第18話 ままならない感情

 オープンカーから距離を取ったあとで、グレイは改まったように一つ深呼吸をした。

 振り落とされないよう後ろから抱きつくナジャは、その背中がこわばっていることに気がつく。心なしか伝わってくる体温も低い。


「興味本位で訊くわけじゃない。ちょっと深刻なニュアンスでとらえてほしいんだが」


 そう前置きをする声は、デビットの隠れ家でのことを思わせる低く硬質なものだった。


「君、もしかして俺のことが好きなのか」

「は……」


 おどろきすぎて、とっさに悪態さえつけなかった。まったく考えてもみない、見当はずれもいいところな質問だと呆れかえるが、触れているグレイのからだは緊張で固まったままだった。『塔の管理人』からの好意は、それほど彼にとっておそろしいものなのだ。


 からかわれているわけではないらしい。ナジャはいったん口を閉じて、彼の言葉通り、深刻なニュアンスでとらえて考えてみる。


(この場合の『好き』っていうのは、ハーメニアがキーヤンに、ナージャがグレイに抱いたような……心臓を実らせる『好き』ってことのはず。それなら答えはすぐにわかる。いま、あたしの胸から音はしないんだから)


 しかし、こうして共にバイクにまたがっていることを思えば、なんの感情も抱いていないだなんてことはありえなかった。

 ハーメニアという安全圏をみずから出てまで、彼のことを知りたいと思ったのだ。


(『ときめき♡すとらぐる』では、恋の始まりは、ヒロインがヒーローのことをもっと知りたいって思うところからだったけど……)


 甘酸っぱい好奇心は見つからない。

 中途半端に明かされた過去に煽られるほど、探究心にあふれてもいないはずだった。

 ——考えるほどに、彼を気にしてしまうこれといった理由がないことを自覚していく。


 惹きつけられている。


 それはとくに好ましいところがあるからというわけではなく、ただただ、漠然と。

 そうなるのが自然なことだと、最初からからだに刻みつけられてあるかのように。設計図に書かれてある通りの作用とばかりに。


 ——運命なのよ。


 よく知った耳慣れない声が頭に響いた。


「どちらかといえば嫌い」


 思考を断ち切ろうと、強い語気でナジャは言い放った。「熟考してそれはひどいな」言葉とは裏腹に、苦笑するグレイの背中からはそっと力が抜けていった。対照的に、少女の背中は四角くこわばって冷えていく。


「……ナージャはどうしてグレイのこと、そんなに好きになったんだろう」

「さあ。顔じゃないか?」


 思わず、半目になってしまう。

 深刻にとらえすぎたのかもしれない。

 言うほどまじめに取り合うべきではなかったのかもと思うと、とたんにいろいろ馬鹿らしくなって、じっとりと胸にわだかまったものをため息にしてすべて吐き出してしまう。


「ほら、どうせ天界なんか美形ぞろいだろ。綺麗なものにばかり囲まれてたら、そうじゃないものに興味を持つものなんじゃないか」

「ああ……なるほどね」

「そこは嘘でも否定してくれよ」

「ううん、実際、納得したっていうか。あんたってオグルともハーメニアともぜんぜん違うし、漫画でもあんまり見たことがないタイプだったから、それで気になったのかもしれないって。ナージャがどうしてあんたのことを気に入ったのかは、わからないけど」


 少なくとも、自分がグレイを気にする理由はそれにしておきたい。どこかほっとした心地で、ひとまずナジャは彼の案に便乗した。


 グレイはなにがおもしろいのか、くすぐったそうに鼻を鳴らして笑った。


「嫌いなのに気になるのか。難儀だな」


 それはお互いさまだろうと言ってやりたいのを、喉の奥に押しこんだ。それはきっと、彼の最も踏み込んではならない部分だ。

 言葉にこそされないものの、グレイがナージャに抱く感情の内訳にはマイナスに分類できないものも含まれているのだろう。根拠はなかったが、なぜだかそう確信できた。


(こういうのを、女の勘っていうのかも)


「グレイはやっぱりあたしのこと嫌い? ていうか、こわい?」

「もちろん愛してるよ。愛くるしく思う」

「あっそう。それならよかった、あたしもほんとはグレイのこと少し好きになってるから——ほら、こわいんでしょ。あんたって顔に出なくても、すぐからだに力が入るんだ」


 ナジャのうなじのあたりから背中にかけても、うぶ毛がぞわぞわと逆立つ。

 まるで触れたところから無理やり感情をひっくり返されているかのように、からだのなかにグレイへの好感が侵食していく。

 それが『ナジャ』の感情なのか、『ナァグャャルルア』の反応なのかわからない。


「……さっき嫌いって言ったのは嘘。ほんとは、あたしのほうがこわいみたい」

「意見がころころ変わるなあ」

「だってほんとうにこわいんだから。あんたのこと、近づくほど好きになる予感があるの。でもそれって、なんでなのかわからない。ぞわぞわして気持ち悪い——ウワッ! ちょっと! いまあたしのこと落とそうとしたでしょ!」いきなり旋回をしたバイクから投げ出されそうになるのを、ナジャはグレイにしがみついて耐えた。


「まさか。ほら、下を見てみろ」


 バイクを停留させて、グレイが指さす。

 見おろせば、煙の帯をかいくぐって、複数のバイクがナジャたちのもとに向かってきていた。「見つけたぞ堕天使! ボンクラ記者!」白いシルクハットに気づくより先に、そのかけ声で彼らが天使教団だとわかる。


「あれにびっくりして、うっかり」

「……そのわりには平然としてるじゃない。ねえ、ていうか、どうするのあれ。このままじっとしてたら追いつかれちゃうよ!」

「もっと高いところまで飛べば、彼らのバイクじゃ届かない。でもまあせっかくだし」


 グレイは腕時計のツマミをひねって、盤面に触れた。オルランディアの文明を越えた技術は、おそらくは前世界のものなのだろう。

 UFOを出現させられるのだ。いまさらなにが出てもおどろかないと覚悟した直後。


 空が鳴るような発砲音。

 天使教団のバイクから煙を裂いていく線。

 それはナジャたちではなく、さらに後方へと消えていき、


「そっちにいるな、もう逃がさん!」


 警察車が赤ランプを唸らせて天使教団に突撃していく。


 グレイは上空へバイクを隠し、手の甲を口にあてて笑いを堪えていた。

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