領主の娘はひろい世界に憧れているようです 13


 夜の帳が下りる頃、商人や職人たちは店を閉め――酒場に向かって走り出す。


 アルコールを入れて脳を鈍らせ、浮き世の辛さを忘れるために。 


「お元気なこって」


 飲み屋街の騒がしい店々を眺めながら、俺は呟いた。

 

 誰も彼もがバカ騒ぎをしている。


 ガハハと笑ういかついおっさん。


 ウェイウェイ言ってるうぜー若者――あ、あれモンターヴォだ……。


「遊ぶなっつってんのに……」

 今日は深夜の特訓を休みにしたので、息抜きにきたのだろう。


 今すぐモンターヴォをぶっ殺してやりたかったが、あいにく今夜は他に用がある。


 俺は飲み野街の路地へと入り――そして『ミラー』で身を変じた。


「慣れないな、女に化けるのは……」


 俺が化けたのは、薄ら笑いのよく似合う妖婦ようふ――キリシャの継母ママハハのイレーネである。


 妖艶、って言葉をまさに体現するような女だ。


 ドレスの空いた胸元からのぞく、張りのある胸。

 粒の汗が浮かぶ魅惑の谷間。

 

 極めつけは長い脚――男を惑わす蜘蛛って感じの女である。


「もうちょいエロくなっとくか」


 イレーネに化けている俺は、右手を自身の胸元に差し込んだ。

 そこには、普段の俺にはない乳房がある。


 高級果実のようなそれをいじくり回し、敏感な場所を探す――。


「…………っ」

 息が乱れる、肌が赤らむ、目が充血する。


 ……よしよし、これで色香は10倍くらいになっただろう。


 そして、俺は飲み屋街へと繰り出した。


 誰も彼もが、イレーネに化けている俺に視線を送る。


 男たちが頻繁に声をかけてくる。


 もしも俺が今転んだりしたら、男たちは手をかそうと殺到するだろう。

 

