理想=カッコいい冒険者 現実=情けないハンディファン


「むにゃむにゃ……もう食べられな――いだだだだだだだだぁっ!?」


 鼻面を捩じり上げられるような凄まじい激痛を感じて、飛び起きる。

 ジンジンと痛む鼻を抑えながら飛び起きてみれば、そこには両手を腰に当てながら呆れたような表情で俺を見下すエルマの姿。


「な、何……いきなり何すんだ!?」

「テンプレートな寝言なんか口にしながらいつまでも寝てんじゃないわよ、下僕の分際で。ほら、とっとと起きる!」


 昨晩のしおらしい雰囲気が嘘のような暴君然とした振る舞いを取り戻したエルマに有無を言わさずシーツを引っ剥がされ、その衝撃でベッドから転げ落ちた俺は「ふぎゃっ!」と悲鳴を漏らしながら床へと落下。ただでさえじんわりと痛む鼻に再度強烈な衝撃を叩き込まれ、思わず床で丸まって悶絶してしまう。


「てめぇ……俺の鼻に何か恨みでもあんのか!?」

「その顔のどこか鼻かなんかわかんないわよ。お望みなら、付けてあげましょうか? 鼻」

「要るかぁ! 折角の可愛いデフォルメフェイスにそんな目立つモンあったら、バランス崩れて可愛さが損なわれるだろうが!」

「……何目線での発言よ? というか、ぶつくさ言いながら案外気に入ってんじゃない」

「まあ、住めば都っていうしな。あれ? ちょっと意味違う?」

「知らないわよ。ところでどうする? その体を気に入っているのなら、あの約束はナシ。それで、今日はお留守番かしら?」

「あの約束? というか留守番って、どこか出かけるの?」

「そりゃあまあ、こう見えて実質一人暮らしの社会人だからね。仕事しないと」


 そう言って、ローブを着込むエルマ。

 仕事……そう、彼女の仕事と言えば――


「冒険者稼業ってことか! 行くっ! 行きますっ!! お供させて頂きます!!!」


 鼻面の痛みなどどこへやら。テンション爆上がりでピョンと飛び起きた俺は、エルマの肩へと引っ付く。


「さあ、行こう! すぐ行こう! 今行こう!」

「そんなにせっつかれなくたって行くわよ。……ったく、何でそんなにテンション高いのよ。言っとくけど、そんないいモンじゃないわよ。冒険者の仕事なんて」

「何言ってんだ! 冒険者だぞ! 夢と希望に満ち溢れた憧れの職業だぞ! これでテンション上がらないなんて、バカだと思う!」

「なら、私はバカでいいわ。ほら、さっさと行くわよ。言っとくけど、外では顔出さないで。ぬいぐるみとお出かけとか、恥ずかしくて死ねるから」

「へぇ、そうか。それなら――いいえ、大人しくしています、はい!」


 ニヤリと不敵な笑みを零しながら不穏な考えを巡らせる俺に向けられたのは、刺すような鋭い一瞥。敬礼と共に従順の意を示した俺に「ったく!」と嘆息しながら、エルマはローブのフードを目深に被る。そして些か建付けが悪いのかギギギ……とぎこちない音が響く家のドアを開けると、眩い日差しが照り付ける外界へと足を踏み出していった。



 今日の天気は晴れ。外気温は、体感で二十五度を超えている夏日といったところ。

 そんな汗ばむ日に、こんな真っ黒なローブを纏って外出するのは楽ではない。

 実際、ローブの中では。


「あっつぅ……ったく、何でこんな日に出掛けなきゃいけないのよぉ……」


 エルマの嘆きともとれる不平不満が、ローブの中に木霊する。

 その顔には大粒の汗を滴らせ、眉間に皺の寄ったうんざりとした表情を浮かべている。


「そんなに暑いなら、ローブなんか着なきゃいいだろ。こんなの来てたらそうなるわ」

「仕方ないでしょ。外出時、私にこれを着ない選択肢なんかないんだから」

「どういうこと?」


 思わず、小首を傾げてしまう。

 考え至る可能性としては、女性は顔を隠さなければならないという宗教か何かの規律による義務の可能性。元の世界でも、厳格な宗教の教義に『女性は肌を晒してはならない』というのがあったのを思い出す。その目的は確か、男性を誑かさないため、だったか?

