不穏


『ザイル……ザイルよ……』

「うぅ……こ、この声は……まさかっ!?」


 脳内で響く声に、白目を剥いて死んでいた竜人の兄――ザイルは飛び起きて平伏する。


「い、如何なさいましたか……父上」

『如何なさいましたか、だと? 何を呑気なことを! 貴様らの無様な敗死、この父が知らぬとでも思うてか? 挙句この父に蘇生して貰うとは、全くもって実に情けない醜態であったわ。この恥さらしめがっ!』

「――ひっ!?」


 エルマたちの前では威風堂々とした振る舞いを見せていたザイルだが、脳内に語り掛けてくる父親の前ではすっかり縮み上がって小心者の本性が顔を出す。


「も、ももも……申し訳ございません……こ、これにはワケが……カリム……そうですカリムが! あの愚弟が足を引っ張り――」

『ほほう? 言うに事欠いて弟のせいか? 全く、やはりお前は情けない。誇り高き竜人族の風上にも置けぬ醜態よ。尤も、それは貴様だけでなくカリムにも言えることだが』

「そ、そんな……ご、ご容赦を! い、今一度……今一度チャンスを!」

『バカめが。しくじったバカにチャンスなどあると思うか!?』

「そ、そんなぁ……」

『と、言うところだが。ザイル……我が息子よ。やはり父として、お前たち二人は可愛い存在――愛し子よ。そこで、最後に特別なチャンスをやろう』

「――ま、誠でございますか!?」

『ああ、そうだ。最後のチャンスだ。カリムと一つになるのだ』

「……………………えっ?」


 予想外の返答に、素っ頓狂な声が漏れるザイル。

 しかし、ザイルを置き去りにして話は進む。


『カリムの肉を食らい、血を啜るのだ。さすれば、お前はかつてないほど強大な力を手に入れられる。その力で、竜人族の誇りに泥を塗ったあの女を殺すのだ』

「し、しかし……カリムの……弟の肉を食うなどと、そんな――」


 狼狽するザイルの声を、脳内に響く父親の深い溜息が遮る。


『おぉ、ザイルよ……これ以上父を失望させるか? ならばやむを得ぬ。もう貴様は用済みだ。竜人族の未来は他のモノに託し、貴様はここで父の手で果てさせてやろう。さらばだ』


 無機質で淡々とした、血の通わぬ冷たい声音。

 その声を最後に脳内での対話は一方的に打ち切られ、それと同時に。


「――ぐっ!? ぐふっ! がぁあああああああああああああっ!?」


 目口鼻の穴という穴から夥しい血を撒き散らし、全身を立っていられないほどに凄まじい激痛が駆け巡る。まるで猛毒にでも侵されたかの如き筆舌し難い辛苦がその身を襲い、それに逃れたいと地面を転げまわるが何も変わらない。


「ぐぎゃぁあああああああああああああああああああああっ!?」


 すっかり夜に差し掛かろうかという森に、不気味な断末魔が木霊する。

 そんな断末魔の中で。


「し、死んで……死んで堪るか……俺は父の後を継ぎ……竜人族の輝かしい未来を……紡ぐ、選ばれし存在。竜人族だけ、じゃない。全ての魔族を……従える偉大なる支配者に、魔王様の片腕に、俺はなるんだぁあああああああああああああああああああああああっ!」


 剥き出しの本能と野心に彩られた、修羅の雄叫び。

 深く醜い願望と死への恐怖、生への渇望。様々なモノに汚染されたザイルは完全に正気を失い、欲望と執念だけに突き動かされるケダモノと化していた。そして、理性のタガもリミッターも外れたケダモノのすることなど、もう一つしかない。


