意外なところから知ることってあるよね。

「――っ!? おおっ! 俺、動くぞ!」


 エルマに置き去りにされてから、どれくらい経っただろうか? まるで金縛りにあっていたかのように四肢の一本も動かなかった体が、不意に自由を取り戻した。

 恐らくは、エルマと俺の距離が一定以上離れたことによる影響だろう。むくりと起き上がり、大地を踏み締める。そして首の可動域から見える体、更には少し歩いて湖面に映る自分の顔を見て、苛立ち混じりの溜息を零す。


「もう泥まみれじゃねえか! くそっ、あの女。クリーニング代と慰謝料くらい払え!」

「あのぉ……」

「あぁんっ!?」

「――ひっ!?」


 機嫌が悪いところに突然声を掛けられたため、条件反射で喧嘩腰の反応が出てしまう。すると声の主は余程驚いたのか、小さな悲鳴を上げるとその場に尻もちを突いて「いたた……」とか弱い声を漏らす。

 自分で言うのも何だが、生前の俺は見た目優男で気も弱かったので、男女年上年下問わずに舐められるような奴だった。その上、今は愛らしい白猫――いや、今に限っては泥猫というべきか?――のぬいぐるみという外見。どれだけ凄んだ声を出そうとも、驚かれる要素など微塵もないのだが……こんな俺に凄まれただけで、声の主はさぞビックリした様子。

 人がビックリする様子を見ると一周回って冷静になるという経験は無いだろうか?

 今まさにそれが発動した俺はふと冷静さを取り戻し、その声の主へ視線を向ける。


「あ! 貴女は、確かマリーさん?」

「えっ? あっ、はい。……アレ? 私名乗りましたっけ?」

「名札に書いてありますよ。組合の建物内で見ました」

「……ああ、成程!」


 得心いったように朗らかな笑みを浮かべるマリーさん。

 何だろう? 何というか、凄くおっとりとしているというか、マイペースというか。そんな何とも掴みどころのないキャラクターのマリーさんは、なるべく俺と同じ目線で話をしようという心配りなのだろうか、制服のスカートが汚れる事も厭わず徐に膝を折ると、俺に真剣な眼差しを向ける。


