第20話 ドードリとモードリ
中に入れば、切れ目のない淡いブルーの石が湖のように一面の床を埋めていた。天井からぶらさがるシャンデリアの光をたたえて、まばゆくきらめいている。立派な柱がいくつもそびえ立ち、壁ぎわに設置されたチケットオフィスの窓からは、ナジャよりよほど天使らしい笑顔の美女たちが客をさばいていた。
奥にうかがえるプラットホームには、まだ人はまばらだ。汽車の到着を待つ人々は、二階にある娯楽施設や待合スペースで時間を潰す。
すれ違う人のほとんどは、ほかの街で見た住民より圧倒的に身につけている布が多かった。寝巻きのワンピース一枚をまとうナジャは、急にこころもとない気持ちになる。
ためらいなく先陣を切ったのはキーヤンだった。勝手知ったる実家とばかりにずいずい進むと、すまし顔でたたずんでいる駅員のもとへ友人のように手をふって近づき、駅長を呼び出すようあっさり話をつけてしまった。
「なんかねぇ、モードリおいさんが来てたみたいで」限りなく『モーモリ』の発音で、キーヤンは言う。「先にそっちとお話してたから、ちょっとだけ待たせちゃうかもだって」
「ふうん。モードリ=レイクハーンが」
どこかで聞いたような名前だった。
「ほら、空飛ぶバイクや空飛ぶ機関車を開発させた男だよ。前妻を捨てて、新妻とお引越しした……まだピンときてない顔だな。君は興味なさそうに聞いてたし、仕方ないか」
「モードリおいさんは、パパンのお兄さんなんだ。五つ子の一番上で、パパンが末っ子」
人間ってけっこう繁殖するんだな、などと思いながらナジャは「へえ」とうなずいた。
間もなく、ドードリ=レイクハーン駅長は下っ腹をたっぷたっぷと揺らしながら階段を駆けおりてきた。
キーヤンがおおよそ縦方向に大きいのに対して、ドードリは横に大きい。短い両腕を広げて息子に抱きつく姿は、やはりどこかクマのキャラクターじみていて、ナジャは人知れず感心した。半分の設計図しか引き継がれていないはずなのに、親子というのはこうも似るものらしい。これが兄弟なら、しかも五つ子ならどれほど似るのだろうと気になった。
「キーヤン!」
「パパン!」
「ハーメニアさん、それと……失礼ながらお二人とははじめまして、ですよね。ごきげんよう、
身につける制服と同じワインレッドの帽子を脱いで、ドードリはほがらかに挨拶した。
「どうも、ご丁寧に。俺はグレイっていいます。しがない新聞記者です」
「あたしは天使のナジャ」
「天使」ドードリは目を丸くする。
「そう。塔と一緒に、おりてきたの」
「パパン、見てないの? すごいよ、空から塔が逆さまに生えてるんだもん」
「いやあ。今日はずっと駅のなかにこもっていたからねぇ。おりてきたってことは、空の上に住んでいたのかい? というとやっぱり、天使教団の『エンゼルクリスタルが天使』っていうのはでたらめなんだろうなあ」
「その、天使教団なんですよお義父さん」
ハーメニアが食い気味に訴える。
「彼ら、
「あらあ。でも彼らのそういうのは、日常茶飯事だからなあ。これまでも汽車を爆破するとか、空飛ぶバイク工場を襲撃するとかさんざん言ってたみたいだけど、結局これまで一度もそういうことは起こらなかったし……」
「でも、今度のはほんとに起こるの! 天使の窓で、爆発する未来が見えたんだから!」
ナジャの言葉も、ドードリに響いたようすはなかった。
「ううん……そう言われても、簡単に列車は止められませんし……」
「パパン、お願いだよぉ」
「う、うーん、うーん……」
あれ、とナジャはハーメニアを見た。
彼女が言うには、愛息子の頼みならば一も二もなくうなずく父親であるはずだった。
ハーメニアも戸惑ったようにドードリとキーヤンを見比べていたが、誰よりもキーヤンが衝撃を受けた顔をしていた。「パパン……パパン、お願いだよ。このままじゃ、たくさんの人たちが大変なことになっちゃうかもしれないんだよ? 誰かがかなしい顔をすることが、この世でいちばんよくないことだってパパン言ってたじゃない」
「でも、でもねぇ、列車が止まったって、かなしい顔をするお客さんがたくさんいるよ」
爆発で命が失われることと、同列にできる問題ではない。
「どうしちゃったのパパン……?」
ぼうぜんとキーヤンが呟いた、そのときだった。
「話は聞かせてもらったよ」
周囲の人々がおどろいてふり向くほどの、いやに芝居がかった大声が構内に響いた。
注目を一身に浴びながら気取った足取りで近づいてくる人物を見て、ナジャは目をむいた。
クマのキャラクターを思わせる横広の体躯。揺れる下っ腹。そこにいたのは紛れもなくドードリ駅長だ。しかし不思議なことに、目の前にもやはりドードリ駅長が立っている。
「やあ諸君、ごきげんよう。私はモードリ=レイクハーン、モードリ=レイクハーンだ」
なぜだか二回、彼は声を張って名乗った。
「天使教団の奴らが、汽車に爆弾をしかけたというのは本当かね! そりゃあ大変じゃないか! しかし悪逆非道な彼らのために運転を止めて、善良な町民である我々のほうが迷惑をこうむるというのもおかしな話だ」
ドードリとモードリがついに肩を並べる。
そうして見比べると、違いは身につけている衣服だけのようにも思えたが、ドードリがキーヤンに似た少し情けなくもあるおっとり顔なのに対して、モードリは世界中のスポットライトが自分にのみ当たっているような表情をしている。
最初に見たときはぎょっとしたナジャも、兄弟が並ぶころには、ドードリとキーヤン親子のほうが似ているような気がしていた。
「ここは私、モードリ=レイクハーンが、ええ、モードリ=レイクハーンが」
やはり二回、はっきりとした滑舌で名乗りながら、モードリはナジャたちには目もくれず駅構内をぐるりと見まわして宣言した。
「みなさまのために! 走行する列車から、爆弾を取りのぞいてみせましょう!」
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