 しかし、ローブの隙間から見える外界の様子からして、こんな暑苦しい格好をしている者などエルマくらい。他の女性は皆揃って薄着だし、中にはビキニアーマーのような往来を歩くには刺激的すぎる格好の女性までいるレベル。そういえば思い返してみれば、初日にこの世界に来た時も女性は普通にスカートを履いていた。つまり、この世界の女性全体に課せられた義務や規律による制限ではないということだろう。

 そして他の女性に必要ないのにエルマだけ必要ということは、他ならぬエルマ自身に何か問題があるということになるが……


「聞いて欲しくないことは聞かないんじゃなかったの?」


 不快そうでぶっきらぼうな答えで、はぐらかされてしまう。

 まあ、実際言ったのは俺なワケで、それを突きつけられてしまえば何も言えなくなる。


「まあ、分かる日が来るのを待つとするか。しかし、このままだと熱中症間違いなしだな。仕方ない。おい、少し首筋ヒヤッとするから注意しろ」

「――えっ? ひゃっ!?」


 ローブの中で、俺は風魔法を発動。冷風を生成して、エルマの首筋に当ててやる。

 さしずめ夏の風物詩ことハンディファンのような役割であるが、当然この世界にそんなモノある筈もなく、それ故か炎天下の屋外で風を浴びる習慣どころか経験すらなかったのだろう。凡そ炎天下とは縁遠い冷風が突然首筋に吹き付けてきて余程驚いたのか、エルマはゾワッと身震いしながら可愛い悲鳴を漏らす。


「おっ! いい反応じゃないですかぁ」

「うっさい! というか、いきなり何すんの!? ビックリするでしょうが!」

「悪かったって。でも、どうよ? 少しはマシになったんじゃないか?」

「えぇ? ……あっ、でも確かに、ちょっと涼しいかも」


 風呂上がりの冷たい飲み物や扇風機の風然り、炎天下の外回りから帰って来た後のエアコンの効いた部屋然り、熱を帯びて火照った体が冷まされる快感は何物にも代えがたい。生前の世界で噛み締めて実感したこの絶対の法則は、こちらの世界でも当てはまるらしい。


「どう? 中々良いモンだろ?」

「ま、まあね。気が利くじゃない。褒めてあげるわ」

「……そこは素直に、『ありがとう』と言うところだと思うけど?」

「はぁ? 下僕の癖に、調子に乗るんじゃ――にゃっ!?」


 あまりにも可愛くない返事が返って来て流石に若干腹が立ったので、首筋に当てていた風を耳へ注ぎ込んでやった。人間の耳とは、どうしてか風に敏感で弱いモノ。子供の頃、友達の耳に吐息を吹きかける遊びをやったことがある人も多いのではないだろうか。

 そんな子供の悪戯心の延長線上でやってみたのだが、「にゃっ!?」とは中々どうして面白い反応をしてくれる。興が乗ってもう一度やってやろうかと思ったのだが……まあ、俺にとって面白い反応ということはエルマにとっては不快であるも同義なワケで。


「――あっ、アンタ! それ禁止!」


 苛立ち混じりにエルマがそう呟けば、瞬間俺の胸に刻まれた隷属印が発効。

 同時に耳へと向けて発動した風魔法が強制的に中断されてしまう。


「ぐっ!? くそっ!」

「全く、どこまで悪戯好きなのよ。【隷属印】を使うの、昨日今日でもう十七回目よ。ホント油断も隙もあったモンじゃないわ。いい? 今後は黙って首筋にだけ風当ててなさい!」

「面白くないからヤダー! もっと自由な職場環境を要望するぅ~」

「……帰ったら、覚えてなさいよ。逆さ吊りにして顔から漬け込み洗いしてやるわ」

「げっ!? じょ、冗談ですってぇ……ホントすんませんでした! 勘弁してください」


 このぬいぐるみボディ、腹立たしいが一丁前に窒息する仕様になっている。そのお陰で、昨日浴槽に叩き込まれて悶絶して失神までしたのだ。あの苦しさ、筆舌に尽くしがたし。正直トラウマモノである。

 しかし膂力と権力に逆らえない以上、エルマの機嫌を損ねれば幾度でもあの責め苦を味わうことになるだろう。それだけは絶対勘弁願いたい俺は、渋々エルマの首筋に風を当て続ける。同時に、魔法で作る風とは別のもう一つの風が、自然と俺から漏れる。


「……はぁ……あ~あ。な~んか、なっさけねぇなぁ……俺」


 異世界へやってきて、数多の主人公のようなカッコいい冒険譚を――そんな夢を持っていたのが遠い日の事の様に思えてくる。

 理想と現実のギャップに遠い目をしながら、俺は静かにエルマの首筋に風を当てるマッスィーンとして彼女の移動を補助し続けたのであった。

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