第17話 知りたいひと

 真っ赤なオープンカーが、天使二人とクマのような男を乗せて、旧市街ペルポネの空を駆ける。


 ひえぇぇん、ひえぇぇん、と泣き声だか鳴き声だかわからない声をあげて、キーヤンがアクセルを踏む。「もっと飛ばすのよ! もっともっと!」助手席からは、ハーメニアが人が変わったような興奮状態で運転を煽る。


 後部座席で、ナジャは背もたれに縫いつけられたように張りつきながら、猛烈な風を全身に浴びていた。理性の大天使の理性は、加速であっけなくふっ飛ぶ。いわゆる飛ばし屋なのだが、他人の運転する車でまでそうなるとはまったく予想外であった。


「こら、目を閉じない! 危ないでしょ!」

「ひえぇぇん! こわいよハーメニアぁ!」

「ハーメニア! なんか後ろから、青い車が追いかけてきてる!」

「サツだわ!」


(『警察サツ』……地上の犯罪者が使う言葉だ……!)


 『婚約者』に引き続き、耳を疑いたくなる発言だったが、地上におりてからの彼女の経緯をのんびり聞いている場合ではない。いまは一刻も早く、蒸気機関車よりも先に邸宅街シュガリエの駅にたどり着かなくてはならないのだ。


「そこの赤いオープンカー! 速度違反ですよ、すぐにスピードを落としなさい!」

「絶対に落としちゃだめよ、キーヤン! たくさんの命がかかってるんだから!」


 ひえぇぇん、とまたひと鳴きがあって、さらにグンと車の速度が上げられる。

 赤ランプを光らせる真っ青な車体が、二回りほど小さくなる。ナジャは背もたれにかじりつきながら、じっとようすをうかがった。あともう少し引き離せれば、煙の壁でふりきれそうだ。「キーヤン!」思わずナジャも叫ぶが、運転席からは「これ以上はぼく、気絶しちゃうよぉ!」と情けない声が返る。


「ナジャ一人だったら、抱えて飛べたのに」


 じれったそうにハーメニアがぼやく。

 彼女の細腕では、さすがに大男を抱えては飛べない。しかたなくキーヤンに車を出してもらうことになったのだが、旧市街ペルポネでは悪目立ちするような立派なオープンカーを所持していながら、彼はもっぱらそれを磨くだけで、これまでろくに運転をしていなかった。


 運転なんて無理だと首を横にふる彼を、ハーメニアがぎゅっと運転席に押し詰めのだ。彼を連れていかなくては、話にならない。


 邸宅街シュガリエの駅長が、キーヤンの父親なのだった。ナジャやハーメニアが訴えたところで、爆発などにわかに信じてはもらえないだろうが、愛息子が訴えるならば話は別だろう。彼はキーヤンを溺愛していて、この真っ赤なオープンカーも誕生日の贈り物なのだという。


「あのねぇ、やっぱり、教団は爆弾なんてしかけてないよぉ。だってそんなこと、危ないじゃない。人を傷つけるようなことはしませんって、最初の説明会で言ってたしぃ……」

「でもあたし、繁華街ソルティアで撃たれかけたよ」


 バンッ!と。

 聞き覚えのある音は、ナジャの記憶の再現ではなかった。「誰だ! 誰が発砲した!」警察の車から怒鳴り声があげられた。どうやら何者かが、彼らの車を銃撃したらしい。


「えっ、な、なになに! 後ろでなにが起こってるの!」パニックになろうとするキーヤンの隣、助手席でないほうに、男が並ぶ。

「なるほど、キーヤン=レイクハーンか。たしかに彼の父親なら、汽車を停められるだろうな。なんだ、切除カットは諦めたのかナジャ」

「グレイ……!」


 にわかに芽生えた疑惑に、ナジャはくちびるをわななかせた。


「まさか……あのときの銃撃って!」

「もちろん、当てるつもりはなかったさ。ちゃんとデビットくんが助けてくれただろう。あの子は本当に、仕事のできる子だよ」


 デビットの隠れ家で再会したとき、グレイが投げ渡した『報酬』が、妙にひっかかっていた。ナジャを助けたことに対するものならば、『礼』と言って渡すものではないかと。

 最初からグレイは、切除カットを阻止するつもりでいたのだ。それも直接止めるのではなく、デビットを使ったまわりくどいやり方で。


(わざわざそんなことしなくたって、ちゃんと話してくれたら……)


 過去の話を聞いたいまなら、彼が切除カットをどれだけ嫌っていたのか理解できる。銃を向けられたということより、対話を諦められていたということのほうが胸に深く刺さったが、彼が天使を信用できない理由もわかるのだ。


(……ううん、あたしだって、どうせ理解できないって決めこんで聞こうとしなかった)


「行き先は邸宅街シュガリエの駅だな。俺もついていくよ。追っ手は任せてくれ」

「余計なお世話よ。あんたがナジャから翼を奪ったこと、聞いているんだからね。もう二度と、この子に近寄らないでちょうだい」

「待ってハーメニア」


 ナジャは向かい風に逆らいながら、なんとか背もたれからからだを引き剥がした。

 前の座席にしがみついて、片方の腕をせいいっぱいグレイのほうに伸ばす。

 ハーメニアはもちろん、手を伸ばされたグレイさえも困惑して、黄昏色はぼうぜんと少女の手のひらを見つめた。


「あれっ⁉︎ なになになに! 無言やめてよみんな、なにが起こってるのぉ⁉︎」唐突に全員が黙ったことに怯えて、キーヤン喚く。それではっとしたように、グレイは口を開いた。


「……もしかして、俺がいい? てっきり君はお仲間といたほうが安心かと思ったけど」

「もちろんハーメニアといたほうが安全で安心だし、そもそも大抵の人は、銃を向けてくるやつより安全だと思うけど」そこでナジャはキッとグレイを睨み上げた。「そんな危険人物、放っておけるわけないでしょ。だから張りついて、なにを企んでるのか探るの!」


 知れば知るほどに、油断ならない男だということがわかる。けれど、まったくわかりあえない相手でもないことを、知ってしまった。

 一度表紙をひらいた漫画本は、最後まで読み切るタイプだ——それと同じにするのは、ナジャ自身もこじつけがすぎるように思えたが、単純に『この男のことを知りたい』と認めるのは癪なくらい、難のある相手だった。


「ほら、早く。あたしを取材するんでしょ」

「——そうだった、そうだった」


 胡乱げな目をそのままに、彼はようやくナジャの腕をつかんで引っぱった。

 少女の足はその一瞬、空を浮遊する。

 しかしすぐにグレイの後ろへ収まった。


「ナジャ!」


 すぐさまバイクは減速して、ハーメニアの声が遠ざかっていく。

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