第10話 弱いところは崩される

「お二人とも、お忙しい中をありがとうございます」


 ベアトリーチェが個人で借りてくれた会議場で、プレゼン大会は始まった。あかねたちはテーブルの上に菓子を出し、息を詰めてベアトリーチェの動向を見守る。


「まあ、綺麗なお菓子」


 ぱっと目をやり、ベアトリーチェが興味を示した。これはいい兆候だと茜は安心する。


「何を使っているか分かりやすいものはないけど、どれも魅力的なデザインね。一ついただいてもいいかしら?」

「どうぞ!」


 茜は黙って、ベアトリーチェが菓子をつまむのを見守った。彼女が最初に選んだのは、葡萄の干錦玉ほしきんぎょくだ。


「美味しい……」


 一口囓ったベアトリーチェの口から、まず感嘆の声が漏れる。西園寺さいおんじがにこにこしながら、その様子を見守っていた。


「ゼリーかと思いましたが、食感が寒天ですね。こんなに薄く作られたお菓子を見るのは初めてです」

「コインみたいで綺麗でしょう? 干錦玉といいます」


 西園寺は水を得た魚のように菓子の説明を始める。放っておくといつまでもしゃべりそうなので、茜はそっと彼の肩をたたいた。


「あ、ああ。申し訳ありません。他の二つも個性的なお菓子ですので、ぜひ食べてみてください」


 西園寺が残りの二つを指さす。するとベアトリーチェは、少し眉間に皺を寄せた。


「これは、バームクーヘンとパンではありませんか? 私は和菓子の製作をお願いしたはずですが……」

「ちゃんと和菓子の要素もありますよ。食べてみてください」


 西園寺に勧められて、ベアトリーチェは戸惑いつつも手を伸ばす。彼女が手に取ったのは、バームクーヘンの方だった。


「じゃあ、こちらから……上のコーティングがゼリーなのは、少し面白いと思いますけれど……」


 数秒後、バームクーヘンを口に含んだベアトリーチェが身を乗り出した。最初の頃の気のない様子とは、まるで真逆の反応だ。


「もしかして、上のは餅……いえ、透明だったからわらび餅でしょうか? 面白いアイデアですね」


 さすがにベアトリーチェはひと口で気付いた。西園寺がうなずく。


「はい。オレンジ風味の上層と、下のチョコレートバウムがよく合うでしょう? 僕のアイデアではなく、知人の店が考えたものなんですけど」

「初めていただく食感でした。それではこちらの品も、ただのパンではなさそうですね」


 ベアトリーチェは勢いのまま、最後の一品に口をつける。そして楽しそうに微笑んだ。


「……餡は色々食べてきましたが、チーズ味のものは初めてです。さわやかな酸味が重なって、これも美味しいですね」

「そうでしょう? クリームチーズと合わせると、お互いの良さが一層際立つんですよ。外のパンにもチーズを入れて、サクサクした食感がねっとりした餡と対比になるようにしてあります」


 食べ終わったベアトリーチェは、西園寺の質問を聞きながらうなずいていた。


「驚きました。洋の要素もうまくとりこんで、きちんとまとまっています。こんなものが作り上げられるなんて、想像していませんでした」

「じゃあ」

「はい、これを大使に食べていただきたいと思います。一週間後も期待していますよ」


 茜と西園寺は、喜びの視線を交わした。その横でお茶を飲みながら、ベアトリーチェが言う。


「それにしても、日本の方々は面白いですね。外国文化を取り入れることにあまりためらいがないというか、頓着がないというか」

「昔から自分に都合のいいように受け入れてきた国ですからね」

「お菓子だって、きっとこれからいくらでも変わるでしょう。和菓子に不可能はありません!」


 苦笑する茜の話をうけて、西園寺がまた熱くなり始めた。


「じゃあ、百種類でも千種類でも、新しいお菓子が作れるのでしょうか?」

「大丈夫です! なんなら万でも!」


 高峯たかみねが巻き添えになるのを防ぐため、茜も今度は強めに西園寺を叩いた。


「和菓子は奥が深いんですよ……」

「それと、できない約束をしちゃうのは違うでしょ! バカなこと言ってないで、まずは足下をしっかり固めないと」


 また暴走する西園寺を止める茜を見て、ベアトリーチェがくすくすと笑った。


「お二人はとても良いお仲間なのですね。見ているとこちらまで楽しくなってきます。今後も期待しています」

「あ、ありがとうございます」


 恋人、と呼ばれなかったことに少しがっかりしながら、茜は笑顔を作った。




「じゃ、また一週間後に。送ってくれてありがとう」


 西園寺と笑いながら別れ、茜が自宅に入ると、いつもは気安い口をたたいている徳三とくぞう蒲田かわたが難しい顔をしてにらみ合っていた。まさか千春ちはるのことか、と茜は一瞬身構える。


