師匠

 大学時代のことを話すとひとつ、大きなコンテンツが太極拳だ。高校までは剣道をしていて、幼稚園の頃の思い出で話したように僕は格闘技を見るのが好きだった。ただ剣道で、「こちらから仕掛けて力で押し切るプレイスタイルは自分に合わない」ことを知った僕は、「剛or柔」で言うところの柔に興味を持った。だが柔道や合気道に興味は持たなかった。日本の武道は結局「道」で、実戦性よりも精神性を求めているように感じた。

 太極拳を学び始めたのは新歓をしていた先輩に「君太極拳向いてるよ」と半ば強引に連れていかれたからで、そもそもどうしても太極拳をとは思っていなかったのだが、実際に少しやってみて思った。これは柔の武術だ。

 渡りに船というか、ある種運命的に太極拳に出会った僕は以降二年間、サークルで太極拳を勉強して、サークルの監督をしていた呼吸生理学の研究者と喧嘩して辞めた後も二年間、自主練習をして過ごした。この四年間が僕の精神性……「大きくならなくていい、自分になれ」を作った。

 さて、妻ちゃんとの話に戻すと、妻ちゃんは大学の体育の講義で「太極拳と中国武術」を履修していた。僕は太極拳サークルの関係でその体育の授業で助手をやることもあった(生徒の一人でもあったのだが、簡単なアルバイトをやらせてもらっていた)。

 妻ちゃんとは心理学専攻、ドイツ語、太極拳で接点を持った。

 さてさてそのまま時は流れて大学三年生。

 別のエッセイでも話したが、この頃僕はようやく失恋から立ち直った。そしてバイト先の店長に斡旋してもらった箱根の山奥にある療養所で、食堂スタッフの仕事をした。しばらく俗世から離れ、熱い温泉に長いこと浸かる機会を得たからか、僕は一時的にだが健康になった。そして山を降りて研究室に行くと彼氏に手ひどく振られ傷心中の妻ちゃんと、仲良くなった。

 渋谷だった。初デートで付き合おうと言った。意気投合していたこともあってOKが出た。それからもう、今年で十年近くの付き合いになる。

 大学四年生の話は他のエッセイで書いてるので割愛しよう。この頃僕は講義で受けたテストで反社会性パーソナリティ障害(馴染みのある言葉にするならサイコパス)の診断を受けて死ぬほど凹んだり、ウェアラブルデバイスを用いた睡眠研究の先駆け的なことをやって失敗したりと、心理学を満喫していた。今でも心理学が好きだし、いつかチャンスがあれば大学院にも行きたいと思っている。

 割愛続きで申し訳ないが新卒で働き始めた頃のことも省略したい。この頃僕は病気がひどくなって日中気絶したり幻覚を見たりと、まぁ賑やかに過ごしていた。この幻覚は怖くはあったが、『不思議の国のアリス』の世界にいるような奇妙な高揚感なんかもあり、本当に「不思議な」期間だった。今でもたまに幻覚は見るが、この頃よりも迫力がなくて、少し寂しい。

 さて、僕が新卒で働いた会社を辞めてすぐ、妻ちゃんも仕事を辞めた。激務だったからだ。彼女は塾講師のバイトをしながら再就職活動をした。僕はやりたくもない臨床心理学の大学院に行くために勉強をして(本当は大脳生理学含め基礎心理学をやりたかった)、結果的に試験に落ちたので再就職し、業界三番手くらいのそこそこ大きい企業でライターとして働くことになった。

 そしてここで出会った。

 一人目……コピーライティングの師匠。

 二人目……作文の師匠。

 二人目の、作文の師匠の方はとにかく仕事ができなかった。なのでフォローをよくしていた。この人はしゃべると止まらなくなるタイプだったので、仕事をサボりたい時はこの人に仕事を振るような体で雑談をしていた。ただプロの作家として受賞経験も出版の経験もある人だったのでとにかく文章が上手かった。僕はこの人に「文章の基本は簡素」と教わった。「シンプルに書きなさい」そんなことを習った。

 もう一人の、コピーライティングの師匠は嗅覚に優れ流行を捕まえるのが上手かった。この人は仕事もできた上に上司だったので、僕は一生懸命についていった。「真っ直ぐ打てばそっちに飛ぶ」。そんなことを習った。「問題は『真っ直ぐ』がどっちか分からないことにある」。

 だが、この一生懸命についていったのがよくなかった。

 病気が再発した。幻覚を見たし、眠り落ちたし、気分はアップダウン、色んな人に迷惑をかけた。

 この体調不良で僕はコピーライティングの師匠に見限られた。病気で怒りっぽくなった僕が師匠の指示に噛み付いたことが原因だったのだが、折しもコロナが流行り出して、対面でのやりとりが減ると師匠の悪い面が出た。面と向かうと柔和な彼は、文字でのやり取りではパワハラっぽくなるのだ。

 再発した病気がパワハラでさらに悪化して、僕はいよいよ働けなくなった。そうして仕事を辞めるのと一緒に、コピーライティングの師匠との縁も自然に切れた。今はあの人、何をしているだろうか。その業界ではちょっと名の知られた人なので、検索すれば近況の一つや二つ出てきそうだが、しない。病気の頃を思い出してしまうからだ。

 作文の師匠の方とは仕事を辞めてすぐ、再会した。彼も僕が仕事を辞める一年前に辞めていた。原因はやっぱりコピーライティングの師匠のパワハラだったらしい。そういうわけで一年ぶりに町田の喫茶店で二人で話した。「仕事やる?」

 作文の師匠に、雑誌に書評を書く仕事を振ってもらえそうだった。だがこの頃も僕は病気の影響から抜け切れておらず、仕事の試験には落ち、「今の君は病気がひどいから書かない方がいい」と作文の師匠に言われ、実質的に面倒を見てもらえなくなった。ちなみにこの人は苦手だったWeb関係の業務に慣れたのか、この間プレジデントオンラインやfumufumuでWeb記事を書いていた。プロとしての仕事だろうからそれなりにギャラはもらえていただろう。いいなぁ、とは思う。

 

 結果的に破門という形にはなったが、今でも二人に教わったことは忘れていない。

 シンプルに。簡素に。真っ直ぐに打てば、そっちに飛ぶ。

 

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