子供と暮らそう

尻を洗う

 春はあけぼの、暮れのおおいちばん、ボブサップに屠られて泣いた。夏は昼間からベランダに寝転がって飲むビールが、うっとうしいぐらい、おいしい。ヱビスにプレモル、はれの日にはハイネケン、夫の収入があった日には成城石井で買ったベルギービール、おっと最近は無収入だからひたすら第三のビール。第三のビール、第三のビール、雨、第三のビール。グラスからあふれそうなぐらい泡をたてたほうが美味しいのは知っているけれど、手酌はさびしいし、待ちきれないから、缶でいく。ぷしゅ。くぴくぴくぴ。あー。これ、CMに出られるな。ほんのすこし冷凍庫にいれた、きんきんのアルコール5%。糖質オフは甘え。ロング缶は自惚れ。高校のときから愛用してるキャミソール一枚に、夫がランニング用に買ったものの使わなくなった短パンのおさがりという、だらしない格好で、ブラジャーもつけずに、ひんやりしたコンクリートのうえに胡座をかいて目をつぶれば、時雨といううつくしい言葉をゲリラ豪雨と呼ぶのなら、これはさしずめ蝉ゲリラとでもいうべきか、夏を謳歌するおさかんな嬌声のあいまを縫って、ぎんいろのアンテナを宇宙人みたいにぴんと伸ばした単三乾電池二本のトランジスタラジオから、高校野球の小気味いい実況が、ボリュームいっぱいのぷつぷつ途切れた音であふれてくる。どうですか解説の迫田さん。いやはや私は古い人間なので、サブスクに登録すれば、ロッテvs楽天なんていうマニアックなカードから、MLBの「ハーイパパ」しか聞き取れない英語中継まで、インターネットで観られる時代だけれど、野球観戦は現地で観るのでなければラジオがいちばんいい。カウントに守備シフトに三振を取りにいく投手の舌なめずりまで、微に入り細を穿つ言い回しが想像力をかきたててくれるし、ヤクルトとの日本シリーズも、テレビがない仮設住宅で「小林宏の十四球」をはらはらしながら聴いたっけ。お、リードを広げるスリーランホームラン。3―2から粘られたあげく痺れを切らしたんだろう、入れにいったスライダーが高めに抜けたもよう。終盤で反撃も下位打線からとくりゃ、これは試合きまっちゃったなあ。スライダーは誰でも投げられる流行りの変化球だけに、狙われやすいし、右投手が左打者のバックフットを狙うのでなければ、腕を伸ばした金属バットのまた美味しいところに食われるよな。けどそのまえに一塁走者を警戒しすぎたストレートの四球が余計だったね。「甲子園の魔物」とは言い得て妙だけれど、四球とエラーがなければ、そう大量失点はしないんだ。手書きのハングルがゴミ捨て場に貼ってあってエレベータのない市営住宅の四階、黒いカビが胡椒をまぶしたように散った敷き布団を干している赤茶けた手すりによっと上半身を乗り出せば、JRや阪急の駅を起点に再開発が進む尼崎も、海側は昔からの南北問題のとおり鄙びた町並みがひろがって、戦前からあるアーケードの、老いた龍みたいにねじれた背骨のさきにはほそっこい煙突ばかり、海のにおいより工場特有の酸味がただよう潮風がぬるったくて、汗が球をつくった鼻のあたまをくすぐったくさせる。日がなこうしてベランダでくつろいだり、ヨガやピラティスやセクシーポーズの真似事をしているうち、キャミソールのストラップが跡にのこるぐらい太陽を焦がしたような日焼けをした肩に、尼崎市民ならだれもが推す韓国系の駄菓子屋によくあるオブライトロールみたく、くしゃっと丸まった皮を爪先でべりべり剥がし、丸めて屋外へサイドスローで投げ捨てれば、星野伸之のスローカーブよろしく揺れながら、あばら家の泡立ち草が生い茂る庭へ消えていった。たしかめるように頷く。ストライク。私は面食いなうえ、お尻フェチなので、彼がとても好きだった。

