!」

「はい、アミエイラ様」


 満面の笑みを浮かべるアミエイラ様から契約書を受け取って、ハッとした。私はまだ、彼女に名乗ってもいない。


「あの、宜しいのですか。名も知らぬ女と契約だなんて」

「今更? 言ったでしょ、あたし目が良いの。悪い事するやつはもっと入念に準備してくるものよ。瞳なんかあからさまにギラギラしてるしね。貴女の目は素直だし......なんか、ほっといたら死んじゃいそうだから」


 彼女は自身ありげに笑っていた。


「領民といて受け入れてあげる! 感謝してね」


 詳しいことは聞かない代わりに、自身も詳細を伝えない。ギブアンドテイクの関係ではあるが、彼女からは確かに情を感じる。嬉しくて涙が滲んでしまった。私はつくづく運が良い。


 感謝の念を刻み込むようにサインした。

 トリー。

 幼い頃の愛称を、新しい名前にする。


 ブラン・アミエイラ嬢と私の友情は、この日から始まった。

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