胸糞の悪いイジメ


 炎天下の道を只管に歩き続けて数十分は経った頃、俺たちの前に一際立派な外観の周囲の建物より頭一つは大きい建物が現れる。

 入口に掛けられた看板に何が書いてあるかは相変わらず不明だが、出入りする者はガッチリと装備を固めた如何にも戦士であると言わんばかりの精悍な面構えの若人たちばかり。

 となれば、恐らくは。


「ここが、冒険者ギルド……」

「ギルドって何? ここは冒険者組合の事務所、タダの冒険者用の仕事斡旋所よ」

「えぇ~なんか味気ない名前だな。いいじゃん、ギルドで! カッコいいし!」

「私に言わないでよ。名称変更の権利が、私みたいな一冒険者にあるワケないでしょ?」

「まあ、それもそうか。下っ端冒険者になんかあるワケないか……」

「誰が下っ端よ、誰が! はぁ……もういいから、暫く黙ってなさい。姿は勿論、声も出さないで。もし出したら、その時はお仕置きよ」

「お仕置きって、おっかないなぁ……」

「返事は?」

「はいはい、分かってますって」


 俺の返事を聞いたエルマは、「……ったく!」と溜息交じりに漏らしてから一層目深にフードを被る。そして悠然とした足取りでギルド――じゃなかった、組合事務所へと足を踏み入れていく。


「いらっしゃ――あっ、エルマさん!」


 足を踏み入れて早々に、こちらに気付いた女性が駆け寄ってくる。

 ブラウスとチェック柄のベストにスカートという昭和のOLを彷彿とさせる組合の制服に身を包んだ、銀縁の眼鏡に両肩に垂らしたおさげ髪という小柄で地味めな風貌の女性。

 同時にその華奢で小さな体躯には不釣り合いな、走ると揺れるくらいに立派なモノを胸元にお持ちであり、何というか否応なくそこへ視線が注がれてしまうのが男の性というモノだろう。

 それにしても、穏やかで優しそうな上に小柄でスタイルがいいなど、どこぞの態度とタッパだけはデカい暴力貧相ネクロマンサーとは見事に対照的。

 どうせ奴隷になるなら、そんな優しくて包容力のあるタイプが良かったとしみじみ思う。あ~あ……チェンジしてくれな――


「――いだっ!」


 何の前触れもなく突然繰り出された顔面へのパンチに、思わず悶絶してモノローグを強制中断させられてしまう。えっ? アレ? どういうこと? タイミング良すぎない?


「……? どうかしましたか?」

「いや、別に。ただ、失礼なバカに躾を少々」

「……どういうことですか?」

「こちらの話だ。気にしないでくれ。それより、用向きを聞こう。わざわざ訪問する時間まで指定してきたのには、何か理由があるのでは?」

「ああ、そうでした。どうぞこちらへ」


 女性に案内されて、カウンターへと通されるエルマ。

 そうして後を付いて歩いている最中に、ドスの効いた小声でぽつりと呟く。


「帰ったら覚えていろよ、変態二頭身」


 これには、マジで背筋が凍った。

 間違いない。こいつ、俺の心読めている。さてはこの胸元の忌々しい印のせいか?

 しかし、擦っても消えない以上はどうしようもない。全く、内心で悪態すらも吐けないとは、何とも窮屈で悲しい話ではないか。


「あぁ……俺の自由よ、カムバック」


 ガックリと項垂れながら、小さくそう呟くしかない俺。

 あ~あ……こんなはずじゃなかったのになぁ。

 そうしている間にも二人は机を挟んで席に着き、本題の話をし始めた。



「それで、当組合としてエルマさんにお願いしたいクエストというのがこれなのですが」


 恐る恐るといった声音でその組合職員――首から下げた名札にはマリーと記載されている――が差し出してきた一枚の紙。それを受け取って目で追ったところで、ローブの中にいる俺ですら分かるほどにエルマの表情が凝然と固まる。


「これは、何かの冗談か? だとしたら、全く笑えないのだが?」

「それは……その……」

「いいえ、本気ですとも。貴女の力量ならば、そう見込んでの依頼ですよ」


 気の毒になるほど目を泳がせて声を上擦らせ、若干涙目になるマリー。そんな彼女に代わって、突如エルマの背後から答えを告げる声が響く。

 些か以上にしゃがれた、渋い老人の声音。肩越しに視線を送るエルマと同時に俺も声の主へ視線を送ってみれば、そこにいたのは素人の俺でも分かるほどに立派な仕立ての服に身を包んだ総白髪の老紳士。その口元には頭髪と同じ色の髭を蓄え、丁寧に整えられたその髭を指で弄びながら何とも厭らしい薄ら笑いを浮かべている。その表情から、どう見ても好意的とは言い難い。侮蔑、嘲笑、嫌悪、抱いている負の感情がありありと伝わってくる。


