旅先 2

「織田てふ様ですね」


 そこに立っていたのはスーツ姿の男だった。

 門松よりも背が高く、しかし同じくらいのあどけなさを残した端正な顔。てふを見下ろすその表情はやや強張っている。

 てふが立ち上がると彼は2歩後ろに下がり、腰から上体を曲げて礼をした。


八咫ヤタハンター、織田しん様より警護の依頼を受け参りました。“ホワイトレイヴン”管理局所属、シュメッターリング・シュナイダーです」


 音階まではっきりわかるような声質。だがてふには彼の名前が早口言葉にしか聞こえなかった。


「しゅ……えっと、ごめんなさい、なんて?」

「スリーと呼んでください」

「あっ、はい」


 差し出された手を握る。てふより大きく、しかしてふよりも柔い握力だった。

 彼は天から吊られているかのように背筋を伸ばし、宣誓でもするかのようにおおきく息を吸い込む。


「てふ様の行動の自由を制限することのないよう、というご依頼ですので、数メートル離れて警護にあたります。どうぞお気遣いなく。また安全のため私どもの傘下のホテルをご用意しております。お荷物をお預かりいたします」


 言い切ってスリーは再び手を出した。てふは目を瞬かせる。


「わたし、宿はべつに取ってあるのだけど」

「どちらのホテルでしょうか?こちらからキャンセルをしておきますのでご安心ください」


 スリーの返答はまるで自動音声のようだが、しきりに瞬きをしながらてふを見つめるその様子は緊張を隠そうとしてさらなる緊張で上書きしているようにも見える。

 差し出された手が一ミリも下がらないので、てふは諦めてトランクから腰を下ろした。


「いえ、キャンセルは自分でやります……」



 ――合流してからはや三十分。太陽は真上に輝き、マーケットは昼食を求める人でさらなる賑わいを見せていたが、てふの心はまるで通夜ぶるまいの席のごとく悲愴だった。

 護衛の少年スリーは、ベンチに移動したてふから二本離れた街灯の陰で、こちらに向けてずっと無言の圧を放っているのだ。

 

 アッシュブラウンの髪は七対三にセットされ、細身のフロックコートがより長身を際立たせている。整髪料オイルワックス、ネクタイのディンプルからベストの銀釦ボタン、スーツパンツのクリース、革靴の先に至るまで、張りと光沢に一切の妥協がない。てふの古風なトランクも彼が片手に携えれば要人のアンティークに見えてくる。


 ややつり目の、エメラルドグリーンの瞳がまっすぐすぎるほどまっすぐこちらを見ている。傍から見ればてふをロックオンしている変人ストーカーだ。事実、彼に気づいた道行く人たちが苦笑いで通り過ぎたり、ヤマトガールと声をかけようとした青年はオゥ……と呟いて離れていった。

 てふは空を仰ぐ。自分から追い払ったはずの垂れ目の能天気な顔が激烈に懐かしくなった。


 ふいに熱視線が外れた。てふはあわててスリーの視線の先を追う。

 彼の頭上、街灯の先に黒い影が飛来していた―鴉だ。


 くちばしの先で太陽に敬礼し、首を傾けて姿勢を低く保つ。自身の姿が昼間の賑わしさに水をさすことを自覚しているかのように微動だにせず、黒曜石のような双眸はじっと眼下の人混みを眺める。

 てふのくにでは不吉の象徴というイメージが強いが、青空のもと太陽によってもたらされる影に自ら濃く溶けんとするその姿は、さながら天空と地上、あるいは人との均衡を見定める仲介役エージェントのようだ。

 先程スリーが名乗った組織は、その名のごとく鴉を組織の象徴とし、鳩舎ならぬ鴉舎あしゃをこしらえて使役しているときく。


 ――“レイヴン”。

 人の血を吸って生きる種族・ヴァンパイア――てふのくにではひとおにと呼ぶ――から秘密裏に人間を守る国際組織。


 その主な責務とは、世界中のヴァンパイアによる被害を調査把握し、ハンターを派遣して対処すること。それ以外にも活動は多岐にわたり、本拠地であるホワイトレイヴンをはじめ世界各地の支部を基点としたネットワークをもっている。

