苛立ちと別離


 全速力で駆け出したエルマが漸く足を止めたのは、組合の建物がある街の中心から少し離れた湖のほとり。長閑で、穏やかで、そして誰もいない。そんな場所までやって来たエルマは湖を眺めるには打って付けのポイントまで迷いなく足を運ぶとその場に腰を下ろす。


「……ふぅ」


 小さな溜息と共にフードを外し、火照った顔を外気に晒す。

 湖から吹き付ける風に肌を晒して、心を落ち着けようと深呼吸を繰り返す。

 だが、その程度ではやはり腹の虫は収まらなかったのか。


「……んなのよ……何なのよ、どいつもこいつも!」


 手近にあった拳大の石を鷲掴みにしながらスクッと立ち上がると、湖面に向かって思いっ切り投げ付ける。腰の回転まで利用した見事な投石フォームで、放物線など描かず一直線に空を切った石は大きなボチャンという音を立てて湖面の下へと消えていく。しかし、それでもエルマの気が晴れることはない。


「はぁ……イライラする! 何で、いっつもこんな――」

「お、おい……大丈夫か?」


 余りの剣幕と苛立ちように、流石に黙っていられなかった。ローブの下から這い出した俺は、優しくエルマに声を掛ける。だが、そんな俺にエルマが向けてきたのはゴミでも見るかのような不愉快そうな視線だった。


「これで大丈夫に見えると思うの?」

「……いや、全然」


 目線を逸らしながらそう答えれば、聞こえてくるのはバカでかい溜息。


「分かっているなら聞かないでよ。余計にイライラする」

「悪かったって……でも、とりあえず落ち着けよ? なっ?」

「落ち着け? ふざけんじゃないわよ……これが落ち着けるもんですかっ!? 状況分かってる? これから死ぬかもしれない――いいえ、今回ばかりは死ぬかもね。そんな危険なクエストを、嫌がらせで押し付けられたのよ? どうやって落ち着けってのよ!」


 顔を真っ赤にして目を些か潤ませるエルマに、思わず唖然としてしまう。

 かぁ……分かってはいたが、何とも可愛げのない。しかし、相手は心細くて苛立っている子供だ。故にここは大人として、文句や苦言ではなく元気付ける言葉を掛けてやるべきだろう。本当に言いたい辛辣な言葉を悉くグッと堪える。


「まあ、心配すんな。危ないクエストみたいだけど、大丈夫だって。何とかなるさ」

「何とか? 何とかって、どう何とかなるってのよ?」

「それは……ほら! 仲間を集めるとか? 一人では厳しいクエストも、仲間となら――」

「組合でのやり取り、見てなかったワケ? あの空気で、私に手を貸す酔狂なヤツがいると思う? それに寄って集って私にこんなクエストを押し付けた連中、信用できると思う?」


 考えなしの発言に返って来た反論の余地のないド正論に、俺は言葉を失ってしまう。確かに、あの状況でエルマに力を貸すヤツなどいるとは思えない。まして組合の責任者を敵に回している状態だ。面倒事を避ける意味でも、ここは捨て置くのが大多数だろう。


「わ、悪い……でも、大丈夫だって! 何せ、他の奴がダメでも、俺がいる。大船に乗ったつもりでいればいいさ!」

「…………はあ?」


 安心させようと、自分の胸をドンと叩きながら自信満々に言った言葉。

 それに対していつも通りの素っ気ない態度か、よしんば「ありがとう」が返って来るかと思っていたのだが、結論俺の発言はまたしても火に油を注ぐモノだった。


「アンタ、何言ってんの?」

「いや、だから! 危ないクエストでも、お前には俺がいるから大丈夫。俺、それなりに腕は立つから。だから、そんな心配すんなって。なっ?」

「――っ!? いい加減にしろよ……ふざけんなっ!」


 激怒の叫びと、憤怒の形相。

 向けられたその剥き出しの感情に驚く間もなく、薙ぎ払うように繰り出された裏拳がまともに俺の顔面に直撃。完全なる不意打ちに対処できず、俺は成す術なく湖畔を転がって泥を被る羽目になった。


「な、何すんだよ……俺は、ただお前を元気付けようと――」

「……元気付ける? 冗談でしょ? 戦いがどんなものかも知らない癖に、どれだけ危険で怖いかも知らない癖に、適当な気休め言ってんじゃないわよっ!」

「…………えっ?」


 激情に任せた咆哮は瞬間俺の虚を突いて言葉を奪い、口を噤ませる。頭が真っ白になって混乱して、沈黙してしまう。そんな中でも、怒りに任せたエルマの叫びは絶えず響き続ける。