「く、組合長!? 今は会議の時間では?」


 驚きで目を丸くしながら立ち上がるマリーに、老紳士――冒険者組合の長はエルマに向ける表情とは打って変わって好々爺然とした優しい笑みを向ける。


「心配は無用だよ。会議はもう終わったからね」

「そ、そうでしたか……」

「しかし、驚いたねぇ。今日この時間にエルマ殿がお越しになると聞いていなかったのだが、これは一体どういうことかね?」

「そ、それは……その……ええっと……」

「組合長。私は、この組合に籍を置く冒険者ですが、気紛れに仕事を求めて出向いては何か不都合がありますか?」


 言葉に窮して露骨に目を泳がせるマリーを遮るように、すくっと立ち上がっては毅然とした物言いで組合長に食って掛かるエルマ。

 すると組合長は好々爺然とした表情を崩すことなく、「ほっほっほっ」と特徴的な笑い声を漏らす。


「左様でしたかぁ……いや、失礼。我が冒険者組合登録の冒険者の中でも屈指の実力者にして、『半魔の幽姫』の異名まで取られていながら、失礼ながらそこまで冒険者としてクエストを受注頂いている印象が無かったもので。実際ここ最近では、我々から仕事の依頼をしなければ受けて頂けない有様でしたからな。

ですが、いやぁ良かった良かった。自ら足を運ばれたということは、冒険者としてやる気になって頂けたということ。組合長として、何よりですぞ」


 馴れ馴れしくエルマの肩にポンと手を置き、その深い皺が幾筋も刻まれた顔をずいっと吐息が掛かるほどに近付けてそう言い放つ組合長。その声音は穏やかながらもどこか厭味な響きであり、称賛の言葉でありながら友好的な発言でないことは明白であった。

 間近とはいえ傍目で見ているだけの俺ですらそう感じるのだ。当のエルマは言わずもがなその違和感を感じ取っており、フードで隠した顔は怪訝と不快で険しく歪む。


「その呼び名はやめて頂きたい。あまり気に入ってはいないので」

「そうでしたか、それは失礼。ですが、私を含めてもう誰もが貴女をその通り名で認識しております故、つい……皆、そうであろう?」


 組合長がそう焚きつければ、抜け目なく聞き耳を立てていた周囲の冒険者たちがこぞって「おおっ!」と声高に同意する。何というか、クラスの日和見生徒共を煽るスクールカーストの中心生徒のような……これではまるでいじめの現場そのものではないか。

 完全アウェーで不快感が募る状況にエルマは勿論俺も険しい表情を浮かべていると、組合長の手がぬっと伸びてエルマの手に握られていた紙をさっと取り上げる。


「では、前向きに仕事を求めて足を運ばれたエルマ殿がご覧になられていたということは、このクエスト受注をご希望ということですな? この『明日までに西の森に出現した竜人族部隊を討伐せよ』というクエストをねぇ?」


 紙面を一瞥し、そしてエルマに見せつけるようにして紙面を見せびらかす。

 瞬間、外野の冒険者たちからどよめきが生まれた。


「おい、西の森に出現した竜人部隊って……」

「ああ、そうだ。既に幾つものパーティーが挑戦しては返り討ちにされたっていう、危険度マックスの難関クエストだよ!」

「しかもこの組合でも指折りの凄腕パーティーである『ラグーン』と『エニグマ』も挑んだらしいけど、どっちも惨敗。特に『ラグーン』なんか、リーダのユージン含めて大半が戦死か重傷で、パーティーが崩壊するんじゃないかって噂だよな」

「それを受注すんのか? しかもソロの癖に? いやぁ、正気の沙汰じゃねえよ……流石は『半魔の幽姫』だなぁ」

「まあ、何とかなんじゃねえの? だって半分は奴らと同じだろ?」

「言えてるぅ~! でも、それだと寝返って奴らの味方になるんじゃない?」

「大丈夫だろ? だって半分だけだし。奴らはプライド高いから、半分だけの半端者なんか受け入れるかよ」

「なるほどぉ~! あったまいぃ~!」


 好き勝手に囃し立てる外野共の主張は、どれも好意的なモノではなく寧ろ逆。

 そんな外野のざわめきを背に組合長はニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべ、エルマは増々表情を曇らせる。しかし、そんな中で。


