幕間 小悪党にもエピソードがありまして 上

 その夜、モンターヴォはひどく酔っていた。


 今夜はカイによるトレーニングが中止になったので、仲間たちと夜更けまで飲んでいたのだ。


「くっ……ふらふらしますね。高貴にして酒豪な僕でもさすがに少し飲み過ぎましたか……」


 足下が定かではなくなり、ふらふらとよろけるモンターヴォ。

 

 元々酒に強い体質ではない。 

 これまで何度もアルコールで失敗してきた。


 それでも飲まずにはいられない


 耳に焼き付いた『あの声』から逃れるために。


 と、その時。


「助けて、誰か……! 助けて!」


 どこからともなく、助けを求める声が聞こえた。


 また幻聴だろうか?


 ――いや違う、たしかに聞こえてきた。


「……高貴にして冷然なる僕には関係のないことです」


 庶民を助けるなどまっぴらごめん――しかし。


 脳裏に浮かぶ、街の人々の顔。

 モンターヴォを応援してくれる人たちの笑顔。


「……なんなんでしょうね、まったく」 

 モンターヴォは足を止め、声を上げた。

「どこですか! 高貴にして救いの神である僕を求めるあなたはいったいどこにいるのです!」


「こっち……お願い、助けてよ……」


 声は路地の方から聞こえてくる。


 そこには少女が倒れていた。 

 月明かりに照らされる彼女の体は血まみれだった。


「ふんっ。高貴にして天使な僕に見つけてもらえるとは、運だけは豊富な庶民です。――さあ、立ちなさい」


 モンターヴォは少女に手を差し伸べる――その時。


『――ぼっちゃん……どぉして……どおしてぇ……どぅして……』

 

 耳の奥で声が鳴る。

 あの日の声が。


「――――」


 そうだ、いまさら人を助けてどうなるだろう。

 自分は悪徳に生きる者。


 あの日、そう決めたはず。


「…………っ!」


 モンターヴォは身を翻した。


 倒れた少女を見捨て、その場から逃走する。


 息を切らして街路を走る――。



「――おい、モンターヴォ!」



「……えっ!?」


 後方から手を引っ張られ、モンターヴォは強制的に引き留められた。


 振り向くと、そこには師匠のカイの姿があった。


「カイさん!? どこから出てきたのです!?」


「んなことはどうでもいい。モンターヴォ、お前どうしてあの子を助けなかった?」


「……見ていたのですか?」


「ああ、見てたよ。ちなみにあの子のことなら心配しなくていいぞ。ありゃ俺が見せた幻覚みたいなもんだ。――なあモンターヴォ、どうしてお前はいつも人を助けようとすると動きが止まる?」


「…………」

 モンターヴォは答えなかった。


 答える義務はない。たとえ相手が師でも――。


「答えない、か。まあたしかにタダじゃ答えられないよな――じゃあ、ほれっ」

 

 カイはモンターヴォの方にポイと何かを放ってきた。


「……っと。なんですか急に」


 モンターヴォは慌ててそれをキャッチする。

 手の中に入ったそれは――。


「これ、僕の秘蹟籠ひせきろう……」


 それは以前カイに取り上げられた、稀少マジックアイテムであった。


「返すよ、秘蹟籠。だからかわりにお前のことを教えてくれよ。モンターヴォ・ジル・ジンゲート、お前はどんなやつなんだ?」

 カイはまっすぐな目で聞いてくる。


「どうしていまさらこれを僕に……これが返ってきたなら高貴にして自由なる僕はもうあなたに従う理由はないのですが……」


 モンターヴォがカイに従っていたのは秘蹟籠を返してもらうためだ。


 返ってきたなら、もう師弟関係(強制)は解消だ。

 

 そのはずだ。


「そうだな。だからここからは俺たちは対等な関係だ。その上で、俺はお前に聞く。――モンターヴォ、お前はいったいなにから逃げている? 大陸に留学していたのは何かから逃げるため、違うか?」


「……どうして、あなたは僕を知ろうとするのです」


「さあな。まあ強いていうなら……それを知った方がおもしろい物語を紡げそうだから、かな?」


 くもりないカイの目――モンターヴォは観念した。


「はぁ……まったく」


 そうして、モンターヴォは話すことにした。


 自分が小悪党に『変貌』するまでの経緯を――。


**


 モンターヴォは『クーラ』の貴族であるジンゲート家の三男として生まれた。


 ジンゲート家は貴族といっても、三代前まで商家であった。


 その家風は優雅さとはほど遠く。

 誰もが彼もが止まれば死ぬと言わんばかりに忙しく動く。


 ジンゲート家に『安定』という概念はない。

 どの分野でも常に上を目指して登り続ける。

 決して足を止めることはない。


 その溢れんばかりのバイタリティーのみなもとは――コンプレックスであった。


『うちは貴族といっても成り上がり。成り上がりは負けたらすべてが終わってしまう。絶対に、他家に負けてはならん!』

 

 負けるな、絶対に負けてはならん――それがモンターヴォの父の口癖だった。


 侮られたくなかったのだろう。


 貴族としての歴史の浅さと家格の低さを成果で補おうとしていたのだ。


 父は子供たちの教育にも熱心だった。

 子供たちにあらゆる分野を修めて欲しかった。


 勉学、商学、

 ――それから武芸。


 父は特に剣の教育に熱心だった。

 一族の中から天下無双の騎士を出したかったのだ。


 父は雇ったコーチと共に、子供たちに『負けない剣』を教えた。 


 変幻自在に形を変えて、常に相手の苦手をついていく。

 不意打ち、挑発、細かな反則。

 あらゆる手段を駆使して全身全霊目先の勝利を掴み取る――そんな剣。


 子供たちは武芸大会で勝利を重ねた。

 品がないと揶揄されようと勝てば官軍。


 成り上がりの一族に、必要なのは勝利だけ。

 それがジンゲート家の家訓であった。


 一族の者は貪欲に勝利を目指した。


 ――ただ一人、三男のモンターヴォを除いて。


 モンターヴォはジンゲート家の一員とは思えないほど素朴な少年だった。


 彼は名誉にも勝利にも興味はなかった。


 幼いモンターヴォは純粋に剣を追求していた。


 最適なフォーム、ロスの少ない継足ステップ、強力な継技コンボ――絶え間なく模索を続けた。


 目先の勝利にこだわることなく、モンターヴォは先人たちの型をじっくり己の五体に染み込ませていった。


 試合での勝率は低かった。


 模擬戦の勝利のためにフォームを崩すようなことはしたくない。最終的に最強にたどり着ければそれでいい――それがモンターヴォの考え方だった。


 親兄弟は家訓を遵守しようとしない三男を責めた。


 ”なにをやっているんだ! 勝て、勝て、勝て!! 弱点をついていけ!!”


 だが、モンターヴォは頑固であった。


 ”欺き掴んだ勝利に意味はない――目の前の勝利にこだわりすぎては、最強にはたどり着けない”


 その意志は鉄のように硬く、湧き水のように澄みきっていた。


 この頃はまだ、モンターヴォは清廉なる少年だったのだ。


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