幕間 小悪党にもエピソードがありまして 下

 清廉にして潔癖だった少年時代のモンターヴォ・ジル・ジンゲート。


 結果に執着しない彼に対する風当たりは強かった。

 この恥さらしめと、親兄弟からは厳しく叱責された。

 

 しかし、モンターヴォは孤独ではなかった。


 ――心強い味方がいたから。


 ジンゲート家のメイド長、フリュネ。


 顔面にひびのようなしわを刻んだ老女である。


”ぼっちゃんのお考えは素晴らしいですわ。そうです、最初のうちは結果に拘泥こうでいするよりも、正しき型、正しき心を知ることの方が大切なのです”


 若かりし頃女剣士として名を馳せた彼女は、モンターヴォの剣の師匠を買ってでてくれた。


 厳しいフリュネの指導の元、モンターヴォは着実に剣の才を伸ばしていった。


 フリュネの課す修行の大半は素振りであった。

 彼女は朝から晩までひたすらにモンターヴォに剣を振らせた。

 

 地味で辛いそのトレーニングを、モンターヴォはもくもくとこなしていった。


”剣の軌道には、その使い手の人間性が出ます”


 フリュネは口癖のようにそう言った。


”心歪んだ者が振る剣は、その軌道も歪んでいるものです”


 そうかもしれない、とモンターヴォは思った。

 父や兄弟たちの剣の軌道は歪んでいるし、ブレている。


”ぼっちゃんの剣が描く軌道は、なんて素敵なのでしょうね”


 フリュネは厳しかったが、時々そう言ってモンターヴォを褒めた。


”こんなにまっすぐな軌道は見たことがありません。時間はかかるでしょうが、ぼっちゃんはいずれ必ず、最高の剣士になるでしょう”


 誇らしそうなフリュネの目――その視線を向けられると、嬉しくてたまらなかった。


 剣を振り続けていると、その軌道が残像となって目に残る。


 モンターヴォの剣閃けんせんは、気持ちいいくらいに一直線だった。


 ――僕がいくのはこの道だ。


 モンターヴォは家族のことも愛していたが、彼らと同じ道を歩むことはできない。


 血はつながっていても、あの人たちは別の人。

 なんとしてでも成果を掴み取ろうともがくあのエネルギーは賞賛するが、まねはできない――。


**


 もしもジンゲート家の人間が、頑固な三男モンターヴォをこの段階で見限ったのなら話は早かった。


 モンターヴォはいずれ家とたもとをわかち、己の信じるまっすぐな剣の道を歩んだだろう。


 だが――家族はモンターヴォに執着していた。


 彼らは気がついていた。

 三男モンターヴォの中にある、秀でて強い才知の光に。


 ――あれを手放すのは惜しい


 三男には、あらゆる分野で頂点に立てる素質がある。

 形にさえこだわらなければ、手段さえ選ばなければ、モンターヴォはどの分野でもすぐに名を馳せるだろう。


 一族の人間たちは、なんとしてでもモンターヴォを『こちら側』に引き込もうと躍起やっきになった。

 モンターヴォにジンゲート家の価値観を植え付けようと――。


 家族がモンターヴォを懐柔かいじゅうするためにとった手段は――あめであった。


 家族は三男モンターヴォに、とにかく優しく接することにした。

 そして語りかけるように、ジンゲート家の家訓を少しずつ伝えていった。


 頭ごなしに『こうしろ!』と押しつけられていたのなら、モンターヴォは反発していただろう。 

 だが、穏やかに話しかけてくる親兄弟をはねつけることなどできない。


 家族の言葉が、ジンゲート家の価値観が、じょじょにモンターヴォの体の奥に浸透していく――。


 モンターヴォの心には迷いが生じた。

 ――自分はもっとしたたかに生き、効率よく上をねらうべきなのではないか?


 だが、フリュネはそんなモンターヴォを叱った。


”ぼっちゃん。安き道を進もうとしてはいけません。頂点へと続いているのは険しい道の方なのです!”



