第9話

 ――おそらく水脈・ュヰさんが『大事故』と表現した『ジャイアント・インパクト』とは、はるか大昔の地球に起きたとされる大規模な天文現象の事であろう。

 これは月が、どの様にして出来上がったのか、を説明できる、現在最も有力なだ。


 アポロ計画以降数多く続いた月面探査の結果、月を形作る主な成分は、まったく別に創られた天体では無く、地球のマントルを由来にした物質だという事が解かった。

 月は、地球から生まれた星だ。


 その謎を解き明かすために『誕生初期の不定形な地球が、高速な自転によって分裂した』等、様々な学説が出されたが、1975年に発表された『ジャイアント・インパクト説』は、これを見事に解説する。


 45億年前、原始の地球に火星ほどの大きさ(地球直径の、およそ2分の1)の仮説天体『テイア』が衝突した。

 その衝撃の強さは甚大で、一瞬にして高温に溶かされたマントルが宇宙空間へ放出し、地球の周りをドーナツ状にとり囲む。

 この輪っかが、お互い重力で引き合い寄り集まって出来たのが、主星に対して大きすぎる衛星『月』だ。

 月の中心部にも有るといわれる金属核が、他の天体に比べて貧弱らしいという事も、地球から剥がされた表面部分だけを材料にして作られたと考えればが合う。



「――離されそうになって、お互いに伸ばした腕が宇宙に残され、月になったのです……」


 当時の様子を思い出したのだろうか? ュヰさんは、かるく視線を落として眉を寄せる。

 すかさずソラが「るるる」と泳ぎ寄り、こめかみ辺りへ鼻面をくっ付けた。

 彼女の口元が、くすぐったそうにして軽く緩む。


 親し気な態度に、少し驚いた。育ての親であるビキニへ甘える仕草に似ている。

 やけに彼女との距離が近いのは、ソラが脈の子と言われる『龍』だからだろうか。

 ュヰさんが、細身のスーツの指先を伸ばすと「待ってました」とばかりに、しゅるんと腕へ絡み付き、彼女はそのまま胸へ優しく抱き入れた。


「ぐ、具体的には、どういった事が……?」


「二重惑星が接触した影響は空間をゆがめ、そこへ裂け目が生まれると、カ・クは、この世界へ飛ばされました……その傷跡がアチラでは『みらー・ぼうる』と呼ばれる穴として残り、コチラ側からは唯一、姉の姿を確認できる『天の水鏡』に成ったのです……」



 ――優れた説得力を持ったジャイアント・インパクト説だが、疑問をすべて解決する訳ではない。

 月ほどの質量を地表から剥ぎ取る大衝撃を与えた『テイア』の残骸が、いまだ見付からないのだ。


 地球のマントルの中に大陸大の岩盤が発見された時には、これがテイアでは無いのか? と議論も湧いたが、確証とはされていない。


 痕跡が最も多く残されていそうな月も、その組成のほとんどが地球由来の物質だと判っている以上、地球に飲み込まれたと考える他なかった。

 金属部分は沈んで中心部の核へ融合し、その他は溶解してマントルに溶け込んだか、あるいは蒸発後、宇宙空間へ放出したのか。


(ュヰさんの話しでは地球に接触したこの星が、マントルを引きずりながら宇宙の裂けめを通り、別の世界へという事か……確かに残骸が見当たらない説明には、なる……)



「――幸いコチラの太陽系は、元いた場所とよく似た環境でした」


 寂しげな表情のュヰさんだったが、少し明るさを取り戻したようだ。

 胸に抱くソラの存在に癒されたのだろう。

 可愛く見上げる、つぶらなターコイズが並ぶ額へ指を置き、すりすりと優しく愛撫を繰り返す。


と違って『第二番惑星』になりましたけどね……に該当した一番内側の惑星は、早い時期に恒星に呑まれてしまった様です……兄弟が多かったカ・クは、寂しい思いをしていたコチラの太陽系へ、いわゆる『里子』に出された形です」


