強大な敵と折れぬ闘志と


 夜空を飛翔する竜の飛行速度は、目測でも時速数百キロは下らないだろう。

 それでも俺一人なら飛んで逃げるとて叶いそうだが、エルマを連れて飛翔となるとそこまでの速度は絶対に出せない。更に速度で勝てないなら撒けばいいと思っても、上空には地上より遥かに遮蔽物が無いのでその選択肢も必然的に取れない。

 だからこそ持って生まれた――俺の場合は縫われているだけだが――二本の脚をフル回転させての死力を尽くしての逃避行に訴えるしかないと判断しての陸路選択だったのだが、ドラゴンの執念は俺たちの想定を遥かに超えていて。


「おいおい、マジかよ……手当たり次第に残りの木々を薙ぎ倒してるぞ」

「障害物を無くして、私たちを炙り出そうって肚ね。私たちの移動速度より、アイツが木々を薙ぎ倒す速度の方が遥かに早い。全く、化け物の癖に知恵の回る!」

「……単に手当たり次第に暴れているだけの様にも見えるけどな」

「どっちでもいいでしょうが! とにかく、アレじゃあ逃げるも撒くも容易にはいかない。それにもし、あんな怪物が人里に降りて見なさい。そうなれば、もう――」

「目も当てられない大惨事、だろうな。どの道、ここで潰すしかない。俺たちの手で」

「ええ、そういうことよ。覚悟はいい?」

「ああ、勿論!」

「上等。行くわよっ!」


 これ以上隠れても無駄と悟った俺たちは、身を隠していた木陰から躍り出る。

 そして、同時に。


「爆ぜろ、【霊魂の焔(ウィスプ・インフェルノ)】!」

「はぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 互いに出せる最大の出力で、遠距離攻撃を叩き込む。

 だが、如何せん体格差があり過ぎる。俺たちが全力で打ち込んだ攻撃は直撃でドラゴンの顔面に炸裂したのだが、喰らっても尚大したダメージを食らった様子はない。

 けれども、ダメージは無くとも怒りは覚えるようで、夜目でもハッキリと見える程にその眼に怒りの炎を滾らせる。


「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 またしても轟く号砲と、駆け巡る音圧。

 同時にその喉元を赤く光らせると、口腔内から燃え盛る炎の断片が垣間見える。


「ま、不味いっ!」


 瞬間ヤツの次の動きを悟った俺は、急ぎ風魔法を発動。

 大気の防壁を展開できるだけ展開し、辛うじて三重まで展開できたところで。

 俺たちに向かってその大口を開いたドラゴンは、口腔内で練り上げた灼熱の息吹を放出。一瞬で森の木々を焼き尽くして燃えカスに変えてしまう凶悪な炎が、俺たちに迫る。


「――ぐっ!? ぐぐぐ……ぐぐぐぐぐ……このっ!?」


 エルマの前に立った俺は、押し寄せる炎の息吹を展開した風魔法の防壁で相殺せんと必死に踏ん張るが……炎の息吹は衰える兆しを見せず、それどころか相対している俺には少しずつその威力を増していっているようにすら思えるほど。

 一枚、また一枚と防壁は突破されていき、残すは最後の一枚のみ。

 これを破られたら、二人揃って死ぬのは明白。だからこそ決死の覚悟で、体中の魔力の全てを防御に回して防壁を維持すべく気張る。

 けれども――


「ぐっ……ぐぐ……ぐぁああああああああああああああああああああああっ!?」


 健闘空しく、防壁は敢え無く決壊。

 その衝撃に圧される様に俺たちは吹き飛ばされて、無様に地面を転がる。


「……痛っ! はっ!? 清風? ねえ、清風!?」


 幸い、エルマのダメージは軽度で済んだようで、すぐさま起き上がるなり俺の方へと駆け寄って来ては俺を抱き上げて声を掛けてくる。

 だが、そんな俺はといえば、膨大な魔力の消費による消耗とダメージが甚大であり、意識が混濁し始めていた。


「ねえ、清風! 清風ってば! 返事しなさい! ねえ! ねえってば!」


 エルマの声も、段々と遠くなっていく。

 不安げなエルマの顔も、ぼやけて輪郭が朧気になって来る。

 あぁ、これマズい……意識を、保っていられない。


「え、え……るま……に……げ……」


 必死に、最後の言葉を伝えようと気力を振り絞る。

 けれど出てくるのは蚊の鳴くような声ばかり。まともな言葉になってくれない。

 やがて覚束ない言葉を話すどころか目を開けている余力すら尽きてしまい。

 俺は静かに目を閉じて、意識を闇の中へと手放した。



「――っ!? ねぇ? ねぇってば! ヤダ……冗談辞めてよ……ねえってば!?」


 その小さな体をどれだけ揺すっても、返事はない。

 叩こうが、鼻をつまみ上げようが、目を開けるどころか痛がる素振りすらもない。

 感じられるのは、両の手に感じる体の軽さだけ。元より命の無い体ではあったが、そこには間違いなく魂があった。でも、今はそれも感じない。何もない、ただの綿の塊。


「う、嘘でしょ……ねえ、こんなのいやっ! 帰るって、言ったじゃない……責任取ってくれるって、傍に居てくれるって言ったじゃない! ねえ! ねえってば!」


 呼んでも、揺すっても、叫んでも、返事は何も返ってはこない。

 自然と涙が溢れてきて、握り締めた綿の体に染み込んでいく。

 でも、それでも何も返してはくれない。

 重苦しくて、不快な沈黙だけが張り詰める。

 幾度かの呼びかけを経て、いつしか私は叫び声を上げる気力すらも無くなっていた。


「清風……酷いよ、期待させるだけさせて、一人にするなんて」


 遠くから段々と近付いてくる、巨大な足音。

 ……あぁ、きっとあのドラゴンが迫ってきているのだろう。

 逃げないといけないのだろうけど、もうどうでもいい。

 だってもう、今度こそ生きる意味を見失ったのだから。

 人間というものは、希望から叩き落とされた時にこそ一番絶望するのだという話を聞いたことがある。

 聞いた時には、絶望しか知らない私には無縁の話だと思って軽く聞き流していた。

だが、まさか自分がそれを実感する日が来るとは思わなかった。

 しかも、こんな死が間近に迫っている状況で実感するとは……これを死ねという天啓であると言わずして、何だというのだろうか。

 どうやら私は、余程運命に嫌われているらしい。いや、私を嫌っているのは神様か?