 モンターヴォは家族とフリュネの間で迷った。



 ――そんな時、フリュネが病に倒れた。



 父は、フリュネを屋敷の奥の小部屋へと押し込んだ。

 そして息子に『フリュネは人に移る病にかかっている。決して近づいてはならん』と固く命じた。


 見舞いすらも禁じられた。


 フリュネがいなくなってから、モンターヴォはどんどん一族の価値観に染まっていった。


 品位は問わない、求めるのは結果だけ。

 負けたら終わり、価値を持つのは勝ちだけだ――そんな生き方。


 家族はモンターヴォが『仲間』になったことを喜び、急いで彼に帝王学を仕込んでいった。


 家の雰囲気はよくなった、居心地もよくなった。


 だけどモンターヴォは後ろめたかった。


(フリュネが今の僕を見たら失望するだろうな……)


 見舞いに行きたかったが、フリュネの病は三ヶ月経ってもまだ治らないようだった。


 ずっと、奥の小部屋で療養している。


**


 半年経っても、まだフリュネの病はよくならないようだった。


 モンターヴォはさすがに疑問に思った。


 ――フリュネはちゃんと医師の治療を受けているのだろうか?


 そのはずだ。

 そのはずなのだが……。

 

 モンターヴォは何度かフリュネの部屋の前までいったが、ドアを開けはしなかった。


 父に開けるなと固く言いつけられていたし、それに、賢くなってしまった今の自分をフリュネに見られたくなかった。


**


 そして、その夜がやってきた。


 その日、モンターヴォはどうにも寝苦しく、ベッドを抜け出した。

 

 庭で夜風にでもあたろうと階段を下り――その時、不審な物音に気がついた。

 一階から、なにかを引きずるような音が聞こえる。


 忍び足で近づくと、そこにいたのは――


「フリュネ……」


 やせ細ったフリュネがそこにいた。

 彼女は必死の形相で床をはっていた。


 急いで助けおこすと、フリュネは呼吸を乱しながら口を開いた。


「ぼっちゃん……どうか今から私の言うことをよく聞いて下さい……」


 フリュネが話し出したのは、ここジンゲート家についてであった。


 フリュネは先代当主の代から、メイドとしてジンゲート家に仕えていた。


 先代は並外れて我欲が強かったが、商人としてのルールを守って生きる人で、フリュネは尊敬していたらしい。


 だが、モンターヴォの父に当主の座が移ってからは、全てが変わった。


 今代当主である父は、手段を選ばない人だった。


 あくどい供託金詐欺をはじめたり、商敵を抹殺したり――少々度が過ぎていた。


 ジンゲート家は、すっかり様変わりしてしまった。

 卑怯者の集まりになってしまった。


 フリュネは純朴な三男だけはその価値観に染めたくなくて――剣の師匠をしながら、必死に『正しい』生き方をモンターヴォに教え込んでいた。


 さらにフリュネは、メイド長の仕事をこなしながら、少しずつ今代当主の悪事の証拠を集めていった。


 いつか、告発するために。


 そしてちょうど証拠が揃った頃――フリュネは病に倒れた。


 人に移る病だと医師に診断されたフリュネは、鍵のかかる小部屋へと閉じこめられた。



 しかし――フリュネの病は、本当に病だったのだろうか?



「……私のこれは、おそらく毒でしょう。旦那様が……私の行為に気づいて。それに……私がうとましかったのでしょう、ぼっちゃんに別の道を教える私が……――ぼっちゃん……どうか、これを……」