「里子!?」


 自然そのもの! と言えるはずの大天文学に、そんな『人間ドラマ』が持ち込まれるのか。


「――理不尽な神の采配の所為せいで、姉から離されたカ・クは『憧れのハヴェ・ちきゅう』を天の水鏡の底に事しか出来なくなりました……『はじ・おせ』でビキニ・よろいさんを応援し続けていたマスターなら、このは解かって貰えるのでは?」


 まんちゅうを「ぽぽぽ」と浮かばせ息を呑んでいた俺は、吸い込みそうな黒い瞳に照らされ、見透かされる。

 言われれば確かにその通りだ……ビキニがオークに襲われそうになった時にも、見守る事しか出来ない自分を、おおいに呪った。

 もどかしい思いなど、もう何度も経験している。


(似ている境遇、かもしれないな……)


「――カ・クとハヴェは本来なら、宇宙を代表するの双子星になっていた筈です……離れていても、せめて姿かたちだけは姉に似せたいと、カ・クは天の水鏡を通して熱心に観察を続けました……そんな気持ちが、通じたのでしょうか? 優秀な姉は、それは美しい星へと成長して行きました」


 薄っすらと瞳を細めて、ュヰさんが憧憬の表情を作る。


「……私たちはハヴェをお手本に、さっそくカ・クの身を整え始めたのです」


 ゲーム開始直後に圧倒された、この星の美しい景色の数々は、彼女たち『脈』が憧れて、模倣していった結果の産物なのだろう。


(――地球に似せ環境を変えたのは、やはり脈のチカラか……にわかに信じがたい驚異のテクノロジーだ。ミスター・エムケイの所属する組織が、目を付けたのも頷ける……)


「――天脈が雨を生み水脈が流れ、岩盤を冷まして地脈が固まります……」


(――脈と名乗る偉い人たちは、どことなく『神さま』っぽいと思っていたが、彼女の『立場』は、いったい何だろう? たしか、ビキニの過去を教えてくれたメールには、その境遇を憐れむを見せていたが……)


 はじ・おせのを模倣した姿というが、光りあふれる水中で黒髪はしなやかに波打ち流れ、とても作り物だとは思えない。

 目の前に瞬く、力強い深みを持った瞳……それは、圧倒的に

 漆黒の鏡面には、色彩を無くして映る人面魚が、なんとも間抜けな表情だ。


「……そして、水脈と地脈の狭間である浅瀬に『息吹の輪環』の条件である『冥脈』と『命脈』が繋がりました。この星も生き物で溢れる事になったのです!」


「息吹の輪環?」


「生命の保管法則……近い言葉は『リンネ』でしょうか?」


「輪廻……」


(脈は、惑星の天地創造から生命誕生にまで、からんでくるのか……)


「――『息吹の輪環』が創られた事で、ふたつの星はグッと近い状態になりました……カ・クの努力が、無駄では無かったのです!」


「ど……どういう事でしょう?」


という共通項が出来たからです。『息吹の輪環』は、距離の弊害など関係がない、神のことわりそのものです」


「――! 距離の弊害が無い!? この星は地球から、うんと離れた場所に有るんでしょ!?」


 驚きの言葉に敬語すら忘れ、つい声を張り上げてしまう。


「ふ、ふたつの星は、物理的に行き来する事が可能な距離なのですかっ!?」


「? 息吹の輪環では物理的な距離や、時間の経過と云ったモノは、あまり意味が無いですね」


(――距離や時間の、意味が無い……)


 そんな、モノが……。



〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇



 本日の俳句。


『謎解きの ほぐるゆらりの 水中花』 マスター。


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異世界俳人ビキニ鎧ちゃん俳句紀行(夏) ー奥の細いひもー ひぐらし ちまよったか @ZOOJON

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