「そういえば、家出る時も『夢と希望に満ち溢れた憧れある職業』とかバカみたいなこと言ってたっけ? なら、この際だしハッキリ言っといて上げる。いい? 冒険者の仕事は、遊びじゃないの! 負けたら死ぬの! 命掛かってんの! そんな遊び半分の気持ちで来られても迷惑なの! 足手纏いなの! まして今回は、一人でどうにか出来るクエストじゃない。一人で挑めば戦死前提みたいな超難関クエストなのよ? それなのに何も知らない遊び半分の素人の分際で『俺がいるから心配すんな』だぁ? 冒険者舐めんな、バカッ!」


 ……分かっている。エルマの言うことは正しい。何も間違ってはいない。

 そして俺は、彼女より大人で成人している。そんな大人として、クソガキの失礼な言葉にも決して腹を立てず声も荒げずに包容力で呑み込んでやるのが正しい振る舞いだろう。

 ああ、分かっているとも。しかし、どうやら俺は大人にはなり切れていなかったらしい。


「……うざってぇ」

「えっ?」

「さっきから黙って聞いてれば、好き勝手に喚き散らして偉そうに……嫌なモノも嫌って言えない臆病者の癖に、自分で自分の状況悪くしているだけの間抜けの癖に、何だてめぇ? ガキの分際で、偉そうに説教垂れてんじゃねえ!」

「――なっ!? あ、アンタ何を勝手なことを――」

「勝手なのはてめぇだろうが! お前の気分の浮き沈みに俺を巻き込むんじゃねえよ! そんなにイヤなら断ればよかっただろ! 怖ければ逃げればいいだろうが! それだけで済む話じゃねえか! それなのにグチグチと……バカじゃねえの?」

「ば、バカ? ふ、ふざけんなっ! 断る? 出来るワケないでしょ? 逃げる? どこに? 私には、逃げる場所なんかない! 帰る場所なんかないの! 何でそんなことも分かんないのよ!?」


 尚も感情塗れに喚き散らすエルマに、俺も更にヒートアップしていく。

 大人として、子供が謝ってくればまだ冷静に話し合おうと思っていた。

けど、これはムリ。もう限界! 絶対に引き下がらねぇぞ、俺は!


「ざけんな! 分かるワケねえだろうが、そんなモン! いい加減にしろっ!」

「――っ!?」

「大体、さっきから聞いていれば悲観まみれの悲劇のヒロインみたいな事ばっか言いやがって! あぁ、そうだろう。そりゃ、死ぬだろうさ。やる前から死ぬ死ぬ言ってればな! いいか? 死ぬって思ってやったら死ぬんだよ! でも、死なないって思えば死なないんだよ! 究極、人間がことを成せるか成せないかは心の持ちよう気の持ちようだ。最初からそんな弱っちい心意気でいたら、そりゃ負けて死ぬっての! そんなことも分かんねえのか、この……バーカ!」

「……るさい……うるさいうるさいうるさいっ! 黙れぇええええええええええっ!」


 湖畔に轟く絶叫。同時に俺の胸に刻まれた印が効力を発揮して、強制的に声と言葉を失う。


「……何も知らない癖に、お気楽で危機感のない甘ちゃんの癖に、どうせ土壇場になったら何も出来ないまま怖くなって逃げだす臆病者の癖に! 偉そうな口利くな! 何様だよ!」


 肩を上下させるほどに息を荒げ、目から大粒の涙を零しながら感情を爆発させるエルマ。

 正直、最初は本気で心配していたし、本気で力になりたいと思っていた。

 あの陰湿なやり取りは見ていて胸糞悪くなったし、命懸けの危険な任務に手練れの冒険者としてたった一人で出向かなければならなくなった状況にも同情を禁じ得なかったから。

 でも、こんなに言いたい放題暴言吐かれて八つ当たりされて、挙句「黙れ」と会話すら拒否する。そんな態度では、もう「可哀想」とすら思わなくなってくる。

寧ろ声に出してぶつけられなくなった分、ドンドンフラストレーションが堪ってイライラしてくる。だからこそ、声の俺は激情に任せて短い脚で疾駆。そしてエルマの間近まで迫ると同時に跳躍し、高々と飛び上がった俺は彼女の頬にパチンと一発グーを叩き込む。