 フリュネは震える手で、モンターヴォにメモ用紙を差し出した。

 そこには、これまでフリュネが集めた告発用資料の隠し場所が記されていた。


 フリュネはモンターヴォにこれを託すために、必死になって鍵を壊し、部屋から脱出してきたのだ。


「私の代わりにどうか……この家を正して下さい……ぼっちゃんなら……できます……」


「――……」


 モンターヴォはメモを前にして、固まった。


 人として、どうするべきかはわかってる。

 フリュネの資料を使って父や兄弟たちを告発し、この家を正さなくてはならない。


 いやそれよりもまず先に、フリュネを別の医者へと連れていき、毒を抜いてやらなくは。


 少し前までのモンターヴォなら迷わずそうしただろう。

 だが、モンターヴォはもう、以前の彼ではなかった。


 一族の価値観に染まり、世間を知った彼は、打算ができるようになってしまった。


 誰になにを言われようとも己の道を突き進むあの強さはもう、モンターヴォの中にはなかった。


 もしも、とモンターヴォは考えた。

 もしも父や兄弟たちのやっていることが明るみに出たら――この家は終わりだろう。


 モンターヴォは、金も名誉も失い、荒野のような人生を歩んでいかなくてはならなくなる。


(いやだ……今の僕には無理だ……)


「――――……っ!」


 モンターヴォは半ば衝動的にフリュネのメモを破り、握りつぶして――飲み込んだ。


 フリュネは愕然とした表情で、そんなモンターヴォの顔を見つめた。


「ぼっちゃん……どおして……どぉしてですか……あなたは、あんなに……」


 モンターヴォは繰り返されるフリュネの「どうして」に答えず、彼女を元の小部屋へと運んだ。


 そして、ベッドに寝かせた。


 毒に侵されたフリュネを置いて部屋を出て、ドア閉じた瞬間――モンターヴォは決定的に変貌してしまった。



 ――失意のせいか、フリュネその数日後に死んでしまった。



 フリュネがいなくなっても、モンターヴォの人生は暗転したりしなかった。

 むしろ、それ以後全てが順調だった。


 生まれ持った機転と知恵をフルに発揮し、商売で、そして剣で、めざましい成果を上げた。


『クーラ』や『セフォル』でモンターヴォの名を知らない者はいなくなり、やがて大陸への留学が決まった。


 モンターヴォは留学先の王立学校でも優秀な成績を修めた。


 ジンゲート家の当主は、三男に家督を譲ることを決め、モンターヴォを呼び戻した。

 兄たちにも異論はないようだった。

 それほどモンターヴォは優秀なのだ。

 

 全てが、全てが順調だった。


 ――ただ。


 かつてフリュネに褒めてもらった剣の軌道は、どうしようもなく、歪みきってしまった。



**


 モンターヴォの過去話はそこで終わった。


 なるほどな、と俺は頷く。


「よくわかった。モンターヴォ、お前が人助けをしようとすると手が止まるのは、そのフリュネさんのことを思い出してしまうからだな?」


 俺がそう聞くと、モンターヴォは力なく頷いた。


「ええ……。僕が時々、気まぐれに人助けをしようとすると、耳の奥であの日のフリュネの声が聞こえるんです『どうして……』って。どうして自分の時は助けてくれなかったのに、って」


 

 よし、これでだいたいモンターヴォのことが理解できた。


 かつて純朴だった少年剣士モンターヴォは、俗世の価値観に毒され、罪を犯し、存在の芯を失った。


 こいつが口上でよく自分は『高貴』だ『エリート』だとアピールするのは、不安で不安で仕方がないからなのだろう。

 自分の存在を規定したい、レッテルを着たいのだ。


 露悪的に振る舞うのでもそうだ。


『悪人』というレッテルでもいいから、とにかくなにかを着たい。


 結果、悪徳に手を染め続ける。


 家族もそれを止めないし、むしろ推奨するし、しかも生まれ持ったスペックが超高いから手に終えない。


「……ったく。めんどくせーな」

 

 結局、フリュネさんに許してもらいたいだけのくせに、ずいぶんこじらせやがって。

 

「それじゃあ、まずはフリュネさんの墓にいくとこから始めるか。どうせ行ってないんだろ。場所くらいはわかるよな? 案内しろや」


「な……!? 行けるわけないではないですか……!! 僕が殺した相手に、会いにいけるわけ……絶対に、許してなんて……」


「バカがお前は。許してもらえそうにないから謝らないってのはおかしいだろ。相手に許しを期待するな。許してもらえなくてもするから謝罪っていうんだ」


 俺は嫌がるモンターヴォを墓地の方へと引きずっていく。


 ……キリシャ攻略してんだかモンターヴォ攻略してんだかわかんねえな、しかし。


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