「改めまして、私はマリー……マリー=ノエルと申します」

「ああ、ご丁寧にどうも。神宮清風と申します」

「ジングウキヨカゼ……珍しい名前ですね。エルマさんが付けられたんですか?」

「えっ? いや、全然。俺の本名ですよ?」

「本名? アレ? 貴方エルマさんの使い魔ですよね?」

「…………はぁ? つ、使い魔?」


 素っ頓狂な声で反応を示せば、マリーさんは目を白黒させながら小首を傾げる。


「違うんですか? てっきり、貴方はエルマさんが作られた使い魔かと」

「いや、全然違――わないかな? というか、使い魔の方がマシかもしれん」

「……? 使い魔の方がマシ? 一体どういう――ああ! そういえば、エルマさん貴方の事を『奴隷』って言ってましたね」

「ぶっ!?」


 確信を付くことを何の突然言い放つモノだから、思わず吹き出した上に噎せ返る。


「えっ? 何でそれを? ま、まさかさっきのやりとりを?」

「ごめんなさい。貴方がエルマさんに殴られた辺りから、全部立ち聞きしてしまいました」


 申し訳なさそうな表情で白状するマリーさん。

 成程、結構序盤から聞いていたんだなぁ。なら、その場で止めて欲しかったものだ。


「盗み聞きしたことは謝ります。でも、お二人の話の内容や私の名札を組合建物内でご覧になられたということから察するに、貴方見てましたよね?」

「見ていたって、あの胸糞の悪いやり取りの事ですか?」

「む、胸糞悪い……まあ、そうですよね。お恥ずかしい限りです。でも、よかった。これなら話が早くて助かります」


 俺がトゲのある口調で答えれば、ホッと胸を撫で下ろした様子のマリーさん。

 一体何を持って安心したような振る舞いをするのだろうかと疑問に思っていると。


「お願いです! エルマさんを助けてください!」


 突然真剣な眼差しになったかと思えば、地面に三つ指ついて頭を垂れたのだ。

 これには思わず俺は虚を突かれたように唖然となり、言葉を失ってしまう。


「――えっ? いや、あの……えっ?」

「お願いします! お願いします!! お願いします!!!」


 何度も何度も、繰り返し懇願するだけのマリーさん。

 まるで状況が読めない俺はただ困惑することしか出来ず、怪訝な表情で小首を傾げるしかなかった。



 それからも幾度となく頭を垂れながら同じことを繰り返し続けるマリーさん。

 必死さだけは凄く伝わってくるが、しかしこれでは話が進まない。そこで俺は。


「――わっ、分かった! 分かりました! とりあえず話を、話を聞くので! だからまずは頭を上げてください!」


 思わず、そう叫んでしまった。

 そうして俺とマリーさんは並んで座ることになったのだが……穏やかな湖の湖畔に並んで座る女性とぬいぐるみという、傍目からみれば何とも奇怪な光景になってしまったのは言うまでもない。この状況、誰かに見られればマリーさんの名誉にとんでもない傷が付くことは請け合いだが、まあ背に腹は代えられまい。幸いというべきか周囲に人もいないし、マリーさんも「話を聞いてくれるなら、別に構いません」とのことなので、まぁ良しとするか。


「それで、助けて欲しい……とは?」

「はい。どうか、エルマさんを助けて欲しいんです。エルマさんが言っていた通り、このままじゃ、彼女死んでしまいます!」

「死ぬって、組合でもそんな話が囁かれていたみたいですが、そんなに危険なんですか?」


 俺がそう問えば、マリーさんはこくりと頷く。


「彼女が受注したクエストは、西の森に出現した竜人族の部隊を討伐するというモノ。既に命知らずの新人から名うてのベテラン、果ては組合でも上位のパーティーまで失敗した高難度のクエストです。そんなの、本来はソロでの受注など認められないのですが……」

「エルマはソロで受けられた。話に出て来た『プリム』とかいう冒険者ランクに関係が?」

「ええ、そうです。冒険者のランクは、上から『プリム』『セグゾ』『トリティナ』『クアルト』『キント』に最下層で駆け出しの『ルーデル』の計六つ。各冒険者組合から提出されたそれぞれのクエスト実績や能力から、王国の冒険者管轄機関によって叙されます」

「つまり、冒険者のランクとは王国のお墨付きのようなモノであり、国が制定している以上正式な身分として扱われているも同義である――と?」

「ええ、そういうことです。そしてエルマさんが叙された『プリム』は、その中でも最上位。個人で受注できるクエストに制約は一切なく、クエスト報酬も達成した時に自分で決めることができます」

「フリーランク、みたいなモノってことか。意外とすげえんだな、アイツ」

「そうなんです! 凄いんですよ、エルマさんは!」


 何の気なしにぽつりと呟いた言葉に、マリーさんは鼻息荒く同調してくる。

 まさかここまで食いつかれるとは予想外だった俺は面喰ってしまい、「へ、へぇ……」と乾いた返事しか出てこない。そんな俺の反応を見て我に返ったのか、マリーさんは居住まいを正すと「こほん」と咳払いをして態度を取り繕う。


「と、とにかく! エルマさんは『プリム』で、冒険者であれば誰もが憧れるその地位に一度たりともパーティーを組むことないまま、お一人の力だけで上り詰めてしまわれたんです。それは、とても凄いなんです。凄いことではあるんですが、でも同時に――」

「敵も作ってしまう……か? まあ、ゴリゴリの男中心社会だろうことは想像に難くない冒険者稼業の世界で女が、それもたった一人で目立てばそうなるか。憧憬よりも羨望よりも、まずは嫉妬とやっかみを向けられてしまう」


