祝福

 アメリカから帰ってすぐ、取り壊される前の家を訪ねた。再び津波に襲われれば海に呑まれる場所にどうして愁香さんは家を戻したんだろう。その理由は、「復興住宅みたいなもの」とらしからぬ神妙な口調で漏らした彼女の言葉から見つけることができる。だから、春になれば始まる福島での暮らしが楽しみだ。愁香さんと、恋と、春子と、冬馬と暮らすなんて、喧嘩する予感しかしない。テレビのチャンネルを奪い合う食卓を思い浮かべるだけで笑えてくる。

 防潮堤の天辺を歩きながら、小学校の頃の「福島さん」のことを思い出していた。福島から避難してきた、顔がすごく綺麗だった、あの子。授業で当てられても、全く口を開かず、でも先生も察するところがあったのか、叱ったりしなかった。そんなあの子が、震災の授業の時だけ「津波てんでんこは悲しい教えじゃないです。津波が来ても、みんなが逃げていると信じられるぐらい、信頼のある家庭を作ろうね、っていう意味なんです」と凜とした声で発言し、周りを驚嘆させてたっけ。あの子、元気かな。今は何処で何をしてるのかな。

 アメリカで心臓出術を受ける前、冬馬が「津波てんでんこ」のもう一つの意味を教えてくれた。

「夏姉、僕って、命のバトンを貰ったんだよな。僕、生きてていいんだよな」

 夜の海に立った。見渡す限りの空が星に埋め尽くされており声を失った。それだけに、墨を落としたかのような海面の黒さが際だった。いくつもの命が此処に呑み込まれただろう。砂浜に膝を下ろし、髪を掻き分けて上半身を屈め、海に口を付けて、舐めてみる。辛い。泣いてみた。やがて張り裂けんばかりの大声が腹の底から現れた。

「なじょだらっ!」

 津波てんでんこのもうひとつの意味。自分の命に責任を持つこと。生きていていいんだ、とわたしも思う。

 引き潮の海は、ガラス張りの水たまりを残し、星屑の薄明かりにわたしの顔が映っている。わたしはようやく、「福島さん」の顔を思い出した。インスタに投稿する。たくさんの「いいね!」が付く。彼氏から、尼崎の友だちから、春子から、恋から、ガッチャンから、いっちょ前にスマホを持ち始めた冬馬から、お母さんから、お父さんから、福島から、世界中から、あなたから、わたしから、彼女が祝福されている。

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