 楽しみ方のルールとして、ツマミは食べない、靴下は履かない、それから、スマホは持たない。娘の学校のかしましい保護者たちには「LINEはやってない」と言ってあるし、話のわかる近所のおばちゃんたちはスマホのかわりオナホしか持ってないので、連絡してきそうな相手はふたりしかいないのだが、夫とはそろそろ離婚しそうなうえ、娘は来年には大学に入るから、私はひとりぼっちになる練習をしなくちゃいけない。いつかそういう歌あったな。なつかしい歌だ。できない、できない、できない。そのつづきが、思い出せない。ふるい医者が額につけてそうなあの8㎝シングルは持ってたはずだけれど。私はよくものを失くす。

 トイレに行くついでにスマホを食卓で開いた赤い△字がめだつ家計簿のうえから回収した。用を足しながらスマホの指紋認証を左手の親指で解除すると、SNSの通知が数件のほか、LINEが一通入っていた。LINEはあんのじょう娘の夏美からで、<福島に着いたよー。でももう充電ないから、愁香さんの家に着いたらまた連絡するね! というか充電器忘れたから、コンビニで買わないと>と簡素なメッセージに汗をだらだら流す現場猫のスタンプが付いている。ちょっと迷ったのち、沖合いを暖流の流れる福島が「東北のハワイ」と呼ばれていたことを思い出し、<暑くない? ちゃんと水分摂りなよ>と無難な返事を送ったところ、もう既読はつかなかった。私が建て直しの資金援助を夫に訴えたにもかかわらず、妹の家に行ったことは震災後は一度もないが、夫の話を聴くかぎり、津波にひどく被災した地域だから、まわりにコンビニはおろかスーパーや個人商店すらなかったんじゃなかったか。と、夫のことを思い出すと怒りがティファールの湯沸かし器みたいに頭のてっぺんからたちのぼる。手持ちぶさたにウォシュレットを連打してみたりした。このウォシュレットというのが私は大好きで、外出先ではまずトイレでちゃんとウォシュレットがあるか確認し、安心を担保する。「尻を洗う」というプレイが開発したひとはへんな性癖があったんじゃないかと思うぐらいおもしろいし、ビデや音姫が登場したときは、感動して飽きるまで使い倒したものだ。ときには温風機能だとか脱臭機能を兼ね備えたものもあり、いやはやTOTOにINAX、語らせれば一家言ではすまない。さいきんの高速道路のトイレだと、天下りのネクスコ様々、タッチパネルに十二カ国語ぐらい表示されるものがあって、「今日のウンコはタイの気分だな!」と意味もなく言語を切り替えたりする。そのあとのアンケートでなにも読めなくて困る。そもそも、トイレでアンケートって。アナルさんの感想はいかがですか? ぷぷ。しかし用を足すという行為自体、私にとっては衣食住、あるいは、くうねるあそぶと並ぶぐらい、とくべつで、たとえば動物でいうマーキング的な意味合いがあった。友だちの家でも、彼氏の家でも、初めて行くとき、まずトイレで用を足すと、「ここは私のテリトリーだ」と感じ、あたかもセックスをして肌をかよいあわせたみたいに、相手とも打ち解けた会話をすることができる。その意味では、すっかり馴染んだこの家のトイレはほかのどの場所より落ち着くし、本質的な意味では夫とも娘とも共有してはいない。ひとりで生きていくとしても、いっこうに構わないのだ。そろそろ高校卒業以来バイトしかしてない三年寝太郎どころか三十年寝花子こと佐伯春子も、ちゃんと働くことができるのではないか。むかしは、電車に乗るたび窓のむこうの町が火を噴いているような幻覚と過呼吸でたおれ、面接はおろか梅田駅や尼崎駅にすら辿り着けず、野球場とバイクの教習場をみおろせる大物駅のベンチで夜勤あがりの風俗嬢がくれた飲みさしのサンガリアを啜りながら咽び泣いたものだけれど、今は在宅でできるエクセルの手打ちみたいな仕事はたくさんある。三級とはいえ精神障害者手帳はお守りみたいなもので、障害者雇用なら理解があるだろうし、なんなら、生活保護だってリベラルな市民政党が幅をきかせている尼崎は取りやすい。と、前向きなのか前向きじゃないのか、とにかくリクナビネクストをスクロールすれば夢はふくらんでいく。仕事さがしと家さがしと車さがしは私の趣味だ。そこには人生があふれている。あと、大島てる。

