Ending
旅情 1
レイヴン処理班は周辺一帯に規制線を張って人払いをしていたようだ。
程なくして現場に到着した彼らは黒のロングコートに身を包んでおり、屋根を超えて降り立つその姿はてふに先のヴァンパイアの襲撃を想起させた。
集団は充満する生臭さや惨状に顔色を変えることなく、淡々と処理活動を始めた。
死体を引きずって血の海の中央に寄せ、特殊な着火剤を放つと、夜のような黒炎が燃え上がった。辺り一帯に広がった炎はヴァンパイアの血だけを飲み下していき、灼くことで自らも同時に消えていく。
鉄の爆ぜるような激臭が断末魔のように炎煙を追っていった。
険しい顔つきで仲間たちと話しこむ姉の後ろでスリーは猫背になり腹部をさすっていた。オズワルドの姿はすでになかった。
スリーと同じフロックコートを身に着けた二人組のハンターも現着していたが、さながら新人とベテランの
燃え盛る黒炎を傍観する彼らの会話がてふの耳に入ってくる。
「ひとりは妊婦か。広場の死体との関連は?」
「夫婦です。男はこの街のヴァンパイアのコミュニティに属していました」
「知られれば報復がありそうだな。いや、むしろそれがやつらの根城を壊滅させる糸口になるかもしれない」
「いいっすねぇ、来るなら来てみろ、ヴァンパイアめ!」
「油断するな、やつらからすればこれは宣戦布告だ。組織情報を吐かせてから殺すんだ」
「わかってますって。こーんな子どもの癇癪みたいな節操ないマネはしませんよっ」
門松が一面に塗り拡げた血の潮が炎とともに引いていくのを、若い方のハンターは嘲笑いながら眺める。壮年の方もふんと鼻を鳴らした。
ハンターたちの言葉に熱されるべきはずの激情がいつまで経っても沸き起こらない。光通さぬ漆黒の炎はてふの心まで食らいつくし、がらんどうにしてしまったような気がした。
どちらが正しく、どちらが悪なのか。
あるいは、どちらも同じ穴の狢なのか。
答えが出ないのはわたしがまだ甘えているからなのか。
生き物のように蠢く炎が互いに寄せ集まってひとつになり、やがてその身を燃やし尽くす。細く白い煙が一本、線香のように揺らめいて、太陽の翳った空の間に消えた。
炭となった肉の燃え
アスファルトの地割れに挟まった肉の欠片を鴉が啄んでいた。
作業の様子を呆然と見つめていたてふにオリヴィアが近づく。
「織田さま、ホテルへご案内いたします。お連れさまはレイヴンの医師がお世話をさせていただきますので、本部にてお引き受けいたします」
「結構よ」
反射に近い速度で声が出ていた。
てふは門松を眺めた。抱く腕にはこっくりと安定した
門松の暴走はてふ自身の非力が招いたことだ。それと同時に、彼の狂気は今のてふに制御できるものではないこともまた痛感していた。
そのせいで麻酔とはいえ彼は撃たれてしまったのだ。目の前のハンターも言っていたではないか、非力でいては自分も他人も守れないと。
門松の危うさを抱えたまま、これ以上私的な旅を続けることはできない。
てふの内心を図りかねたのか、オリヴィアは精悍な目つきをつとめて柔らかくした。
「ホテルはレイヴンの管理下で安全が保証されておりますし、本部には治療設備も整っております。新たにハンターが複数名で警護にあたりますので、これ以降のご滞在は私どもが責任を持って……」