「お、お待ちください!」


 おずおずと震える声が、響き渡る。

 すると外野の冒険者と組合長、そしてエルマと俺の視線までもが声の主に注がれる。


「何かな、マリー君。今、私はエルマ殿と話をしているのだが?」

「も、申し訳ございません。ですが、そのクエストは組合長の推薦もあって提示しただけのものであり、エルマさんは受注に難色を示されておりました。実際、皆さまご存じの通りそのクエストは当組合でも屈指の実力パーティーですら失敗した高難度の任務です。お一人で活動されているエルマさんの受注は、些か以上に危険度が高過ぎるかと――」


 必死に絞り出した声でエルマを擁護するマリー。

 しかし、そんなマリーの必死の主張も組合長の高笑いによって掻き消される。


「難色を示すなど、そんな事あるワケ無いだろう! 君の勘違いだよ、マリー君」

「…………えっ?」

「何せエルマ殿は、王国政府が制定した冒険者ランクの中でも最高峰の『プリム』ランクに叙されている優秀な冒険者。我が組合所属の冒険者の中でも五指に入る実力者のエルマ殿がクエストに難色を示されるなど、そんな事はあり得ない! 断じてない!」

「そ、それは……」

「それにソロでの受注が危険だというのなら、仲間を募ればよいだけの話だ。なに、エルマ殿ほど高名な冒険者なら、募集を出せばきっとすぐに人が集まるだろうさ」

「いっ、いえ……で、ですが――」

「諄いぞ、マリー君。『プリム』の冒険者が任務を拒絶するなど、そんな事ある筈がない。いや、あってはならんのだよ。それは、冒険者ランクを制定した王国の権威に傷を付ける行為と同じだよ。あり得ないのだ。故にエルマ殿は、このクエストを受けてくださるさ。そうだろう? なぁ、エ・ル・マ・ど・の?」


 徐々に、少しずつエルマの逃げ道を塞いでいく組合長。

 そうして追い詰められていくエルマを前に、反論の言葉を述べるのはマリーだけ。組合長は勿論、他の冒険者もエルマにクエストを受けるよう好き勝手に煽り焚き付けてくる。

 自身の影響力を利用して周囲の人間を煽り唆して、人間が誰しも持つ嗜虐性と仲間外れにされたくないという恐怖心と生み出された同調圧力によって一人を追い詰めて苦しめる――日本社会で嫌というほど目にしてきた、残忍で陰湿なイジメの典型的手法をまさか異世界に来てまで拝まされるとは思っていなかった。

 強烈なまでに胸糞の悪いこの状況は、しかし同時に渦中の追い詰められた一人の心を完膚なきまでに圧し折るにはこれ以上ない手法であるのもまた事実。まして多感な年頃の少女のメンタルで、これに真っ向から立ち向かうのは困難の極みだろう。よしんばそれが出来るとすれば、そんなのは雑草魂を持つ少女漫画のヒロインくらい。あれほどに浮世離れしたガッツあふれるメンタリティを持つ少女など、現実そうそういる筈などないのだ。


「……仕方ないか」


 果たして、状況と多数派の圧力で心が折れてしまった少女の諦観と自嘲に満ちた、弱々しくも悲しい呟きが俺の耳に響いてくる。

 その呟きと同じくらいに弱々しく震えた手で組合長が提示したクエストの紙を受け取ると、机の上に転がっていたペンを取って署名欄に自分の名前を書き付ける。

 そうして署名を終えたクエストの紙を、組合長に向けて丁寧に両手で差し出すと。


「冒険者、エルマ=グラディウス。本クエストを謹んで受注致します」


 少女の高らかな、しかしながら悲壮極まりない宣誓が建物内に木霊する。

 その声に野次馬の冒険者共は歓喜の声を上げ、組合長は醜悪な笑みを浮かべていた。


「それはよかった。では皆の者、勇敢な冒険者へ拍手を送ろうではないか」


 組合長の一声で、建物内の至る所から拍手と指笛の音色が響き渡る。

 耳障りな音をそのか細い体で一身に浴びながら、冷めた表情を浮かべる少女は踵を返して弱々しい足取りで出口を目指す。歓声と喝采と拍手を向けられながら、しかしどこまでの孤独な少女は一人建物を後にした。そして。


「……ちくしょう」


 屋外に出て誰の目も届かなくなったところで、ぎりり……と唇を噛み締めながら小さくそう零すなり一気に駆け出す。

 憤りと苛立ちと屈辱と絶望と――内心に抱えた数多の負の感情は一人で抱えるには辛すぎるが、この少女にそれを発散する術などあろう筈もない。それこそ精々、こうして我武者羅に体を動かす程度が関の山。

 そして一人では持て余すだろうそんな感情に苛まれる少女に、年長の身でありながら俺はどう声を掛けていいのか分からなかった。


「……ちくしょう」


何も出来ない情けなさから、俺もまた彼女と同じ言葉を無意識のうちに呟いていた。

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