 夫が浮気性だというのは、どちらかというとヤリモクの出会い系雑誌で知り合った時点で、ある程度は覚悟していた。なんせ、名前が恋という。自称「尼崎のジャンレノ」らしい。なんじゃそりゃ。似てねえよ。どうにもだらしない父なのに、夏美は、土地柄すくなくない酒やパチンコや溶けない不思議なアイスという誘惑に負けたジャンキーに堕ちることもなく、彼氏はいるけど男遊びはしないし、坂にいそうな可愛らしい顔立ちなのに服装は地味な量販店のものばかりを好むし、すくすくと育ってくれて、「あんたなんか、『尼崎のジュンイチ・イシダ』じゃん!」と朝帰りの玄関に立ちはだかって両手の中指を立ててくれたときは苦笑しながらもうれしく、夏美が道場に通いはじめたころ恋に手というかブラジリアン柔術だから足を上げた一幕もあり、鼻の穴に銃弾みたいなティッシュをふたつ、きりもみに詰めた恋を見れば溜飲は下ったし、むしろ私が娘に救われた。とにかく、付き合い始めのころから恋の女遊びはひどく、収入があれば銀行の封筒を尻ポケットに突っ込んですぐ新地に行ったり、収入がなければSNSをカタログ感覚で使ってるのかワンナイトラブの相手を見繕ったり、しかし残念ながら、私の一目惚れだった。何も考えてなさそうなしょうゆ顔が私の好みど真ん中だったわけである。イチローのとほうもない216打席連続無三振記録が途切れたのは、下柳剛のど真ん中のストレートだった。ずばん! いやあ、直球での見逃し三振ほど見惚れるものはない。それに話してみれば、小説家らしいといおうか、各方面に見識があり、金銭的事情とはいえ学歴を高校までであきらめた私にとっては、見た目とのギャップも加え、いよいよ憧れの存在に見えた。恋は遊びながらも、私のことをいちばんに考えてくれて、イベント毎のプレゼントは欠かさず、質が落ちることもなく、煮え切らない彼にプロポーズしたのは私だったが、駆け落ち同然で籍を入れたときは「私が本妻なんだ」とほっとしたし、多少は揉めることがあっても、彼のスマホはいやらしいxvideosまで見放題だから「へー、creampieね」ととにかくまっとうな性癖まで確認できるうえGPSの位置情報も共有させてくれてたので、心には余裕があり、避妊と淋しい病とあいつ若い子好きだから犯罪にだけ気をつけてくれればいいか、と割り切るところもあった。しかし今回ばかりは勝手が違う。浮気相手は、私の妹の愁香なのだ。

 恋は小説家で、震災文学の第一人者として知られている。だから結婚してからの十年間、取材と称して福島に通うのも許容してきた。仕事である。お金も稼いでくれている。なにも言うことはない、どころか働けない身の上、具だくさんの白がゆに三つ葉をのせて見送り、三つ指を突いて出迎えてもいいほどだろう。そして福島には愁香も住んでいるのであるから、一人遊びが好きな子だったとはいえ、被災地ではやっぱり心細いだろうし、ちょっと旧交を温めるのもなくはないかなと、あんまり向こうでの生活を話そうとしない恋をいぶかしみつつ、書店入ってすぐの雛壇に面陳されている彼の小説も、奥付をめくって「おお発売日なのに第三版か」とたしかめるだけで、彼が福島でなにをしていたかは、うっすら予想しつつも、見て見ぬふりをつらぬいてきた。それが甘かったのかもしれない。親の目をぬすんで誰もがしゃぶったことがあるだろうコンデンスミルクのチューブぐらい甘すぎたのかもしれない。