「鎮静剤の成分情報と必要な薬だけいただきます。彼の目が覚めたらすぐに発ちますので」
「ですがお連れさまは……」
「鬼や混血を診る医者は八咫にもいるわ。あなた方は毒を盛ったわけではないのでしょう?」
次を言わせないつもりでてふは声を放った。
オリヴィアが瞠目するのも無理はない。嫌な言い方だな、と自分でも思う。
しかし、ヴァンパイア殲滅しか頭にない彼らレイヴンは、治療と称して混血児になにをするかわからない。
今この提案を二つ返事で受け入れることは、そんな彼らの姿勢、そして先のオズワルドの行動をも認めるのと同義だ。
――いや、そんなこと、本当はどうでもいいのかもしれない。
今、門松と離れてはならない。いや。
今、門松と離れたくない。
てふは立ち上がろうと足に力を入れた。門松は成人男性より細身ではあるものの、小柄なてふが抱え上げられるはずもない。
重心を崩したてふの手からずり落ちる門松を支えようと、オリヴィアは腕を伸ばす。その左手の薬指に光る指輪が目に入って、てふは思わずヒステリックに叫んだ。
「やめて、触らないで!」
オリヴィアはびくりと身を震わせて留まった。
その後ろから別の腕が伸びてくる。皺がなく、乾いた涙とわずかに血の跡がついた、おおきな掌だ。
「宿までお供します、てふ様」
そう言って屈み込んだスリーは、細腕に力を込めて門松を抱き上げる。腹筋に力を入れた瞬間、彼の腫れた目もとが歪むのをてふは見た。
オリヴィアがすかさずたしなめる。
「スリー、弁えなさい」
「てふ様をひとりで行かせません」
「あなたにできることはなにもないと分かったでしょう」
「彼の目が覚めるまでそばにいることはできます!」
弟の思わぬ語気の強さに姉は押し黙った。
体格差があるとはいえ、今の彼に門松を抱えて歩くことなどできないだろう。それでもスリーは足を踏ん張り、オリヴィアを気丈に見つめる。
「ぼくはなにもできないけど……彼が起きるまで、てふ様をひとりにしません」
そのまなざしに、射られているわけではないのに、てふは呼吸が震えるのを感じた。
一人前のハンターならば、敵に二度も捕らわれることなどない。弾を込められない武器を奪われることも、敵が妊婦だからと迷うことも、喰われようと自ら首を差し出すことも。
今、スリーが目だけでなく頬までも赤く腫らしているのは、すべて彼自身の未熟さが招いたことだ。加えて少年には責任をとることもできない。
自分はまだ幼く守られている存在なのだとその瞼が教える。無謀を殊勝と履き違えることを覚悟とはいわないとその頬が教える。今の自分の実力がハンターを名乗るに遠く及ばないとその喉元の傷が教える。その結果人が倒れたという事実をその腕の重みが教える。
立ち尽くし、全身で噛み締める。
けれど彼はひとりで立っている。
そしてそこから一歩前に踏み出そうとしている。
なぜならば。
――ぼくは、てふ様の護衛だから。
そう再び言われ気がした。
これが自分の責務に対する彼の向き合い方なのだ。
現時点のスリーという人間が、クロウとして、ハンターとしてできる精一杯のこと。
彼が、彼として、今したいこと。
それなのに、わたしはなにを意固地になっているのだろう。
今のわたしという人間は、織田家として、門松にとっての“お嬢”、スリーにとっての“てふ様”、そしててふという女として、なにをするのだ。
わたしは、今、なにがしたい?
