【第7章】訪れる珍客

その1 猫。

あら可愛い、じゃねーよ!!



新井:「イケちゃん、それ野良猫?」


イケ:「たぶんそう。玄関開けてたら、なんか入って来ててさあ。」


新井:「それすぐに外に出して!遠くで放して!」


イケ:「なんで?」


新井:「ノミ!ノミがここで繁殖したらどうすんのよ!」


イケ:「ノミ?」



「なんだそれ?」みたいな顔をして抱えた猫を見る夫。

その腕に黒っぽい点が動いたのを、私は見逃さなかった。



新井:「腕!左腕!ノミが居る!!」


イケ:「え?は!?」



驚いた夫は、猫を離し、自分の腕を見る。



イケ:「え?何?どこ?」



ノミが見当たらない夫は困惑し、キョロキョロしている。

その間に、夫の手を離れた猫は、床を走り、宿の奥へ入って行った。



新井:「うっわ!マジか...。最悪。」


イケ:「だから、どこよ?」


新井:「猫を捕まえて!早く!」



夫は私に不審な目を向けるが、言われた通りに、猫が行った方向へと足を進める。

私も追う。



新井:「イケちゃん、殺虫スプレーはどこに置いてる?」


イケ:「玄関の靴箱の中に、スズメバチ用のやつがある。」


新井:「それだけ?ダニ用のやつは?」


イケ:「ギンチュールってダニに効くっけ?」


新井:「ギンチュールって何?主成分は?」


イケ:「成分はわからんけど、銀島ぎんしまの有名な殺虫剤。」


新井:「それはどこにあるの?」


イケ:「実家。」


新井:「わかった。じゃあ、私が実家に行って来るから、イケちゃんは猫を捕まえてできるだけ遠くに離して。」



はあ...。

無知にも程がある。

あれでよく宿泊業をやろうと思ったもんだな...。


私は呆れながら、イケちゃんの実家に向かう。

実家の呼び鈴を押す前に、自分の身体にノミが付いてないか念入りに確認した。



女声:「はい。どちら様ですか?」



インターホン越しに聞く声は、記憶の中には無い人のものだった。



新井:「はるかです。シンちゃんの妻の。」



「妻」と自分で言うのに、何か複雑な気持ちが湧いた。

「シンちゃん」の方は、なんら抵抗が無かった。

我が子が居れば、夫の事を「パパ」と呼ぶようなもので、相手に合わせた言い方だから...で、インターホンの向こうの相手は誰かな?



女声:「はい。少々お待ちください。」



その答えから10秒程度で、玄関は開いた。

そこには、初対面の女性が立っていた。



新井:「あの、どちら様ですか?」



自分がされた質問を、姿が見えてから相手にそのまま返すというちょっと不思議な状況。



女性:「日射ひざしの館の職員の、埜瀬のせと申します。」


新井:「初めまして。こちらでお仕事をされているのですか?」


埜瀬:「はい。高齢の方向けの、訪問ケアをしています。」


新井:「ああ。なるほど。」


新井:「あの、ちょっと急ぎなのですが、こちらの殺虫剤を使わせていただきたくて。」


埜瀬:「殺虫剤...確か...。」



埜瀬と名乗ったその女性は、玄関の戸棚を開けて、殺虫剤を探し始めた。



埜瀬:「ありました。これでいいですか?」



埜瀬の手には、スプレー缶が2本あった。

1本は、イケちゃんが言ってたギンチュール。

もう1本は、これまたイケちゃんが言ってたものだと思われる、スズメバチ用のやつ。


ギンチュールの有効成分を見たけれど、私の記憶には無いものだった。

同じ成分だとしても、日本と月本で呼び方が違う可能性もありえる。

そこで、どの虫に効くかで判断しようとした。


蚊・蝿...などと、日本で見慣れた虫の名前が列挙されていた。

しかし、その中にノミは含まれていなかった。



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