 離婚しよう、とはっきりと言われたわけではない。むしろ押印を終えた離婚届を大富豪で8を切るみたいに突き出したのは私のほう。だって、「夏美を連れて福島に引っ越し、愁香と四人で暮らしたい」という申し出に、それ以外の意味を見いだすことはむずかしかった。なお、この四人というのに私は含まれない。もうひとり、愁香には冬馬という名前の器量がたいへんよい息子がいて、いまはふたりで暮らしているのだが、そこに恋と夏美が加わって暮らす、というすばらしい家族計画らしかった。いやあ、なんとも涙ぐましい。NHKの朝の連続テレビ小説だったらね! 払ってないけど、受信料!

 これがずっと書きたかった福島の復興なのだ、と熱っぽく語る恋の声は、聴音テストのときのあのピーという音ぐらい、すごく遠くから聞こえた。聞こえますか。あ、はい、聞こえる気がします。聞こえたら、ボタンを押してくださいね。カチッ。いま鳴ってないです。震災文学がどれだけご立派なものか知らないけれど、遠くから表面をなぞり消費するだけの野次馬に、震災の何が分かるというのだろう。相双の野馬追で鞭にでも打たれてしまえ。私だってそれなりに遊んできたから、酒と涙と男と女の粋もわからぬ生娘じゃあるまいし、現地妻のいる小説家というのも昭和的なカビ臭さが鼻につくけれど、いまさら体の関係を許せないのではない。愁香とは昔もそういうことがあったのは知ってるし、立場上、言葉にはしなかったけど、津波で夫を亡くした愁香への気遣いもあり、人肌のぬくもりが欲しいときもあるよね、と、私もいちおう姉であり人生の先輩なわけで、妹の欲しがるスーパーファミコンのマリオペイントをマウスごと譲ったときぐらいのなつかしい心持ちで、竿姉妹のはずかしさも「つまらないものですが、どうぞ」という優越感に変えてきた。

 やめてほしいんだ、そういうのは。フラッシュバックするから。私が体験したほうの震災だ。私が寝泊まりしていたプレハブの離れはうすっぺらいユニット工法だったことが逆に幸いし、倒れてきた本棚から雨のように降りそそぐ漫画や金魚鉢やトロフィーも運よく命中せず、家屋自体は外壁の合板がはずれ剥き出しのフレームが現代アートみたいにゆがんだぐらいで倒壊こそしなかったものの、両親と祖父母がいるはずのふるい木造の母屋はぐちゃっと崩れおちてディズニーのアニメみたいにまぬけな瓦屋根だけが積みあがっていた。助けを求める声が聞こえないか耳をすませるも、頭上をやたら低空で旋回するヘリコプターのばりばりと鉄を喰う怪物のような羽音がうるさくて何も聞こえない。はんぶん笑いながら、声が嗄れるまで叫ぶしかなかった。

「なんでやねん!」

 ニトリのまんまるいソファを形がかわるぐらい抱き締めて爆睡していた。目を覚ますと、口のなかがひどく酒臭く、頬がひんやりと濡れている。私はあのころ、泣くこともできなかった。ドラマじゃない。黒い煙を吐きながら真っ赤に染まった神戸の町。顔がわからないほどに焼けただれた家族の遺体。ほとんど戦争のようだった。痛みを知らないお前に、なにが書けるというのか? 「震災文学の文士」がわらわせる。私が恋と出会った頃、まだ彼はコンビニやポスティングのバイトを掛け持ちしながら新人賞への投稿をつづけるしがないアマチュア小説家で、お金はとにかくなかったけど、週に缶一本だけ生ビールをはんぶんこし、賞味期限の切れたよっちゃんのあたりめを飽きるまでしゃぶれば、それだけで幸せだった。小説は予選の一次落ちばかりだったけど、たまにウェブサイトの隅っこにちいさく名前が載れば、不二家のイタリアンショートケーキを冷蔵庫に忍ばせたりして、彼の書く素直でやさしいライトノベルが好きだった。恋を押しも押されぬ大衆文学の小説家にたらしめたあの震災で、彼の文筆人生と、私たちの在り方も、すっかり変わっちゃったね。ねえ、もし君が震災を書くと知っていれば、震災を体験した私は、君に惚れたのかな。ここにもうひとつの「震災後」がある。神戸のときだったか、福島のときだったか、果たして新潟のときだったか、いつか聞いた。震災はいつか終わるけど、震災後はいつまでも終わらないよ、と。