てふは頬が熱くなる感覚を得た。
全身の毛細血管が開いていく。ようやく、自分にも血が通った気がした。
背筋を伸ばしてまっすぐ立つスリーを前にすると
矮小な自分に恥じ入ってばかりだ。
オリヴィアはスリーをまっすぐに見つめ返す。ふうと息を吐いて首をわずかに横に振った。
「あなたにはこれ以上なにもさせられないわ。私たちで引き継ぎます」
そのとき、門松がちいさく唸った。
寝返りのようにスリーの首元に頭を傾ける。まるで赤ん坊が父親に抱っこされて甘えているかのようだ。
あれだけ馬鹿にしていたスリーに抱きかかえられているとは思ってもいないのだろう。もし目を覚ましたら門松はどんな顔をするか、想像すると無性に可笑しくなって、てふは思わず笑みをこぼした。
姉と弟がほぼ同時に意外そうな顔を向けてきたのがまた可笑しくて、てふは張り詰めていた織田の弦が弛んだ音を出すのを聴いた。
そっくりだ。きょうだいというのは血縁ではないのだと思い知る。
てふはオリヴィアに言った。
「やっぱり、門松の世話とホテルへの案内を頼めるかしら。彼が落ち着いてから帰ります」
「かしこまりました、織田さま」
「それと弟さんも早く医者へやってください。内臓を負傷しているかもしれないから」
この期に及んでまだつんとした物言いしかできない自分に、だからいつまで経っても彼氏ができないんだ、そう言い聞かせてみる。
オリヴィアは横目でちらりとスリーを見遣った。
スリーからはなにかを訴えるような視線を感じたが、てふはあえて彼を見なかった。
自動車は
スリーに代わって男性ハンターが門松を抱えて後部座席に座らせ、てふはその隣に乗車する。反発のないクッションにそわそわし、ぐったりと傾いてくる門松の体を自分に寄りかからせて支えた。
オリヴィアはその様子を見届けて、スリーにドアを閉めて発車を見送るよう促した。
車外ではレイヴンの黒い制服たちが処理に奔走している。先程の二人組のハンターがそれぞれ運転席と助手席につき、
尻に伝わる細かな振動に、興奮に似た緊張を味わう。この街に来たばかりの瞬間、マーケットで目に映る全てが輝いてみえたあの時、はじめての体験に心が動く感覚。
……そう、これは旅だった。
非日常が日常であるわたしの、稀有な非日常。
道は拓けている。
進むのは、わたし。
スリーがなかなかドアを閉めないので、てふは車外へと顔を向けた。
「……べ損ねたから」
「えっ?」
その呟きがきこえず、てふは身を乗り出した。
ゆっくりと屈み込んだスリーと視線がかち合う。唐突に、そういえば彼とキスをしたことを思い出した。
スリーの頬もまた、腫れとは別に、ほんのりさくら色に染まっているような気がした。
年下相手に思い上がるなんてはしたない、そう胸の内で叱咤するてふを助けるかのように、スリーは遠慮がちにはにかんだ。
「揚げバター、次はぼくが奢ります。彼にはアップルトリップのパイも」
彼の視線が門松に注がれ、てふは鼻の奥がつんとする。
門松は終始スリーを蔑み歯牙にもかけなかった。それなのに、スリーはずっと彼のことを人として見てくれているのだ。
今回の八咫下手人による常軌を逸した討伐方法は、レイヴンから苦情という形で八咫に報告されるだろう。本人はもとより、任命責任を負うてふの兄にもなんらかの処罰が下されることは明らかだ。
八咫はきっと、門松を今後一切国外に出さない。
スリーの優しさが頬の傷にひりひりと
「次は、いつになるか分からない」
押し寄せる不甲斐なさがそれだけしか言わせなかった。
八咫の一員でないてふには、きっとなんの咎めもない。これは
……わたしだって、なんの責任をとることもできないじゃないか。
軽率に、旅行したいだなんて思ったことがすべての元凶。スリーのせいじゃない、わたしが巻き込んだのだ。
再び沈みかけたてふの気分を、いつもよりわずかに高い声が掬い上げる。
「いつになったっていいです」
意を決したように顔を寄せ、スリーはてふを見つめる。
「てふ様が次に来たときにも、あのお店たちが変わらず続いているように、この街の日常が平和であり続けるように、ぼくが守ります。必ず守っていきます。だから……きっとまた来てください」
愚鈍なほどにまっすぐで、吸い込まれそうなほど澄み切った、てふだけを映す
なぜだかとても懐かしく感じた。
じんと広がるこの感動は、彼をいとしく思うこの気持ちは、きっと恋ではない。
目を瞬かせて誤魔化す。ばれているだろうか、この少年に。てふはまた強引に唇の端を持ち上げた。
「奢ってくれるならジェラートがいいわ。マンゴーとハイビスカス、それと……」
「アロエゼリーのトッピングです」
食い気味に言ったスリーがすこし得意げに見えて、てふは吹き出した。スリーも恥ずかしそうに笑う。
「覚えておきます、スリーさん」
てふは微笑みかけた。
スリーは今まででいちばんの、少年らしい笑顔をみせた。
再会を念じた握手を交わさなくとも、彼とはまた会うのだろうという傲慢な確信が、てふの心をやわらかく、あたたかく満たしていた。
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