旅先 14

 やはりという落胆をはるか上回る告白に、てふはスリーの左肩のホルスターを視線で刺す。


「その銃は……」

「姉の銃弾を借りました。ぼくにはまだ自分の血を使った弾を込めることができない」

「もぉボクちゃん、なにしに来てんのォ」


 門松の垂れ目が呆れた視線をスリーに流した。

 てふもまたあ然としてスリーを見つめる。経験が少ないどころか、まだそんな段階なのか。


 てふのような例外を除き、ハンターは原則として自分の血で対ヴァンパイア武器を作る。血の呼応、肉体と武器の一体感によってより研ぎ澄まされた戦闘能力を発揮できるためだ。

 ハンターの姉の武器を借りているとはいえ、これでは……

 先のカモミールの嘲笑が脳裏をよぎった。頭がかあっと熱くなり、思わず口からこぼれてしまう。


「なぜこの任務を受けたの? 護衛の仕事とはどういうものか知ってるでしょう」

「すみません。でも、チャンスだと思ったんです」


 スリーは拳銃に右手を添え、左手は組んだ脚の上で固く握りしめた。


「この銃はシュナイダー家伝統の対ヴァンパイア武器です。ご先祖も、兄も姉も、みなこれにそれぞれの血と魂を込めて敵を討ってきた。ぼくは今はまだこの銃に相応しいハンターにはなれていません、でも必ずなってみせる。そのためには実戦経験を積まないと」


 その視線と言葉が真剣であればあるほどてふの脳圧は高まる。心臓の拍動はまるで焼けた茶釜を金槌で打つようで、全身をしたたかに巡る溶岩が沸々と煮えていく。こみ上げる噴石が熱くて、脳みそを経由しないまま口から吐き捨てる。


「護衛任務は新人研修じゃないわ」

「わかってます」

「わかってたらなんて言葉は出ないはずよ」


 間を置かない厳しい語調に驚いたのか、スリーは吸った息を飲み込む。てふを見上げる澄んだ翠眼が不安に揺れた。

 それを見た瞬間、てふの頭の中のてふである部分は膝を抱えて座り込んだ。その一瞬の脱力のあとでは、沸騰した織田の血が堰を切って流れ出すのを止められない。てふはスリーを見下ろした。


「ハンターというのはヴァンパイアを殺すことが責務なの。殺すのよ、遊びじゃないし練習でもない、ましてや狩りでも! いのちを奪うと決めて戦うの! その重みがわかってるの?」


 てふの剣幕にスリーは呆然と唇を震わせる。意気消沈したその様子にてふは自分の頬を引っ叩きたい気分になった。まるで月経前の神経不安ヒステリーだ、なんてみっともない。

 だがいちど溢れたものは止まるまで止められない。気丈に言葉を探すスリーをてふは睨みつけるしかなかった。


「……わかっているつもりです。だからこそハンターは尊い仕事だと」

「尊いのはいのちよ。人間もクロウもヴァンパイアも、いま生きている命なの。奪うだけのハンターはただの人殺しよ!」

「やつらこそ人殺しだ!」


 叫びともとれるスリーの大声にてふは身を強張らせた。

 項垂れたスリーの垂れた両手は誓いのように強く強く握りしめられ、震えが声に伝播する。


「ぼくの……生みの両親を食い殺したやつらを、ぼくはぜったいに許さない」


 つまらなさそうに膝を抱えて明後日の方を向いていた門松は苦渋の言葉に反応する。


「オマエ、もしかして拾われっ子?」


 スリーは僅かに門松のほうを見て頷いた。


「クロウの戦闘能力の限界値は生まれ持った血の濃さによってある程度決まります。だから名家の血筋でもなんでもないぼくに、今以上の望みはないのかも知れない。それでもぼくはあきらめません。家名に恥じない立派なハンターになって、ヴァンパイアの脅威から人々を守る。それがぼくを救ってくれたシュナイダー家への恩返しであり、血の繋がらないぼくを弟として迎え育ててくれた兄さんと姉さんへの孝行であり、ぼくの生き方なんです」



 亡き両親や兄を想ってか、言い終えたスリーの背中は丸まっていた。

 彼らしい愚直なほど真っすぐな意志。それはてふの猛々しい血を鎮め、ついには心臓の熱さを根こそぎ奪っていった。てふは激しい後悔と自責の中に立ち尽くした。


 逃げ回ることは遊びではない。仕込み財布を携帯することも、狙い定めて発砲することも。一度でも捕らえられれば命はないのだ。それなのに。

 牙を剥いたカモミールを目の前にしたあの時、門松が動いてくれなければどうなっていただろう。

 実力がないとスリーに呆れたが、それは自分も同じなのだ。能力はあっても、能力があるのに、敵を殺した経験は一度もないのだから。


 ――否、同じであるはずがない。

 

 兄への憧れと死への葛藤を語ったスリー。ヴァンパイアを悪だと言い切り、カモミールを悪魔と呼んだスリー。適性能力の低さを自覚し、それでもなおハンターにしがみつこうとするスリー。

 大切な人を失った経験、再び得た生きる幸せ、その重みを知っているからこそ、たとえ無謀な決意だとしても、臆すること無く言葉にできるのだ。

 それを覚悟と言わずなんというのだろう?


 それに比べ、わたしは。


 クロウという天啓すらも自分の責務と負った母の背中を思い出す。吐いてなおハンターという責務に向き合った兄の背中を思い出す。

 いつだって背中、自分は誰かの庇護を当てにしてのうのうと生き逃げているのだ。

 織田家の使命からも逃げて、スリーに八つ当たりすることしかできない。

 織田の血は、たしかに自分の中に流れているというのに。


 わかっていないのはわたしのほうだ。

 情けない、情けない。


 それでもスリーのようにはなれない。

 家業を捨てた自分には、守りたいもののない自分には、ハンターという業をどのように受け止めればよいかわからないのだ。

 

 こんな人生に意義があるのだろうか?

 わたしはどうやって生きたらいい?

 


 スリーに謝らなくてはと思ったが、母を泣かせたあの時をてふはまた繰り返した。

 目頭だけが熱いのはスリーを見つめている眼圧のせいだと思い込んだ。決して涙がこみ上げているからじゃない、泣くだなんて、これ以上みじめになりたくない。

 


 スリーもなにも言わず、重い沈黙が寂れた路地をさらに鬱蒼とさせた。

 垂れ目の少年だけが気の抜けた薄ら笑いを浮かべていた。


「よくわかんねぇけど、ボクもいろいろたいへんなんだねェ」


 言いながらゆったりとした動作で立ち上がり、スリーの正面にしゃがみこんで慰めるように肩を叩く。

 怪訝な顔を向けるスリーの澄んだ瞳を値踏みするかのようにまじまじと覗き込んで、門松は楽しそうに口角を上げた。

 その時てふは、路地に充満する退廃的な倦怠が青菜の灰汁あくのような生臭い毒を帯びた気がした。



「なぁ、オマエさぁ。今ここでお嬢とヤれよ」





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