 深夜、やきもきしながら、ひたすらウィルキンソンの炭酸水を注ぎ足す無限ハイボール片手に熱闘甲子園を観ていたところ、愁香の家に着いたらしい夏美から電話がかかってきた。やっぱりスマホの充電ができてないんだろう、わずかに市外局番に見覚えがある卓電からだった。

『やべーよ、福島ザファッカー』

 電話の向こうの声は呂律があやしく、ずいぶん上擦っている。福島といえば十年ちかく連続でもっとも多くの金賞を与えられている会津の日本酒だ。いいなあ、地酒って現地に行かないとなかなか飲めないんだよな。とくに「写楽」や「飛露喜」といった銘酒は厳重な管理が必要であるから、味を保証するため特約店でしか扱われていないという。酒に強い夏美がここまでぐでんぐでんに酔うのは珍しい。愁香が底抜けの酒豪だったことを思い出す。うちの母方はもともと、灘の杜氏にルーツがあるらしく、わたしも弱くはないけれど、何杯飲んでも顔色ひとつ変えない女傑っぷりは愁香にだけ遺伝した。食べログで4点ちかい福島の居酒屋に誘ったとき「ああ、この店、あたし出禁なんだよね」と苦笑いで言ったのは、私と飲みたくないから誤魔化しただけか、まさかほんとうだったのか。

『まずコンビニないし! そんで、駅がすごいこぢんまりとしてるの。え、家? みたいな。まあ新しいし、トイレはウォシュレットがあってきれいだったし、ICOCA的なものは使えるんだけど、もちろん無人駅だしさ。改札はゲートなくって、キセルし放題だと思うんだけど、大丈夫なのかな、あれ。で、そとに出たらさ、ふつう立ち飲み屋の一軒か二軒ぐらいはあるじゃん? まじでなんもないから。店もない。車もない。誰もいない。ぽつんと自販機だけあって、なんとか水は飲めたんだけど、びっくりしちゃった。なんもないっていうのはねえ、これ、彼氏がインスタに尾道の坂の写真とあわせて英語で載せてバズってた言葉なんだけど、<Nothing is Everything>だったかな、そんときはあんまり意味がわからなかったんだけど、ああ、<なんにもないが、ある>んだなあって』