 所詮今の俺の腕など殆ど綿の塊なワケで、風魔法も使わない俺の殴打などさして痛くも無いだろう。しかし、別に痛みを与えるのが目的ではない。俺の苛立ちを知って貰うのが目的なのだ……等と言葉を繕ったところで、俺がカッとなってやったことはタダの暴力なワケで。そして例え痛くなかったとしても、人間殴られれば必然的に。

 

「……奴隷の分際で、何の真似よ? おちょくってんの? ざけんなぁっ!」


 激怒するのは必然。まして先程から感情任せに怒鳴り散らしているような状態だったのだから、まさに火に油を注いだどころか石油タンカーを放り投げたようなモノである。

 完全に激怒したエルマは、殴られた礼とばかりに俺の華奢な体はがっしりと掴み、そのまま地面目掛けて叩き付けんと放り投げる。受け身も対ショックも無いまま叩き付けられれば、この繊細な布と綿の体は崩壊必死。そこで激突の衝撃を緩和するべく落下の瞬間に風魔法で防御を施したしたものの、如何せん想定以上に投力が強すぎた。

 全く、この女の腕力はどうなってんだ? 

 そう思ってしまうほどに圧倒的な膂力から繰り出した一撃によって加わる衝撃を瞬間的に理解して防壁を展開して緩和するなどという高度な対処など出来る筈もなく、地面に落下した俺は再び湖畔を転がって泥を塗れになってしまう。

 そして泥に塗れて地面を転がる俺を、エルマは容赦なく踏みつける。せめてもの救いは、履いているブーツのヒールで踏みつけられていないところか。ヒール部分なら、確実に体表の布が破れて中身がこんにちはしていただろう。

 万力の如くぎりぎりと踏む力は強まっていき、徐々に俺の体は地面へとめり込んでいく。そんな状況から逃れようと、声にならぬ叫び声をあげながらジタバタともがくワケだが……そんな俺を見下してながら、エルマは冷たい声音で告げる。


「もう、余計なことは一切しないで。目障りだからっ!」


 絶叫が轟いた瞬間、今度は動きの自由まで奪い去られてしまう。

 藻掻くどころか、腕を微かに動かすことすらも出来ない。

 まるで自分の周囲だけ時が止まったかのように制止した俺を見下しながら、エルマはゆっくりと脚を退ける。そして嘲笑と侮蔑を込めた冷たい眼差しで見下しながら。


「よく、分かったわ。アンタみたいな、反抗的な奴隷なんか私には要らない。もういい、クビよ。でも、最後の嫌がらせで契約は破棄してやらない。まあ、いいでしょ? 別に。どうせアンタは、数時間後には私の呪縛から解き放たれて自由になれるわ。私が死ねばね。よかったじゃない。ずっと嫌だったんでしょ? こんな陰気で貧相で暴力的で可愛げのない、その上ネクロマンサーなんて気持ち悪い職業の女から自由になれて。どう? 清々した?」

「…………」

「ああ、そうか。口利けないんだっけ? まあ、いいけどね。この期に及んで、分かりきった返事なんか聞きたくないし。……それにしても、下らないことに時間を使い過ぎたわ」


 言いたい放題好き勝手言うなり、エルマは踵を返して歩き出してしまう。

 ザッザッという砂を踏み締める音だけが、静かに響く。

 しかし、数歩歩いたところでエルマは突然「あっ」と声を漏らして足を止めた。


「そういえば、昨日働いてくれた礼をしてなかったわね。泥だらけになっちゃったけど、餞別代りにその体はあげる。あと、もし私が死んだら、あの家もあげる。好きに使いなさい。まあ、その二頭身だと苦労も絶えないだろうけど、元気でね。それじゃ、バイバイ」


 碌に目も合わせることないまま肩越しにそっけなく言い放てば、再び砂を踏み締めて歩き始める。

 無論、ここまで好き放題言われて黙っていられるほど、俺は人間出来ていない。言い返すために引き止めてやるべく何としても立ち上がろうと試みるが、腹立たしいことに体にまるで力が入らなくて上体を起こすことすら出来ない。

 声を張り上げて「待ちやがれ!」と叫びたいが、叫ぶどころか蚊の鳴く様な微かな声すらも出せはしない。今の俺に出来るのは、その背中がどんどんと小さくなって視界の隅からも消えていく様をただ見つめることだけ。

 ざけんな……待てよ、このクソ女! 

 声にならぬために、俺はせめても心の中で精一杯の悪態を吐くのだった。

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