 まぁ、そんなのどちらでもいい。一つ言えるのは、敵に回してはいけないモノに嫌われているということだけ。そう考えると、自然と自嘲してしまう。


「……もう、どうでもいいや」


 清風の体を握り締めながら、私はフラフラと立ち上がる。

 巨体の竜は、もう眼前にまで迫っていた。

 出来れば、楽に殺してくれると嬉しいな……そう思っていたのだが。


「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 耳障りな咆哮を上げた竜は、その太い前足を私に向かって振り上げて、一息に振り下ろす。

 私の直上から迫りくる鉄槌は、きっと私の体を文字通りぺしゃんこにするだろう。

 終わった――そう思って、静かに目を閉じた瞬間だった。

 突如、風が吹いた。

 猛烈で強烈な、激しい向かい風。その風に煽られて飛ばされた私は、辛うじて後退。

 振り下ろされた鉄槌による質量的なダメージを完全に回避して、そこから生じた余波だけを受けるに留まった。


「――ぐっ!?」


 尤も、余波だけといえども威力は決して侮れるようなモノではない。

 実際私の体は軽々と吹き飛ばされて、握り締めた清風の体が飛ばされないようにギュッと抱き締めながら地面を転がる羽目になる。体中に細かい傷が幾つも刻まれてしまい、じんわりと感じる鈍痛に思わず顔を歪める。

 でも、今はそんな痛みもケガもどうでもいい。

 そんな事よりも、気にするべきことがある。私はギュッと抱いていた清風の体をまじまじと見つめ、そして気付く。


「――っ!? れ、隷属印が……まだ光を放っている?」


 隷属印は、あくまで私と清風との間で結ばれた契約。

 故に私か清風のどちらかが死ぬか、或いはどちらかの存在が消滅すれば――履行者が居なくなった契約は無効。隷属印も光を失って消滅する。

 だが、まだなくなっていない。そこから導き出される結論は、一つ。


「まだ、清風は完全に消えたワケじゃない。きっと助かる。きっと、戻ってきてくれる!」


 心に、希望の火が灯った気がした。

 終わったわけじゃない。私も清風も、まだ死んでいない。消えていない。生きている。

 きっと私一人なら、とっくに心折れて呆気なく命を投げ出していただろう。

 でも、今は違う。私は一人じゃない。

 私を思い、帰りを待ってくれる人がいる。

 身を挺して、必死に守ってくれた人がいる。


「それなのに諦めて死んだりしたら、申し訳が立たないでしょうがっ!」


 痛む体に鞭打って、なけなしの勇気を振り絞って己を鼓舞する。

 そうだ……もう、私は折れない。

 帰るんだ、一緒に!

 生まれて初めて誰かと寄り添い、心を通わせた。

 そのぬくもりが、高揚が、興奮が、歓喜が、私を奮い立たせて立ち上がる力をくれる。


「死なない……絶対に! 死なせない、絶対に!!」

「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 竜の号砲が轟く。

 その音圧に再度吹き飛ばされそうになるが、それを必死に踏ん張って堪えた。

 竜はその鈍重そうな脚で一歩ずつ大地を踏みしめながら、私の方へ迫って来る。

 その威風堂々たる様は、まさに覇者の風格。

 流石はドラゴン、というべきか。

 でも、そんなのに屈する今の私ではない。


「ごめんね。少しだけ、待っていて」


 ドラゴンの巻き起こした衝撃波で捲れ上がった地表、その瓦礫の陰にそっと清風の体を隠す。労わるように優しくその愛おしい頭を撫でて。そして――


「こっちよ! ほら、追い掛けて来なさいっ!」


 少ない体力を捻出して生成した青白い炎は、もう技と言えるだけの威力を出せはしない。最大出力で放っても竜人兄弟にすら通じなかったのだから、今の巨竜に通用しないことなど火を見るよりも明らかな話。

 でも、当たりどころさえ良ければ意識をこちらに引っ張るくらいのことは出来る。放った炎は宙を舞い、ドラゴンの頬に直撃。流石にこれには注意を惹き付けられたようで、怒り狂ったように喉を鳴らしながら私を睨んでくる。それでいい。いや、そうでなければ困る。

 私は今、この場所をこれ以上荒らされるワケにはいかないのだから。

首尾よくドラゴンの注意を惹いた私は、そのまま背中を向けて走り出す。

そんな私を追い掛けて、ドラゴンは方向を転換してきた。

 正直、引き付けておびき出したところで勝算があるワケでは無い。

この状況を打開する策や仕掛けがあるワケでもない。


「でも、諦めない気概と折れぬ闘志だけは、確かにある」


 とりあえずは未だ動く気配の見えない清風をこの危機から何としても守るべく。

 そして約束した通り、何としても二人で帰るべく。

 私は一人、山の如く巨大な竜へ単身時間稼ぎの戦いを挑む。

 いや、一人じゃないか。お願い、力を貸して……清風。

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