旅先 9

 空の彼方から次々と鴉が舞い来たり、ヴァンパイアの死体を包囲する。鴉はてふたちにまで警戒を露わにしたので、少し離れたところで見守ることにした。荷物が荒らされないか心配なてふだったが、鴉たちはスリーの言葉通り、てふの荷物を含めたヴァンパイアの死亡環境一帯の保全をきびしく躾られているようだった。


 門松はウロウロしながら鴉の羽をつついたり鳴き真似をしたりしていたが、鴉たちに構ってもらえないと分かって唇を尖らせる。


「んだよぉ。つまんねえ鳥ぃ」

「モンちゃん、ふざけないの」


 寄ってくるなり門松は例のにやけ顔でスリーの肩を叩いた。


「カラスでもちゃぁんと仕事すんのに、ボクちゃんは鳥より頼りになんないねェ」


 てふはすぐさま門松を引き剥がす。


「モンちゃん。失礼なこと言わないで」

「だってお嬢の顔に傷つけたじゃん。そういうの、でぃーぶいカレシっていうんスよ」

「違う、これは私の不注意。ていうか彼氏じゃ……」

「お嬢、ほんとにこいつでいいんスかぁ? やめといたほうがいいと思うけどなァ。ぜったいあるじに反対されますって」

「だから違うしお兄ちゃんも関係ない!」

「お嬢照れてる〜」

「ちがうってば!」


 渋皮色の袖を思い切り叩くと、門松はへらへら笑いながらでぃーぶいだぁと喚いた。

 はっとしてスリーを見ると、視線を落として唇を真一文字に結んでいた。鼻の穴は膨らみ、耳は赤くなっている。少し、いやかなり気分を害しているようだ。門松とスリーの間に割って入り、てふはまた頭を下げる。


「スリーさんごめんなさい、この子礼儀がなってなくて……」

「お嬢〜、寒い〜」

「もう、なに!」

「あの鬼にマントとられたんだもん〜」

「わたしの上着着る?」

「ヤだよそんな派手柄ぁ〜」

「寒いんでしょ、文句言わないの」


 羽織を脱ごうとするてふの手を大きな手が遮った。スリーは無言でジャケットを脱ぎ、門松に差し出す。


「どうぞ」

 門松は二、三度、目をぱちぱちさせてから、スリーの仏頂面を見上げてにっこりと笑った。


「カレシ、いいやつだねぇ」


 門松の顔を見て、つくづく彼を問題視した“猿飛”の判断が妥当だと理解したてふだった。


 エメラルドグリーンの目が明らかに門松を睨みつけ、今度はスリーがてふと門松を隔てるように立つ。

 筋肉こそまだついていないものの、ベスト姿の彼が背筋を伸ばして立つと、先程までの頼りなさが嘘のように思える。そして肩からしっかりと締めたホルスターには重厚な拳銃が覗いているのだ。武器はもっていたのか、と率直に驚きつつも、てふはスリーと、肩にかけただけのジャケットに少年とを見比べずにはいられなかった。


「てふ様。こちらの方はどなたですか」


 スリーの声音が初めて会ったときのような堅苦しさ――なんなら少しの怒気をも含んでいることに、てふはなぜか安心して頬が緩んだ。

 少年の細い腕を引いて対面させ、ひっつめに結った頭を下げさせる。


「これは“八咫”の護衛、“猿飛”所属の下手人ハンター、門松です。ほらご挨拶して謝る」

「モンちゃんでぇす、さーせぇん」

「お礼は」

「あい、あざぁす」


 スリーは太い眉を寄せてつっけんどんに言った。


しん様は我々レイヴンに警護依頼をされたのでは?」


 すかさず門松はにやりと歯を見せて返す。


「役に立たない護衛の依頼?」

「モンちゃん」

「あい、させぇん」


 いくら睨んでもこの少年には効果がない。ため息をつくてふをよそに、スリーはつとめて泰然と手を差し出した。


「シュメッターリング・シュナイダーです。助太刀に感謝いたします」


 門松は手をとる代わりに首を大袈裟に捻った。


「シュ……なんて?」

「スリーとお呼びください」


 ふうんと唸って、門松はわざと緩慢な動作でジャケットを肩に掛け直す。眉を下げ、含み笑いを堪えるような顔を向けた。


「織田家ご令嬢を三番手スリーが護衛なんて、八咫もナメられたもんだなァ」

「モンちゃん! アップルパイは?」

「ないっス」

「は?!」


 思わず大きな声を出してしまった。口元を抑えるてふに、門松は胡乱げな表情で言う。


「だってぇ、行列並ぶのだるいっスよぉ。しかもあと一時間はかかるって、ありえなくないすかぁ。葉月ちゃんの店なら五分で団子十本でてくるんスよ。一時間ありゃ百本いけるって考えたら、マジ途方もなさすぎて無理無理」

 

 門松はジャケットの袖をぱたぱたと振る。正しい計算は百二十本だし団子屋の娘とはまだ切れていないのかと思いつつ、すべて飲みこんでてふは門松を睨んだ。


「で、諦めて帰ってきたの?」

「んなワケないっスよぉ、お嬢に殺されたくないもん。カモミールちゃんにオレの分も待ってもらってます」

「カモミール?」

「前に並んでた赤毛の美女っス」


 この女たらしめ。


「えっ、じゃあ、お金は?」

「ん? カモミールちゃんに……」

「“赤毛のカモミール”、それは本当ですか!」


 スリーがやにわに声を上げ、門松に厳しい視線を向ける。


「そいつはヴァンパイアです。あなたは八咫のクロウなのに気づかなかったのですか?」

「はあ? 知ってますけどぉ」


 てふは目をむいた。


「ちょっと、えっ、モンちゃん、ほんとに?」

「そっスよ。カモミールちゃんはひとおに、あ、ゔぁんぱいあっス」

「はあ?!」

「こっちの鬼ってアップルパイとかも食べられるんすねえ。痩せてんのに下っ腹だけぽっこーん出てて、すげえ食い意地はってんなぁって。でもぉ、美人は太ってても結局美人スね!」


 うきうきと声を弾ませ、へらへらと目尻を垂らす門松に、てふは松脂を飲まされているかのような気分になった。彼に渡したのは絞りのがま口、旅先で兄が買ってくれた、けっこうお気に入りの小銭入れだった。


「あんた、お金渡しておつかい頼んだの……? ヴァンパイアに?」

「うん!」


 とびきりの笑顔で、むしろ誇らしげに門松は頷いた。てふは兄の顔を思い出す。なんとかして、お兄ちゃん。

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