「力……力が……力が要るんだ……俺には、力がぁああああああああああああ!」


 ピクリとも動かない弟の元まで、気力だけで地面を這いずり進む。

 そして手が届く距離まで届いたところで。


「カァリムゥ……お前は、お前は俺の……俺の血肉となれぇえええええ!」


 憤怒の表情に歪んだ顔で絶叫しつつ、弟の肉に齧り付く。


「ぐぎゃぁあああああああっ!? あ、兄貴……兄貴何を……」


 恐怖に上ずった声で、問う。

 しかし返って来るのは理性の無いケダモノの呻き声だけで、意味を理解できる言葉は帰って来ない。


「イヤだ……イヤだ……イヤだイヤだイヤだイヤだ……こんなのはイヤだ……やめてくれ! やめてくれよ、兄貴ぃいいいいいいいいいいっ!」

「う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛………うるざい」

「――えっ? がっ!?」


 醜い呻き声に交じった最後の声は、凡そ兄弟の最後に向けられる言葉ではない。

 そんな冷酷な言葉と共に、喉笛を嚙み切られるカリム。


「あ、に……き……」


 涙を浮かべ、声にならぬ声でそう呟くも、ケダモノとだった兄にはもう届かない。

 やがて喉を噛み切られたことによる致命傷で段々と意識が遠のき、カリムはそっと目を閉じる。そんな弟の最期を目の当たりにしてもなお、手を下した兄は良心の呵責を垣間見せる素振りも見せるまま弟の骸を貪り食らう。

 そうして、どれほどの時間が経っただろうか。


「GRURURURURURURURURURURU……」


 骨だけを残し、血も肉も全て奪い去られた哀れな弟の骸。

 その骸を踏み砕いて粉々にするのは、かつて兄だった者のなれの果ての怪物。

 血肉と共に力も食らい尽くした結果だろうか。元の兄弟たちを遥かに超えた山の如き巨躯となり、その体に合わせて角も爪も牙も翼も――全てが巨大となる。

 その姿は、最早『竜人』とは言えない。数多物語で語り継がれた、竜そのもの。

 だが、力と姿の代償は大きかった。種族のために働き、種族に殉じた兄弟の意思も理性も存在すらも……全てを奪い去られてしまった。

 その立派な吻を天へと向け、巨大な顎を開く。

 不気味な夜の闇に包まれた森に、戦慄を感じさせる竜の号砲が轟いた。



「……ん?」


 すっかり暗くなってしまった頃。

 不意に不気味な音が耳朶に響いたので、俺は思わず立ち止まって後ろを振り返る。


「どうかしたの?」

「なぁ。今、何か聞こえなかったか?」

「何かって?」

「そりゃあ……分からんけど、なんか悲鳴っぽく聞こえた気がする」

「何よ、悲鳴っぽくって。どうせ森の木々のざわめきか、起きたトカゲ共の泣き声とかじゃない? あの二人、トカゲ共のリーダーみたいだったし。起きてリーダーやられてたら、そりゃ絶叫ぐらいするでしょ」

「ふむ……」


 暫し、考え込む。

 兄は頸椎骨折で、弟は全身漏れなく黒焦げ――厄介な竜人兄弟は、間違いなく死んだ。

 あそこにいたのは竜人兄弟以外単なる雑兵のトカゲもどき共だけで、その脅威など高が知れている。仮に九死に一生を得た個体がいたとして、何が出来るでもないだろう。精々そのまま手当てもされずに野垂れ死ぬか、或いは文字通り尻尾を巻いて逃げ出すかが関の山。こんな暗い森の中、わざわざ歩いて戻るだけの理由があるとは思えない。