 その中のひとつが、てふの暮らす島国、倭国やまと擁する“八咫ヤタ”である。


 八百万の神々の住処といわれる倭国では、古来より妖怪や異形のモノなどさまざまな怪異が存在し、政府直属の御役が対応を一手に担ってきた。

 中でも鬼の討伐を専任とする部隊であった八咫は、長らくレイヴンと協力関係にあり、現在はその一支部として傘下に加わっている。


 家業のことを思い出してしまい、てふはまたため息をついた。今、荷物と宿を人質に取られ、スリーのみならず鴉にまで見張られる自分が待ちわびているのは、甘いアップルパイではない。それが悔しくて、てふは視線を広場の混雑から水路にかかるアーチへと向ける。


 背景に運河へと続く穏やかな水面はカラフルな花びらで埋め尽くされ、アーチでは赤と白のクラシカルな衣装に身を包んだ花売り娘や行商人がエンターテイナーのように足取りを弾ませている。年配の夫婦を被写体に、カメラマンは青い空に混じる運河の先をレンズに切り取り、雲と遠くの船舶が水平線を挟んでシンメトリーに泳いでいる。

 どこを見ても楽しそうな人。観光客、商人、友だち、家族連れ……今だ折り返して伸び続ける“アップルトリップ”の行列に和装を探してみるが、見当たらない。


 ため息が溶けた先には、塔のようにそびえ立つ古めかしいからくり時計。その足元で、ラベンダー色のワンピースを着た女性が両手を揉みながらそわそわしていた。

 かちり、おおきな針の音が定時を指した瞬間、音楽隊を模したからくりが一斉に動き出す。内蔵されたスピーカーから少し音割れした陽気な音楽が流れ出し、人々はみな立ち止まって顔を綻ばせる。

 その時女性のもとへ男性が駆け寄り、女性はからくりを見るよりも笑顔を咲かせて抱きついた。男性からのぎこちないキスに女性ははにかみ、ふたりはまた抱き合う。時報のからくり音楽は初々しい恋人たちを祝福しているように響き渡り、てふはまた首を振った。


 人前であんなことをするなんて、はしたない。

 そう思うのは僻みなのだとてふにはわかっていた。

 待ち合わせにお誂え向きのスポットがこんなに近くにあったのに。


 結局、てふの視線はやる気なく投げ出された自分のブーツのつま先へ落ちる。

 少しヒールが高いので、旅行前から履いて足に慣らしていたブーツ。洋装のカジュアルさを意識して袴の腰紐は背中でリボン結びにした。羽織の柄は流水紋に蝶、お気に入りだ。初めての旅に浮かれていた。

 異国まで来て、わたしはなにをやっているんだ。

 自分自身に怒りすらわいてきた。

 ここで門松を探しに行っては、いろいろなものに負ける気がする……これ以上惨めな気分にはなりたくない。

 てふはふんすと息をつき、しゃんと背筋を伸ばしてスリーのほうを見た。


 長身のダークスーツ姿は仰々しい雰囲気を醸し出しているが、よくよく見れば彼の太い眉尻は下がり、引き結んだ唇をなんども舐め、てふとその周囲を警戒してせわしなく動く瞳には安定感がまるでない。

 日ごろ織田の屋敷や道場で屈強な男たちを見慣れているてふには、彼の胸板の薄さは護衛どころか保護対象にさえ思えた。髪の柔らかさや喉仏にすら早摘みのりんごのような瑞々しさを感じる。努めて怖い顔をしているが、てふはスリーがまだ十代の少年であるという確信があった。

 意を決して歩み寄ると、スリーはすかさず距離を取る。てふはにこりと微笑んでみせた。


「護衛、厳ついおじさまが来たらどうしようかと思ってました」

「……」

「スリーさんはおいくつなんですか?」

「同じくらいだと思いますが」

「あの、いいですよ、そんなに離れてなくても」

「そういうご依頼ですので」

「けっこう目立ってますから」

「ありえません地味なので」


 スリーが食い気味に言い放って会話は終了した。


 心の中で長い息を吐き出しかけたてふは、スリーの耳がすこし赤らんでいるのをみて慌てて飲みこんだ。

 彼が視線を合わせないのは、あらゆる緊張でそんな余裕がないからだ。

 門松だけでも手一杯なのに、さらにこんな少年をあてがわれて、自分はどうしたらいいのだろう。進退窮まるこの状況を見越して手配をしたのだとしたら、兄はやっぱりストーカーなんじゃないか。

 黙り込むてふを見て、スリーは表情を曇らせて頭を軽く下げる。


「申し訳ありません。レイヴンは人手不足でして。自分のような若輩者でも任についております」

「いえ、ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」


 ――ぐうぅ。


 予想外の音に、会話はまたも中断した。

 

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