 興奮しきりにまくしたてる声を聴きながら、「あのころは、もっとなにもなかったんだよ」と言いかけたが、ひどくつめたい声になりそうで、止めた。震災直後、まっくろい津波が押し寄せて、あっぷあっぷの自動車が悲鳴のようなクラクションを轟かせ事切れそうなヘッドライトを瞬かせながら、遊園地のコーヒーカップみたいにくるくる回る映像を、Twitterで見るやいなや、すぐに最寄りのレンタカーに駆け込んで、いちばん大きいハイエースを相場の倍プッシュと国民健康保険証の質入れでむりやり確保し、イオンやコストコを回って買った思いつくかぎりの物資と、セルフスタンドの店員の目を盗んで携行タンクいっぱいに注いだガソリンを荷室に積み、あんまり状況のわかっていない恋とほとんど無言のまま代わりばんこに運転し、東名の追い越し車線の長距離トラックをパッシングで煽りながら夜通し爆走して、次の日の朝には避難所がわりの体育館で暗幕の切れ端をかぶり憔悴しきった愁香を見つけたのだった。福島は、津波で浸水した面積は二番目に広いが、死者・行方不明者の人数という意味では、震源に近くリアス式海岸があった北方の二県ほどは多くない。が、愁香の夫は漁師だったから、あの震災ではそれほど高いとはいえなかった五メートル程度の津波でも、海沿いの港町ごと呑み込まれた。海晴、という、海の男らしい名前をもつ愁香の夫は、それ以来、行方不明である。海晴さんは、中之島のスタバのオープンテラスでほそながい足を組みMacBookを華麗なタッチタイプで叩いている青年みたいに垢抜けてはなかったけれど、スタバはおろかタリーズにもホリーズにもいないような、真っ正直に生きてきた顔をしていて、寡黙で無愛想だがわらったときにゆるむ無精髭だらけの口元がくちづけしたくなるほど可愛い。そうそう、芸能人でも先輩でもコンビニの店員でも、私と愁香はだいたいおなじ人を好きになるんだよね。だからか、小学校低学年のバレンタイン、とくにモテてもいなかった近所のガリ勉メガネを争って以来、取っ組み合いの喧嘩とおたがいの青あざが絶えず、中学卒業の折りに愁香がとくに有名でもない福島の公立校を選んだのは、私から離れたかったのだろう。いっぽう私は趣味で他県の物件を眺めてたら「あたしから離れたいんでしょ!」と怒鳴られたり、誤解されてると思うけど、愁香を嫌いなわけではないので、神戸の震災で身内はひとりもいなくなったし、ときどき福島に行って愁香の様子をうかがうことはあった。それで漁船から下りてきたツナギ姿の海晴さんを紹介され、ドキーン、と、ふるい少女漫画によくあるキューピッドみたいに胸を打ち抜かれてしまった。しょうじき、愁香に会うためでなく、海晴さんに会うため、福島に通っていたかもしれない。それは、お泊まりデートを兼ねていっしょに来てくれた恋もおなじ心だったようで、まあ彼らしいといおうか、暇を持て余したあげく漁村の人妻に手を出したりもしていたが、海晴さんに一喝された、というより、拳ではなく頭とはいえ鉄拳制裁された一幕があってからは、意外とマゾなのか、すっかり海晴さんに惚れ込んでしまった。いやあ、かっこよかったな、「なじょだらっ!」と強烈な頭突きをかましてからの、「春子さんを不幸にすんじゃねえよ!」と流れるように福島訛りの切れ口上。録音しとけばオナニーのネタに使えたのに。まあ恋には響いてないと思うけど。海晴さんが行方不明になってからは、「だから俺は、福島に残された愁香と冬馬の力になりたいんだ」が酔ったときの恋の口癖で、本心もあるとは思うけれど、話はんぶんに聞いている。だってほんとうに海晴さんを尊敬していたなら、なんで愁香を抱いたりしたんだろう。そのことを泣きながら私に謝ったりしたんだろう。避難所でしたってことは、避妊もしてなかったってことだ。しかも計算がたしかなら、冬馬くんがおなかのなかにいるときに。ありえない。それ以来、私の心は恋から離れてしまい、でも離婚に思い切れなかったのは、やっぱり恋が好きだったから。情といえば情なのかもしれないが、「理由のない好き」という気持ちは、嫌う理由も生まないから、「どこからでも切れます」のソース袋ぐらい厄介だ。両手では数え切れないぐらいのこれまで関係のあった男のなかで、恋がいちばん下手くそだったけどな。早いし。正常位しかしないし。爪がながくて手マンが痛いし。クンニは付き合う前しかやってくれなかったし。

『そんでね、なんもないんだけど、広場の端っこにね、まっくろいゴミ袋みたいなのが積んであるの。ほかになにもないしさ、軽い気持ちでこれなんだろうって近づいてみたら、白い文字でシーボルトとか書いてあるの。やばくない? 放射能がそのへんに野ざらしにされてるんだよ』