 しかし彼らに近付いてみると、そんな軽い問題ではない、と茜の本能が告げてきた。


「お父様、どうなさったのですか……」


 茜がおそるおそる聞くと、徳三は一瞬の間の後に答えた。


「関連会社の不祥事だ。他にも不審な報告があがっていてな。……二度とあってはならんことだ」


 茜はその重すぎる報告に打ちのめされ、息をのむ。徳三は真摯な顔のまま続ける。


「私は現地へ視察に行ってくる。打つ手があればやってしまいたいしな。済まないが、こちらの仕事は頼むぞ」

「分かりました、お父様」


 茜が返事をするや否や、徳三は振り向きもせずに去って行った。彼が起こしたつむじ風を受けながら、茜は残った蒲田に聞いた。


「一体、何があったの?」


 蒲田はため息をついてから答えた。


神月こうづき製薬がいくつか、子会社を持っていることは茜様もご存じでしょう。その一つが、医薬品を製造するための設備基準を満たしていないと摘発されたのです」


 茜は不安になってきた。医薬品の品質は国の試験で確かめられており、工場や製品がそれを突破できないと操業停止、商品の回収といった処置が必要になってくる。神月製薬が今までそんな指摘を受けたことは、一度もなかったのだが。


 首を傾けた茜を見て、蒲田が口を開く。


「……どうやら、数年前に合併した会社の一つが良くなかったようです。旦那様の知り合いから、経営に困っているから買ってくれと懇願されたのですが……内部はかなりボロボロだったようで、何者かに密告されて今回の事実が明るみに出ました」


 蒲田の声には、犯罪行為を隠して売った知り合いとやらを咎めるような色がにじんでいた。しかし茜には、それ以外の場所が気にかかる。


「その何者かって……」

「分かりません。しかしかなり準備をして、こちらが疎かになっているところをついてきています。手強い相手なのは間違いないでしょう」


 茜の脳裏に、微笑む千春の顔がぱっと浮かんだ。


「回収する品目は大量になるでしょう。どう見積もっても、大きなニュースになることは避けられません」

「会社が立ちゆかなくなる、ということはないの?」


 茜に問われて、蒲田は一瞬目をそらした。


「……分かりません、難しい事態です。できる限りのことはいたしますが、ないとは言い切れない、というのが正直なところでございます」


 商品を回収すれば、当然のことながら全く儲けはなくなり、その上回収にかかった費用がのしかかってくる。しかしそれでも、患者に害が及ぶ可能性が少しでもあるなら、会社としては回収しなければならない。


 決算の大幅悪化は避けられそうになく、株主たちからも見捨てられるかもしれなかった。蒲田ははっきり言わないが、想像以上に悪い状況なのだろう。


「茜様のせいではございませんよ」


 蒲田が両手を伸ばし、茜の手に重ねた。握ってくる力強い手の感触は、昔と変わらない。


「旦那様がしっかりと締めてくださいますから、きっと大丈夫でしょう。陸斗りくと様も人員をかき集めて対処するとおっしゃっていましたし。茜様は明日の仕事に備えて、もうお休みください」

「……ええ」


 茜は蒲田の顔を見て、うなずく。彼も確実に苦しんでいるはずだが、顔には出さない。そんな彼に対しては、茜も弱音を吐けなかった。


 ゆっくり歩いて寝室に戻ったが、この前の比ではないくらいに心が揺れていた。手が凍えた時のように強張って動かなくなり、つけていたアクセサリーを外すのにも難儀する。部屋で待っていた植草うえくさが手伝ってくれて、ようやく着替えが終わった。


「今日はもうベッドにお入りください。明日、いつもの時間にお起こしします」


 そう言って植草が去った後、寝床の中で、茜はできるだけ深い呼吸を続ける。それでも、胸にぽっかり大きな穴があいたような気分になった。


 無茶なことばかりする父を咎めてはいたが、それでも家族としていてくれればほっとすることに変わりはない。泣きそうになっている自分をたしなめても、湧いてくる悲しみの感情は尽きなかった。


 父を、会社を、何とかしてあげたいと思っても、茜にはその権限も実績もない。異変の前兆すら気付かなかった茜に、何も言う資格がないのは明らかだった。


「あの女が言っていたのは、こういうこと……?」


 千春はきっと、このニュースを聞いたらいい気味だと思うに違いない。わざわざ茜の家に来て待ち伏せていたのも、もしかしたらこの情報をどこかからつかんでいたからかもしれなかった。


 結婚に反対していた大刀自さえ黙らせた実力。あの大きな家の采配を取る才覚。それをまざまざと見せつけられた思いだった。茜が楯突いたから、何もかも取り上げていくつもりなのか。


「……やっと、やっと流れに乗りだしたばっかりなのに……」


 絶対に揺らぐことはないと思っていた、茜の足下がぐらぐらと揺れている。胸に痛みと母を失った時の喪失感が蘇ってきて、茜は知らず知らずのうちに拳を握っていた。

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