第2話 利益

 気づけば薄暗い雑木林に出ていた。

 すっかり夜になっている。

 学校を出てから1日中転移術と隠蔽術を重ね掛けして、休むことなく森と伯爵領を駆け続け。魔力切れによる吐き気と眩暈で横転し、歩を止めてしまった。


 なんとなく、辺りの空気がじっとりと湿っている気がする。中央部に近い伯爵領はこのような気候ではない。ちらと林の葉を観察する。肉厚でギザギザの葉は、表側だけ深い緑色を呈し、裏側は青紫色をしていた。葉の形は南部の、色は魔力が多い土地のものである。


 唯一この特徴に当てはまるのが、アミエイラ子爵領だ。


 理解した途端、足が鉛のように重くなった。立ち上がる気も起きない。伯爵領を抜けた──人生で初めて、父の支配から脱した! 力無い笑顔がこぼれる。その事実だけで満足だった。このまま腐葉土になるのもいいかもしれない。重量に任せて瞼を下す。


「ちょっと、こんなところで寝ないで!」


 女性の声が聞こえた気がした。



 目を見開く。頭が痛い。

 木造の天井が見えた。なんとなく埃っぽい。

 指を動かすと、手触りの良い布が敷かれていた。寝かされているらしい。そっと頭部に手をやると、たんこぶができていた。転んだ時にできたものだろうか。横目で部屋を観察しても、珍しいものは無い。普遍的な木造の小部屋だった。魔力切れが尾を引いているのか、体がだるい。思考する気にもなれなくて、扉を眺める。


 暫くすると、ぎぃと音を立て、扉が開いた。


「あら、起きたのね。おはよう」


 扉をくぐって女性が現れた。

 緩く巻かれた茶色の髪に、澄んだ茶の瞳。

 整った顔立ちの彼女は、白い衣服を持っている。私が着ていた魔術学校の制服だ。顔が青ざめていくのを感じる。学校を出る際に、急いでかけた隠蔽術が解けている。誰がどう見ても、一般的な平民の服をかたどっていたはずのそれは、本来の姿を取り戻していた。


「......あ、の」

「あー良いのよ、起きたばかりで辛いでしょ。

 そのまま寝てなさいな。貴女、王都の学校から逃げてきたみたいだし。一度休んだら?」


 どうしよう。頭が回らない。

 制服にかけた隠蔽術は、対応する魔術式を用いなければ解除できない。つまり、私は魔術師に拾われたのだ。魔術師の多くは王侯貴族の血を引いており、当然、名門たる王立魔術学校の卒業生が大半である。逃亡者として通報されたら、父の元に引き戻されてしまう。

 そうしたら、待っているのは伯爵位だ。


「ふーん、悪いことした自覚はあるんだ。

 顔真っ白よ、学生さん」


 女性はにこりともしないで言葉を紡ぐ。

 立位のまま、寝転ぶ私を見下ろしていた。

 茶の瞳が細く歪む。


「言っとくけど、貴女が逃げたって情報はまだ来てないから。あたしも通報する気はないし」


 思わず、平然と言ってのけた彼女を凝視してしまう。


「なぜ……」

「なんでって......察するに余りある状態だったから、としか」


「自分がどんな風だったか自覚してる? 

 酷かったわよ。魔力がすっからかんだから、一般人かと思ったのに。服には高度な隠蔽術がかかってたし、本人も強烈な魔術痕が残ってるし。ケガとか多くて薄汚れてて。貴族のお嬢さんなのに、そうまでして逃げたかったんだ、って、あたしでも分かったわ」


 水を渡されたため、上体を起こして受け取った。節々が痛んで、自然とうめき声が上がる。


「あたしだって貴族だもの。時々だけど逃げたくなるわ」


 女性は私の背中に手を入れて支えてくれた。そこで初めて気づいたが、私が着ていたものは、貴族子女が好んで着る夜着だった。布が余っているので、眼前の彼女のものかもしれない。


 水がおいしい。何口か飲むと、咳混じりだが話せるようになった。彼女は咳をするたびに背中を撫でてくれる。優しい手つきがありがたくて、涙が出そうになった。


「隠蔽術を、見破ったのですね。簡単には分からないようにしたのですが」

「あー、それね。あたし目だけは良いの。魔術はからっきし。あなたの隠蔽術を破ったのも、うちのお抱え魔術師の仕業よ」


 女性の瞳がチカりと煌めいた。

 魔力の凝集反応によく似ている。

 ハッとした。


 “フクロウの瞳”──。

 膨大な魔力を持って生まれるが、特定の部位にのみ留まり続ける特異体質だ。魔力が瞳に集まると、他人の心理さえ見通せるようになるという。


 知識として知っていたが、見るのは初めてだった。こういった方は、自分の中の魔力を引き出せないため、魔術を使えない。好奇な目で見られやすいから、力を誇示する事も無い。それだけ、私の説得を優先してくれたのだ。


 王立魔術学校は、血統と実力が物を言う。

 非魔術師である彼女は、学校と無関係という事だ。


「どう、落ち着いた?」

「はい。別の意味で驚いきましたが……」

「あたしを信頼する理由にはなったでしょ?」


 少しだけ笑みを浮かべると、呼応するように女性が微笑んだ。


「じゃ、貴女は今日からここの領民ってことで!」

「えっ」


 領民って、アミエイラ子爵領の?

 驚いて絶句していると、女性は身を乗り出して挑戦的な笑みを浮かべた。


「ふふふ。逃げた事、学校に知られたくないのよね? 行くあてもないんでしょう? この辺は林と海しかないもの。国境を越えるような人があんな軽装なわけないし」

「いえ、でも」

「絶対逃がさないわよ。この辺はいっつも人手不足だから、優秀な魔術師は大歓迎! とりあえず子爵邸に住み込みで働いてもらうわ。あ、あたしの口利きがあったら大丈夫だから、安心して働いてね。契約内容は......」

「あの! 助けてもらってなんですが、魔術師として働く気はないです! そもそもあなたは誰ですか!?」


 まくしたてる彼女を見上げ、半ば叫ぶように告げた。


「あら、言ってなかったかしら」


 きょとんとする彼女は、私の腕を掴み返して笑った。全く悪いと思ってなさそう。


「言ってません! ああ、でも、助けてくださってありがとうございます。あのままだったらどうなっていたか」

「真面目ねぇ。良いのよ。ブラン・アミエイラとして当然のことをしたまでです」

「え.....ブラン・アミエイラ?」


 ──ブラン・アミエイラ子爵令嬢は、領地の人材不足を嘆いている。優秀な人が居たらすぐ雇用しにかかる“人材マニア”だ──


 遠い昔、社交界で聞いた噂話が蘇った。


「ええ。あたしはアミエイラ子爵の子、ブラン。どうぞよろしく、お嬢様。それで、貴女は何の仕事ならしてくれるのかしら?」


 そう付け足すアミエイラ譲は、ぎらぎらと瞳を輝かせていた。

 

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