第5話 ➳ 春風


➳ ➳ ➳ ➳ ➳ ◉


――バシュンッ

       ――――パァーンッ!!


 俺は回廊から芝生を横切り、背の低い植栽越しへと移動する。

 俺は食い入る様に、弓を引く桜の姿を見つめていた。


 矢が放たれるたびに、自然と目で追いかけてしまう。

 風を切り裂く音に、何かが破裂するようなその音――それらの音色を聞くたびに、俺の心は何かに感化されていく。

 同時に今まで感じた事のない、躍動感に満たされていく――


――カシュ!

    ―――――パァーン!    

  ――カシュン―――          

           ――パァァーン!


 音が鳴り止み、桜が弓を引き終えた。

 矢が飛んで行く到達点には、土が盛られている。

 その上に置かれた、白黒模様の丸い的に刺さっているのは『合計で4本』全弾命中と言うのだろうか?


 俺は無意識のうちに、拍手をしていた。


 パチパチパチ―――


(俺も練習すれば、桜みたいに矢を飛ばせるのだろうか?)


 そんな俺の様子を見てか、桜は嬉しそうな笑い顔となる。

 桜は道場に座り、茶色いグローブと胸当てを外すなり、こちらへと歩いてくる。


「なんだ、もう終わったのか?」

「ちがうよ。矢取りだって〜〜」


 どうやら先ほど射った矢を回収するらしい。

 慣れた手つきで、刺さった矢を抜くと、俺にこんな事を言ってきた。


「なんだか顔つきが違うけど、もしかして弓道に興味持った感じ?」

「そうだな、さっきまで興味がないって言ってたけど。今は俺も矢を飛ばしてみたいと思ってる」

「そうかそうか! よ〜し、第一関門かんもんを突破とする!」


 ウキウキした様子で、桜はいきなり意味不明な事を言い出した。

 第一関門ってなんだ?

 俺は試練でも受けていたのか?


 そんな俺の心境は無視して、一旦道場内に戻った桜は、弓と矢筒を取ってきた。

 そして盛られた土の前まで誘導され、俺に弓と矢を渡してくる。


「的からこんなに近いけど、ここから引くのか?」

「そうそう。いきなり私と同じ場所で引くのは流石に無理。でもここからなら引いても安全だから大丈夫。だいたい"5メートル"くらいかな?」


 俺は桜に教えてもらいながら、弓を引かせてもらう。

 この時ばかりは、この強情さも悪くないと思う。

 俺は言われるがままに、左手で弓を持ち、右手の親指を除く4本で弦を引っ張ってみる。

 左肩くらいまで弦を引っ張ると、右手をパーの形になるように、動かしてみる。


―――パスん


 俺の飛ばした矢は、芝生の上に刺さった。


「ええ!? まじかよ……もっと簡単だと思ったのに……」

「でしょでしょ!? 私も最初はそう思ってたんだけど、結構難しいんだよ〜。さっきのは左手が動いたからで〜コツはこうしてー」


 桜は俺の背後に立つなり、俺の腕を掴み、左手や右手を動かしてくる。

 少し距離が近いせいか、またあの石鹸のような香りが漂う。

 なんだか、少し照れくさい気持ちになるのだが、教えてくれる桜の指示に従い、体を動かしていく。

 そしてもう一度、弦を引っ張り、手をパーにする。


―――パス


「お! 刺さった!!」

「そうそう。そんな感じ!」


 今度は的の左くらいに矢が刺さる。

 さっきと違い、進歩した事に対して、俺は無意識のうちに喜んだ。

 なんだか桜も、楽しそうに笑っている。


 それから――俺の稽古は昼頃まで続いたのだった。


➳ ➳ ➳ ➳ ➳ ◉


 弓道場の稽古を終え、制服に着替えた桜が道場から出てくる。

 俺は回廊沿いの芝生へと座っていたのだが、そこから立ち上がる。


 どうやらこの道場の貸し出しは午前中だけだったらしく、桜が射った矢は4本のみ。

 後は俺の稽古に付き合ってくれていた。


 結局、俺は的に矢を当てることは出来なかった。

 桜いわく、絶望的にセンスがないらしい。

 それはそうと、俺のワガママのために、桜が練習出来なかった事を謝った。


「いいのいいの! また私、練習しに来るからさ〜そんな事より、お昼ご馳走してもらうんだから、考え方によっては大収穫かも!!」

「ははは。まぁ稽古してもらったしな。何が食べたい?」

「あれあれ〜そんな事言っちゃっていいの!? よーし、そしたらね〜パスタがいい!!」


 賭けに負けた俺は、桜に昼飯を奢るために、弓道場を去っていく。


 なんだか少しだけ、名残惜しい気持ちとなる。

 申し訳程度の気持ちとして、桜が担いでいたリュックと矢筒は、駅まで俺が背負うと申し出た。

 ただ、弓だけは持っていたいらしく、その両手に握っている。


 そして駅へと向かう道中、神社沿いの道路を歩きながら『桜並木』がある道を通るように提案する。

 駅に行くには少し遠回りになるのだが、ただ桜はやはり楽しそうに弓道の事を話している。


 不思議と、その言葉が胸に響く。


「でさ、その事を、皆中かいちゅうって言うのよ! 試合とかだと、み〜んな拍手してくれるの! その時の気持ちがもう最高でね〜」


 4本の矢に対し、それら全てを的にてる事を『皆中かいちゅう』そう言うらしい。

 相変わらず、容赦なく弓道用語を吹っかけてきやがる。

 でも、昼飯を食べ終わったら、もう―――


 あ―――きれいだ――――


 俺は突然立ち止まると、前を歩くその後ろ姿をじっと見つめる。

 その周辺には、おしとやかに咲き乱れる、薄ピンクに染まった木々達。


(ご飯を食べたら……もう桜に会えない……)



 その時、俺の『心』は揺れ動いた―――

 その瞬間――そよそよとした春風が吹き――



 麗しきその黒髪が「ふわり」と『なびく』

 


           それと同時に――――

    『その人』はこちらを向く―――――

 


「ん? 急に立ち止まってどうしたの? 早く行こうよ〜奢りは今日だけなんだから、観念しなさい!!」


さくらは、4回的にてたんだから………あと3回、一緒にご飯食べに行けるよな?』


「―――え?」



 その春風は急に意地悪で。まるで旋風つむじかぜのようにしてその場に渦を巻く。


 長い黒髪が舞いあがり、桜花の華やかな花びらが、優しく舞い踊る。


 その一瞬が――とてつもなく長く感じて――

 そしてゆっくりと、風は吹き止む―――


 〝ひらひらと舞う、春色の花びら〟


 その女性は―――『笑い顔』


 俺はその女性の隣へと、小走りに歩み寄った。

 そして少し照れたようにして、桜はこう言った。


たける君……私の事は、彩音あやねで良いよ? ……なんか…なんか調子くるっちゃうな……」

「じゃあ! お昼御飯、お寿司にしないか? 美味しい店、知ってるんだよ!!」

「うん……。一緒に行こう!」


 俺は駅に向かいながら、楽しそうな彩音の話を聞いている。

 不思議と今は、いつまでも聞いていられそうだ。



 俺の右の頬には「愛らしい狐の絆創膏」


 そして俺の隣には『愛らしい女性』



➳ ➳ ➳ ➳ ◉ ➶



 こうして、弓道大好き少女こと、桜彩音とご飯を食べに行く事となる。



【それは3回でもなく、4回でもなく。数え切れない程にな】



――〈FiN〉――




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『23』メートルの〝恋〟 もっこす @gasuya02

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