受験期。

 多分僕は現実から逃げていた。

 この頃から既に病気の端緒のようなものは出ていて、体も頭も働かない。勉強のため、というよりは強迫観念をごまかすため夜中の十二時ギリギリまで起きていて、朝の五時に悪夢から目覚め、六時に学校近くのマクドナルドに着き勉強、七時の開門とともに学校に入り教室で勉強……という毎日を送っていた。けど何一つ身に付かなかった。身も心もボロボロ。この病気を経験したことがある人なら分かると思うが、何をやっても頭に入らない。自分が今どの方向の電車に乗っていたかさえ忘れる。壊滅的な人間だった。廃人だっただろう。

 ただ、そんな時でもやっていることはあった。


『Perfect Brain Family』

 ……天才家族の頭脳戦大喧嘩。

『迷宮入りクラブ』

 ……迷宮入り事件の犯人同士の心理戦。

『夢追い人』

 ……自分を落選させた選考委員を殺す作家志望。


 こんな風に小説のネタを考えていた。ルーズリーフに。コピー用紙に、テストの裏に。とにかく書いていた。


『穴』


 確かチリだったと思う。炭鉱で崩落事件が起き、ひとクラス分くらいの人数の炭鉱夫が穴の中に閉じ込められた。そんなニュースが僕の耳に入った。

 この事件はかなり長引き、なんだかんだ三ヶ月くらい彼らは穴の中に閉じ込められていたと思う。で、救助され、死傷者なしで解決したのを見て、妙な感動を覚えた僕はこの『穴』という話を思いついた。


『穴』

 ……炭鉱で起こった事件。崩落により五人の炭鉱夫が穴蔵の中に閉じ込められる。頭上からは一筋の光。わずかな隙間から陽光が差し込んでいる。

 救助の目処は立たない。

 暗闇の中、黙っていると気が狂いそうだ、でも闇のせいで誰かがしゃべっても誰がしゃべったか分からない、そういうわけで、一人ずつ頭上から差し込む僅かな光の中に立って自分のことを話せということになる。果たして一人目の炭鉱夫が光の中に立つ……。


 読んでもらえば分かる通りミステリーじゃない。どちらかというと純文学っぽいだろう。オチはあるにはあるのだが、パッとしないというか、こじつけっぽいというか、読む人を選びそうな流れだ。

 ただ、妙に頭に残っている話で、いつか書きたいと思う。

 さて、ボロボロの状態の僕は一応東京大学を志望していたのだが、模試で酷い点数を出してから徐々に敗北ムードが見えてきて、結局私立の大学二校に受かった。それらのうち、片方は心理学で有名な先生がいたので、もう片方に比べてその心理学のある大学の方はランクは落ちるが、そっちに行くことにした。中央大学。赤門から白門へ。

 高校を卒業する時。

 友達に「お前MARCHなんて行ってどうすんの」と言われ、すっかりしょぼくれてしまった僕はやっぱり大学でもボロボロだった。他のエッセイにも書いたが、失恋したこともあり僕は酒浸りで、朝から飲んで一限のドイツ語で教授から怒鳴り散らされたことも、ダーツバーで手が震えて投げられず、ウィスキーを飲んだらピタッと手が止まって投げられるようになったこともあった。

 ただこの頃も小説は書いていた。


『Gossip!』

 ……高校の新聞部が腹黒校長とペンで戦う。

『許してください』

 ……連続自殺。遺言はみんな「許してください」。

『ミスマッチング』

 ……ミスマッチな男子高校生二人が殺人事件に挑む。


 一応どれもミステリー。一年間で公募三件に挑んだ。結果は人生初の投稿作『Gossip!』が最終選考、『許してください』は一次選考、『ミスマッチング』は二次選考だった。『Gossip!』の時は嬉しくて寝ている母を叩き起こして歓喜したものだ。

 さてさて、創作の方は順調、そして何とか現役で滑り込んだ大学で、僕はいよいよ妻ちゃんに出会った。

 心理学専攻は通称「ハーレム」で、学年に男子が十人いればいい方、というくらい女子が多い専攻だった。酷い話で、ほとんど女子校みたいな環境のせいで男子は興味がなくても女の子の生理周期が分かるみたいな話も聞いたことがある。

 ま、それはさておき、入学式。東日本大震災の影響で式らしい式はなく、ただのガイダンスがあった後、妻ちゃんは僕と出会った。

 ――何か男の子たちが輪になって赤外線交換してる。

 女子だらけの環境に団結して立ち向かおうと男子が集まって連絡先を交換していたところを妻ちゃんは目撃していたのである。

 この時僕は五人の友達と知り合った。

 ヨネくん……大人しくて真面目な子。緊張しい。

 ツッチーくん……いじられキャラ。でも優しい。

 タバタくん……容量が良くて顔が広い。色んな友達がいる。

 ニシくん……大人びてる。物事を俯瞰的に見る人。

 キクチくん……一番大人。面倒見がいい。ツッチーくんと同郷。

 以降この仲間で大学時代を過ごす。時に助け時に助けられ、僕たちはお互いの道を模索していく。

 僕とヨネくんはドイツ語選択だった。ヨネくんは癒し系な見た目ということもあり、女子から可愛がられていた。ヨネくんといると自然と女子との接点ができ、そして僕は妻ちゃんと知り合った。

「飯田くんいつも寝ててヨネくんに助けてもらってばかりいる」

 多分そんな評価だっただろう。実際僕はヨネくんサマサマでドイツ語をやり抜けたのだが、他の講義では一応ヨネくんの助けになったつもりで、一応対等な関係でいるはずだった。だがまぁ女子からはそう映らなかったのだろう。僕はヨネくんといるとよく女子にからかわれるようになった。

 そうして、何となく、自然に、妻ちゃんと僕は話すようになった。

 大学三年。研究室配属が決まる頃。

 僕と妻ちゃんは大脳生理学の専門、緑川研究室に所属となった。

 心理学専攻は八十人くらいの学生を二つのクラスに分けるのだが、僕と妻ちゃんのクラスから緑川研究室に流れたのは男子三名、女子一名(妻ちゃん)だった。妻ちゃんが孤立するなぁと思った僕は妻ちゃんに積極的に話しかけるようになった。そうして僕らは仲を深めていった。

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