 尻すぼみに消え入りそうなマリーさんの言葉を想像で補完してみれば、マリーさんは静かに首肯。その説明には、思わず「……成程な」と声を漏らしてしまう。


「でも、本当にそれだけか?」

「……えっ?」

「気になっていたんだ。アンタたちのボスは、エルマの事を通り名か二つ名みたいなので呼んでいたよな? アレ、何だ?」

「二つ名って『半魔の幽姫』のことですか? えっ? エルマさんから聞いているのでは?」

「生憎だが、俺はあの女とは昨日からの付き合いなモンでな」

「…………えっ? ええっ? えぇええええっ!? そ、そうだったんですかぁあっ!?」


 心底驚いたのか、甲高い驚嘆の声が俺の隣で炸裂する。

 思わず耳を塞ぎたくなる――今の体の耳は、手が届かない――絶叫に思わず迷惑そうに顔を顰めると、口元を抑えながら幾度もペコペコと頭を下げるマリーさん。


「驚きました……エルマさんがあそこまで感情を露わにされていたので、てっきり凄く長い付き合いなのかと」

「感情を露わにって、俺敵意と害意しか向けられてないけどな?」

「それでもです! エルマさん、組合長や他の冒険者は勿論のことですが、担当の私にすら胸の内を明かしてくれたことはないんです。いつもクールでそっけなくて、当たり障りのない事務的なことを話すだけ。凄く距離があって、雑談振っても何も答えてくれないし、酷い時は無視されるんです!」

「それは何というか……お気の毒なことで」

「何ですか、ソレ! 厭味ですか!? ええ、そうですよぉ……私はどうせ何話しても無視される面白味の無い女ですよーだ!」


 ふくれっ面でそっぽを向くマリーさん。

 何というか、若干面倒臭いなこの人。


「……今、私の事『面倒くさい女』って思いましたね?」

「ぎくっ!?」


 半眼と共に確信を付く指摘を向けられ、思わず声が上擦ってしまった。


「ぎくって言いましたね?」

「き、気のせいだ」

「その言い分は、大分無理がありますよ?」

「そ、ソンナコトナイヨー」

「カタコトじゃないですか。白々しい」

「……す、すみません」


 観念して、深々と頭を垂れる俺。

 何だこれ? 俺の心はこんなにも読まれやすいのか? 異世界来てから、心のプライバシーがなくなっている気がするんだけど? 一体どうなってんだ?

 ――等と、頭を垂れながら思案している時だった。


「――ぷっ! ふふふ……あはははははははは!」

「……? ど、どうかしました?」

「あっ、いえ。すみません。そういえば前にエルマさんともこんなやり取りしたなぁ、って」

「……えっ?」

「エルマさん、頑固で意地っ張りだから勘違いされやすいんですけど、ああ見えて凄く優しい人なんです。そして、分かっているんです。エルマさんが私を遠ざけるのは、私の事を慮ってだってことくらい」

「慮って……遠ざける?」

「彼女の二つ名である『半魔の幽姫』の由来、そしてネクロマンサーという職業が極めてレアな職種であることを、ご存じですか?」


 真剣な眼差しで問われて、俺は静かに首を横に振る。

 するとマリーさんは、「これは内密に、そして私が喋ったと絶対に本人に言わないでください」と神妙な表情で前置きをした上で。


「彼女は、厳密に言えば人間ではありません。いえ、ただの人間ではない――というべきでしょうか?」


 重苦しい声音で、そう呟く。

 その言葉の真意を測りかねた俺が「ど、どういうことですか?」と問えば。


「彼女は、純粋な人間ではありません。人と人ならざる者との間に生まれた、ハーフです」


 小さな、しかしハッキリとした声音で、そう告げた。

 その言葉に理解が一瞬遅れた俺は、ただ「――えっ?」と漏らすのが精一杯だった。

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