「……まあ、それもそうか」


 納得して頷くと、先で待つエルマを追い掛けてその隣に並ぶ。


「さて、無事に任務を終えたわけですが……どうやって帰るよ? ここから」

「えっ? 運んでくれるんじゃないの? 空を飛べるんでしょ?」

「あはは、やっぱりそうなるよね。まぁ、でも……」


 腕を組みながらエルマの周囲をぐるりと回り、その体を下から隈なく睨め回す。


「大丈夫だろ。これだけ身軽ならイ――だぁああああああああああああああっ!?」


 笑顔でサムズアップしながらGOサインを出しただけの筈なのに。

 突然伸びるエルマの手は、あろうことか人差し指と中指の第二関節を少し出した状態で両側の側頭部を万力の如く同時に締め上げる凶悪技――所謂ぐりぐり攻撃を開始。


「ばっ、バカッ! やめろ! 出る……中身が、綿が出るぅううううううううううう!」

「アンタねぇ! デリカシーってモノはないのか、このセクハラ二頭身!」

「いだだだだ……ギブ! 分かったよ、悪かったって! ギブギブギブ!」

「ふんっ!」


 漸く解放された俺は、そのまま地面に落下。

 転がりながら傷む両側頭部を労わっていたのだが、人遣いの荒いネクロマンサーはそんな猶予など与えてはくれない。


「ほら、何時まで寝てんのさっさと起きる! 帰るわよ」


 首根っこを掴まれて拾い上げられた俺の耳元で、催促の声がガンガン響く。

 全く、これほど心地よくないASMRもそうそうないだろう。というか、容赦無さ過ぎだろ。悪魔か、こいつ?


「……何か、また失礼なこと考えてない?」

「――ドキッ!」


 半眼と共に確信を付く詰問が飛んできて、思わず心臓が飛び出しそうなほど驚愕する。そういえばこいつ、心の中を見透かしてくるんだった。これは不味い。

 そう思ったのだが、エルマは深く溜息を漏らすと。


「ドキッて……何よ、そのベタベタな反応は。まあ、いいわ。もう疲れたし。続きは、帰ったらじっくり搾り上げて聞き出してやるわよ」


 そう言って、相変わらず俺の首根っこを掴んだままスタスタと歩き出す。

 つまり、俺の地獄は帰ってから始まるということ。

 あぁ、イヤだなぁ……そんな俺の祈りが通じた――ワケではないだろうが。


 バキバキバキバキバキィ……


 不意に鳴り響くのは、森の木々を幾本も無理矢理薙ぎ倒したような、不穏で尋常ならざる爆音。それを契機に、次いで響くは住処を突然台無しにされた野生の鳥や動物たちの喧騒と断末魔。そしてこの不穏極まりない三重奏の最期を飾るのは、耳を劈く強烈な号砲。その音たるや、同時に生じた音圧だけで森の木々を悉く薙ぎ倒して、鬱蒼とした木々で隠されていた満点の星空を一瞬で俺たちに拝ませてしまうほどに壮絶であった。

 どこをどう考えても只事ではない事態が起こっていることは明白。

 否応なく事態の切迫を感じ取った俺とエルマは、互いに錆び付いた水道の蛇口ハンドルの如き『ギギギ……』と効果音が付きそうな位にぎこちない動きで背後を振り返ると。


「な……何だよ、アレ?」

「み、見て分かんないの? ど、どどど、ドラゴン……でしょ?」

「いや、それは分かってるよ。疑問は、何でそんなモンがここで出てきたのかって話で、ついでに何であのドラゴンはジッとこっちを見てるんだろうって話だよ!」

「それはまぁ……アレじゃない? 私たちへの怨恨、的な?」


 先程相手していた魔族は、竜人族。

 そしてこのタイミングでドラゴン。偶然で片付けるには、些か以上にムリがあるだろう。そうこうしている間に、ドラゴンは空を覆い尽くさんばかりに巨大な翼を広げると、跳躍。満点の星が美しい夜空へ舞い上がると、姿勢を変えて一直線に俺たちの方へ向かってくる。


「「――げっ!? のぎゃぁああああああああああああああああああああああああっ!?」」


 あんなバカでかい化け物と真正面からやり合うなど、どう考えてもムリ。

 直感で確信した俺たちは、一瞬のアイコンタクトと同時にその場から一目散に走り出す。


「何だこれ!? 何でこんなボスミッションが突然はじまるんだよぉおおおおおっ!?」

「何をワケ分かんないこと叫んでんの! いいから走る! 逃げるわよ!」


 夜の闇に木霊する言い争いも程々に、俺たちは当てもなく必死に駆けだした。

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