邸宅街

第19話 青の街

 天使教団がいきなり警察車を撃ったのではなく、天使教団のもとに現れた弾丸が、みずから警察車へと飛びこんでいったのだ。

 銃に詳しくないナジャでも、それがいかに異常なことであるかは理解できた。そもそも肝心の銃そのものがどこにも見当たらない。自在に弾丸を出現させられて、好きなところに放てるだなんて、それこそ魔法のようだ。


 笑っているからには、やはりグレイのしわざなのだろう。UFOのときのように、腕時計から出した光を使って幻を見せたのか。


「3Dホロは光の照射範囲外には投影させられない」


 肩をすくめてそう説明されるが、ナジャには見当が外れたらしいということしか伝わらなかった。「魔法ってことにしておいてくれないか。そのほうが夢があっていいだろ」あからさまにはぐらかされるが、詳しい話を聞いたところで理解できるとは思えなかったので、しつこくたずねることはしなかった。


「ここから邸宅街シュガリエだ」


 そう言ってグレイは一瞬バイクを停めた。

 ちょうど足もとに白壁の家々が、泡立つ大河のように横たわっていて、パステルカラーに色褪せた街並みはそこを渡ると一面真っ青な景色に変わる。「すごい、ぜんぶ青い! 屋根も煙突も、壁も、道まで!」曇り空と煙にぼやけてしまっているが、晴れた空の下ならば、瑠璃色のいらかが日差しに輝いてまるで海のように見えるのだろうと思われた。


「青いあたりが中心市街地、白いところがその縁辺部。邸宅街シュガリエだけは景観法があって、建物の色が決められてるんだよ。ちなみにほかの街じゃ、青い塗装は禁止されてる」

「へえ? へんなの。色なんて、みんな好きなものを塗ったらいいのに」

「好きな色を塗らせると、こぞって青にするんだよ。みんな青空に焦がれてるからな」

「……ねえ。ここって、海はないの?」


 これだけ曇っていれば、海も青を映さないだろう。それはそれとして、オルランディアにおりてから一度も海を見ていない。遠方はいつでも灰色に塗り潰されていて、いったい島国なのか大陸なのかさえ判然としない。


 グレイは口を歪めて、なにか噛みふくんだようなおかしな笑みを漏らした。


「……君、前世界の資料しか読んでないな。地上におりるのがはじめてだとしても、いまの世界についてあまりに無知すぎる」

「…………」


 資料どころか、漫画しか読んでいないとはさすがに口に出せなかった。


「海が青いと思っているだろ」

「ちがうの?」

「桜色をしてる」

「サクラ?」

「ピンクだ」

「へえ。かわいい」

「気になるなら見に行ってみたらいい。オルランディアは島だ。高い壁にぐるっと閉じられちゃいるが、天使ならそのくらい楽に越えられるだろ。すぐに海が見られるぞ」


 と。翼を奪った犯人がのたまう。

 やはり性根が悪いのだろう。軽快なおしゃべりはこのところ、微量の毒が含まれている。

 いちいち反応していては身がもたないと、ナジャはベッと舌を出すだけで受け流した。


 ハーメニアたちのオープンカーが、ふと減速して、地上におりだした。

 向かう先には、濃淡のさまざまなブルータイルが幾何学模様に組み合わされた円状の広場があった。そこへ宝飾品のように添えられる、いっとう艶のある瑠璃色が、ここ邸宅街シュガリエの駅舎である。


 あとを追ってナジャたちもおりると、先に車から出たハーメニアが駆け寄ってきて、飛びつくようにナジャを抱きしめた。

 ぱっと離れると、開口一番「バカナジャ!」と怒鳴られる。


「なにもされてないでしょうね!」

「大丈夫だよハーメニア、なにもなかったから」

? へえ、そうか。俺はずいぶん熱烈に迫られたような気がしたんだが、君にとってはあの程度、さして特別な意味はなかったわけだ。もてあそばれたな」

「え? なんのこと?」


 さも心当たりをつつくような言い方だったが、まったく身に覚えがなかったナジャは素直にグレイに聞き返した。


「ひどいな、マジでもてあそばれたわけだ。『近づくほどに好きになりそう』って、目をうるませて言ったじゃないか」

「ああ」


 悪意のある切り抜き方だ。しかも目はうるませていなかったし、どちらかといえば向かい風で乾いていた。グレイは前を向いたままだったのだから、捏造もいいところである。

 自分で言っておきながら、トラウマを掘り返したらしく、男の顔色は悪い。バカじゃないのかと呆れながらも、ナジャはなんだかかわいそうになって背中を撫でてやった。


 ふとハーメニアを見ると、彼女はグレイの数倍悪い顔色をしていた。


「は、ハーメニ」

「ああナジャあんたって子は、本当に、オグルさんといいその男といい簡単に洗脳される!」

「せん……えっと、ハーメニア?」

「まさか心臓——」


 むんずと、遠慮なく左胸をつかまれる。


「よかった……ない」

「ハーメニア! 話聞いてってばもう! グレイの言ったことなんか真に受けないで。あたし迫ったりなんかしてない」

「あれで迫ったわけじゃないのなら、君が本気になって恋をしたらすごいんだろうな」

「……そんな青い顔してまでまぜっ返すことないでしょ」


 そのくせ軽薄そうな笑みは剥がれないのだから、いっそ感心してしまう。彼ほど嘘つきを極めると、本心を置いて、虚飾のほうが勝手にしゃべりだしてしまうのだろう。


「ひいっ! はぁっ! ようやくここまで着いたよぉ! あれ、きみ、顔色悪いけどだいじょうぶ?」車の鍵をじゃらじゃらと鳴らしながら駆けてきたキーヤンが、自身も冷や汗まみれになりながらグレイをうかがった。

「……ああ、天使二人に囲まれて、ちょっと緊張しちゃってるみたいだ」


(これは本音だろうな)


 青ざめた集団から、最初に調子をとり戻したのはハーメニアだった。隣にキーヤンが来たことで息をつくことができたらしい。


「……ナジャにはあとで話を聞くとして。まずはキーヤンのお父さん——邸宅街シュガリエの駅長さんに話をつけにいきましょう」


 そう言うと、ハーメニアは両手をぐっと背中にまわして翼をするりと引き抜いた。


「実はあたし、お義父さんに天使だって内緒にしてて……これ、ナジャが預かってて」

「えっ、わっ」


 他人の翼を手にすることなど滅多にない。

 差し出されたそれをこわごわ両手で受け取れば、あたたかく、心なしか自身の翼よりも手触りがいいように感じられた。

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