 なんてイージーモードな世界……。


「こういう世界で生きてりゃあ、そりゃ傲慢にもなるよなあ」


 『ミラー』のおかげで、最近はあらゆる類の人の気持ちがわかる。

 なんておもしろい。


 などと考えながら歩いているうちに、俺は目的地へと到着した。


 他の店とは一線を隠す高級店だ。


 店内では、いかにも人生の成功者ですって顔をした男たちが、酒と女を楽しんでいた。


 俺はカウンターで一人飲んでいる男の隣へ。

「ここ、よろしいかしら?」


「ええ、もちろんですともマダム――おや、貴女あなたは……」

 男は目を見開いた。


 領主の妻がどうしてこんなところに、と。


 俺は微笑みを浮かべながらそんな男の口に人差し指を当てた。


「旦那さま、野暮はおよしになって。ここにいるのは男と女……グラスの前では名前なんて無用の産物。そうでございましょう?」


**


 そうして夜を明かした俺は、朝が来るなり急いで街の一軒家へと向かった。


 老兵の姿に化け、ベッドにもぐる。

 最近はキリシャが早い時間に来るのだ。


「おじいさーん! キリシャが来たですよー!」


 と、扉の向こう側から声。


 ハツラツとした声に、思わず顔がほころんでしまう。


 声までラブリー♡


 家に入ってきたキリシャは、持ってきた麻の袋を開けた。


「キリシャは今日、いーっぱい種と球根をもってきたですよ! おじいさんの蟻のひたいほどのお庭をお花で華やかにしてみせます!」


「おや、いいですなあ!」


 蟻のひたいという斬新な表現についてはスルーの方向で。

 子供ってナチュラルに見下し発言をしてしまうのだ。


「ふふーん。キリシャの植物たちでおじいさんのお庭を侵略してやるです! キリシャはフロンティア精神が豊富なのですよ!」


「おやおやそれは怖いですなあ~」


 はぁん……なごむ。なにこのかわいい侵略者……。


 むしろ俺に植え付けてくれてもいいのよ……。


 いや最終的には俺がキリシャに色々植え付けることになるんですけどね(最上のゲス発言)。 


「それじゃあ、早速始めるですよ!」

 裏庭に向かおうとするキリシャ。


「お待ち下さいお嬢さん。そのまま土をいじってはせっかくのドレスが汚れてしまいますぞ」

 俺はいそいそと棚から水色のワンピースを取り出した。

「実は……お嬢さんのためにこれを仕立てておきました。私の家ではどうぞこれを身につけて下さい」


「わあ、プレゼントですか! お気遣いありがとうですよおじいさん! ではお着替えするです!」


 すると、キリシャはその場で豪快にドレスを脱ぎだした。

 うわ……頭から抜こうとしてる。


 俺はキリシャを手伝い、ドレスを頭からスポッと抜いてやった。


 キャミソールも一緒に脱げたようで、キリシャの身体を隠すものは上下の下着のみになる。

 

 ほぼ裸の全身――プロポーションはまだまだなのに、脱ぐとやはり女なのだ。


 膨らみはじめて間もない乳――着替えの際にちょっとブラがずれたようで、薄く色づいた部分が見えている。

 蕾(つぼみ)がもうほんの数ミリで顔を出しそうな……!


 そして布の喰い込む秘部――吸い込まれてしまいそう……。


 それからなによりちっちゃなおへそ――舌先でちろちろしたら、キリシャはどんな反応を示すだろう。


 首から鎖骨にかけてのライン――儚く、そして美しい。


 肉は薄いのに、その体は立体的で陰影があり……とにかくエロいのだ、キリシャは。


 ……いつまでも見ているわけにはいかないので、俺はさっさとワンピースを着せてやった。


 セットで麦わら帽子もプレゼント。

 うん、ラブリー♡


 そしてキリシャとお庭で土いじり。


「お花さん、しっかり咲くですよー!」

 穴に埋めた球根に、真剣な表情で水を注ぐキリシャ。


 そうして一つ一つ球根と種を植えていき、いつの間にやら夕方。


 と、不意にキリシャは言う。


「……おじいさん、お庭にお花さんがいっぱい咲けば……おじいさんは、キリシャがいなくなっても寂しくないですか?」


 俺を案じるようなキリシャの視線。


 なるほど、そういうことか。

 

 キリシャはもうすぐユータロウと旅立つ――予定だ。


 ユータロウがモンターヴォとの決闘に勝てば、キリシャはユータロウの一行に加わる。

 この街からいなくなる。

 

 キリシャは旅立ちを楽しみにしているが――一人残していく『おじいさん』が心配でならないのだろう。

 だから、花を植えに来たのだ。

 

 自分がいなくなっても、俺がさみしくないように。


「いえ、きっと寂しいでしょうなあ……お花を見るたびにお嬢さんのことを思い出してしまいそうです」


「…………」

 ワンピースの裾をつかみ、しゅんとしてしまうキリシャ。


 ああ、落ち込んでる姿もかわええ……。


「ですが、私のことは気にしないで下さい。若者の旅立ちを邪魔するわけにはいきません。お嬢さんは探したいものがあるのでしょう?」


「はい……キリシャは……探したいのですよ。みんながにこにこ笑える場所を。きっと――どこかにはあるはずですから」


 キリシャは好奇心ゆえに旅立とうとしているのではない。

 

 あの山の向こうになにがあるか知りたいわけではないのだ。


 キリシャの出立は、理想郷を探すため。

 心安らげる場所が欲しいだけ。


 その気持ちは、俺にもよく理解できた。


 地球にいた頃、俺もよく職場で夢想したものだ。


 萌ゆる緑――豊かな果実――透明な湖――静かな小川――白い砂浜と青い海――


「お嬢さんならきっと見つけられますとも。――ですが、旅立ちまではこの老骨の相手をして下さいますか? お嬢さんの笑顔を心に刻みつけておきたいのですよ」


「はい! キリシャもいーっぱいおじいさんに甘えるですよ! 思い出たくさんなのです!」


 キリシャはにっこり笑い、「パパ~♡」と抱きついてくる。


「よしよーし」

 今は、キリシャに幸福を体験させる段階だ。


 作戦が動き出すまでの、ひとときの安らぎ――。


 俺はキリシャを抱きしめながら、心の中でわびる。


 ごめんね、君が旅立つことはない。


 俺が、その機会を叩き潰してしまうから。


 君はこの街に残り――他の女たちと同じように俺にやられることになる。


 ユータロウにではなく、俺にだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る