旅先 3


 両手で腹を押さえたのはスリーだ。強張った口もとがさらにかたく引き結ばれ、耳にさした赤みがみるみるうちに顔中に広がる。


「……し、失礼しました」


 呟いててふから目を逸らすのが精いっぱいといったところだ。首筋まで赤くなっているのを見て思わず頬が緩みそうになったてふは、慌てて顔面の筋肉に力を入れる。ひと呼吸おいて、ふだんより低い声を意識しながら口を開く。


「ええと、スリーさんもアップルパイ食べます?」

「いえ、結構です」


 食い気味の返答に先程のようなキレはない。眉は垂れ、唇はわななき、目は泳ぎまくっている。ショートしてしまうのではないかと思うくらい気の毒な少年の狼狽は、しかしてふにとってこの上ない安堵となった。

 頭上の鴉がひと声啼いた。助け舟を出してくれたように感じ、てふはスリーに向けて躊躇うことなく笑いかけた。


「連れの子を使いにやっているんですけど、待ちくたびれちゃいました。スリーさん、ちょっとつきあってください」



***



 てふはごくゆったりとした足取りで、広場の屋台をみて回った。スリーはものすごく小股でついて来ざるを得ず、アップルトリップの行列の折り返しを超えるころには隣り合って歩いていた。


 路面店は飲食系が多く、フードトラックでテイクアウトしたスイーツを食べ歩く人もいれば、パラソル席でピッツァとワインを楽しむ人の姿もある。バターだけでなく多種多様ないい匂いが鼻をくすぐり、胃の容量を空にしていく。

 離れていないかと横目でスリーを見ては、お腹をさすって困った顔をしている彼に、てふはくすりと微笑むのだった。


 マーケットは食べ物だけではない。異国の木目込み人形やカラフルなタペストリー、鳥の羽や押し花を使った一点もののハンドメイド雑貨、レースや刺繍の美しい髪飾りやコサージュ。見ているだけで楽しい。

 てふの足取りは弾み、店に駆け寄ってはスリーを手招きする。スリーの腕にはてふの購入品が輪投げのように次々ぶら下がっていった。

 生地屋の露店で伝統模様の布地に惹かれたが、巻き売だったため断念した。頭上を周回していた鴉はいつの間にかいなくなっていた。


 少し暑くなってきたので、てふが羽織を脱ごうとすると、スリーが慌てて手を広げた。


「てふ様、そんな薄着になってはだめです」

「え? でも……」

「後方に不埒な輩が。なんて下品な視線だ」


 もしや。肩越しに振り返ると、確かに数メートル後ろでいやらしいニヤニヤ顔がこちらを向いていた。しかしそれはてふの予想に反して現地の酔っぱらい男だ。

 ボディラインも性格もはっきりした異国の女性と比べ、倭国の子女は小柄で童顔、奥ゆかしいため、異国では人気なのだという。実際、先刻のスリーもてふのことを同年代だと思うと言っていた。かの男も間違いなく略取が目的だろう。

 てふは長いため息を付いて、スリーの右腕にしがみついた。


「えっ?!」

「こうしてれば寄ってこないですよ。スリーさん大人っぽいから」


 分かりやすいほどわかりやすく動揺するスリーにてふは畳み掛ける。


「敵を欺くのも護衛の重要な仕事です」


 スリーはごくりとつばを飲んで、神妙な面持ちでなるほど、と頷いた。繊細なのか鈍感なのかわからない少年の生真面目さにまたニヤけそうになる自分を戒め、てふも努めて眉間に皺を刻み込んだ。


 とはいえ、お腹をすかせたまま警護させるのも忍びない。フードトラックのところまで戻ろうとするてふをスリーが止めた。


「でしたらオススメがあります。こちらです」


 出会ってからはじめてスリーの革靴がてふのブーツの先を行った。



 連れられたのは、白と青のボーダー柄の塗装が印象的なフードトラックだった。屋根から柱までくくりつけられたバスケットには陽気な切花たちが飾られ、冷えたショーケースの中にあるステンレス製の深底容器は半固形の食べ物が種類ごとに区切られている。脇に積み上げられた鬼のツノのような円錐型に網目模様の焼き菓子は、てふにも見覚えがあった。


「これは……?」

「ええ、ジェラートです。クールダウンにはちょうどいいでしょう?」


 ショーケースを覗き込むてふに、スリーはにこりと笑いかけた。彼の気遣いにてふは少し躊躇った。彼には舌の上でとけてしまう氷菓よりも、ワンハンドでかぶりつく挽き肉たっぷりの隣ののほうがいいのではないか?


 しかし、共にショーケースを見るスリーの目は宝石エメラルドのように輝いている。そしてそれはおそらく自分もおなじだ。

 白い歯を見せる若い女性店員に促されるまま、てふはまじまじとショーケース手前のディスプレイを見つめた。


 溢れんばかりの果物と色とりどりのカットフルーツが並べられている。てふはその端から端までを眺める……以外、全くもって正体不明だ。

 卵型をした桃に似た果実の剥き身は鮮やかな橙いろで、賽の目状にカットされて盛り上がっている。怒髪天のような葉をもつごつごつした見た目の果実は繊維質で瑞々しい黄色の果肉だ。幾重にも弁がある心臓のような形をした果実の断面には、白い果肉一面に胡麻のような黒い粒が散らばっている。

 てふの様子を察して、スリーは果物をひとつずつ指さした。


「これはマンゴー、パイナップル、そちらはドラゴンフルーツです。僕のおすすめはマンゴーとハイビスカスのハーフ&ハーフに果肉とアロエゼリーのトッピングが……」


 そこまで言ってスリーははっと息を吸い込み、また頬を赤らめて視線を逸らしてしまった。店員は声をだして笑い、大振りなビビットピンクのピアスが弾む。


「いつも変わんないね、スリー! でもガールフレンドを連れてきたのははじめて! お姉さん、安心していいわよ、彼ぜったい浮気しないから!」


 店員はてふにチャーミングなウインクを投げた。

てふは微笑みかえし、財布から硬貨を取り出しながら言う。


「それにします。えっと、まんごーとはいびすかすの……」


 ちらりとスリーを見る。てふの視線にきづいた彼は、完熟した林檎よりも真っ赤だった。右に左に彷徨う目、やはり彼はまだ守られるべき側の人間だ、とてふは思った。


「……アロエゼリートッピングで」


 観念したように呟いたそのオーダーを、女性店員が殊更胸を張って復唱したので、てふも堪えきれず歯を見せて笑った。


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