 うん、シーベルト、ね。スマホをスピーカーモードにして足の爪をきりながら、「そこ出島ちゃうやん」と心のなかでだけ不謹慎なツッコミを入れる。この夏、恋が福島から帰ってこなくなり、なかば諦めていた私以上に怒ってくれたのが夏美だった。恋のLINEに既読がつかなくなると、福島に飛んでいって恋の首根っこを捕まえて連れて帰ってくる、とまで言ってくれて、事実、言うが早いかちいさなバックパックに財布とスマホと恋の小説を入るだけ詰め込み、さすがにスタンガンと結束バンドはこっそり抜いておいたけど、新大阪駅のホームで奢ってくれたセブンティーンアイスのクッキー&クリームを食べながら新幹線の始発を待っているとき、私の言いたいことをぜんぶ代弁してくれて、去りぎわ「春子は悪くないからね」と手をいたいぐらいに叩いてからの言葉は誰に言われるよりも心強かった。他人の気持ちを思いやれる子に育てたのは私だという自負がある。しかし、いったん言葉に詰まればすぐに手が出る足が出る衝動的なところは実の母親に似てしまった。しょっちゅう私が代わりに謝りに行ったな、夏美のときも、愁香のときも。福島でぜんぶを知った夏美は帰ってこないんじゃないか、そんな気がする。お腹を痛めて夏美を産んだのは、私ではなく、妹の愁香なのだ。

 もともと、人生において子どもを持つつもりはなかったし、子どもはいらないよね、と、結婚前も結婚後も語尾の「ね」にたかいレの音のアクセントを置き、恋にしっかり伝えていた。あんな小説を書くくせ自民党に入れるなど意外とふるくさい性格をしている恋は、ほんとうのところ子どもが欲しいんだろうなと、煮え切らない返答の端々に感じたが、そこを触れると私のほうに都合がわるいし、とりあえず恋の浮気を好きにさせておけば彼の頭が上がることはなかったから、「避妊だけはちゃんとしてよ」とアイスピックを刺すような牽制だけぶすりと入れたのち放っておけば、イデホぐらい一塁ベースにびたびたとなった。まあ今どきの感覚なのではないか、血の繋がった自分の子どもというのがどうにも気持ちわるかったのである。とすれば、いまは養子を取るという選択肢もある。特別養子縁組の愛知方式といって、産まれてすぐの子どもを引き取る形にすれば、ほとんど自分の子どもと同じように育てられるみたい、と、どこで仕入れた情報なのか、恋がそらぞらしい口調で教えてくれて、当時は取材もせず世情に疎かった恋がそんなものをくわしく調べてるのはけっこうガチっぽいな、と、肝を冷やしつつ、あなたにとっての子どもは小説でしょ、なんて煙に巻き、パソコンを開いてブラウザのブックマークを今でいう「親ガチャ」のウェブ漫画に差し替えておいた。いっぽう私は、血縁のみならず、自分のなにかを後生に残すということをしたくない。墓もいらない。ちりひとつ残さず滅したい。子どものころから美術や文芸とわず何かを作ることが不得意、というか、きらいだった。きらいなピーマンを食べなくても子どもは大きくなれる。家にはペットはおろか植物すら置いてないし、とにかくモノ作りなんてまっぴらなのだ。

 それなのになぜ、私は夏美を引き取ろうと思ったのか。恋が言い出したのではなく、むしろつよく説得したのは私だった。震災直後の避難所で、体調のよくない愁香を恋に任せ、私はいくつもの夜を夏美と過ごした。避難所だと眠れない、と、わずかに心をひらいてくれた彼女が言葉すくなに訴えたから、私はガソリンを節約するためエンジンを切ったハイエースの荷室で、彼女と体を重ね、暖を取った。うっすらと曇りはじめたリアガラスの向こうには、絹布を拡げたような星空が夜露にぬれて輝いていた。私はそれをきれいだと思ったけれど、夏美が肩をひくつかせてばかりでそれを直視できなかった気持ちもわかる。骨張った体を抱きしめると、ながく風呂に入っていないときの獣っぽい匂いがなつかしくて、顔を胸元に押しつけ、離したくなかった。

 フラッシュバック。横倒しになった阪神高速の高架に取り残されていまにも落ちそうなぐらい片足でよろめいたバスと、あちこちで次々に立ち上る火の手、それから不気味な破裂音。ほんとうに助けがほしいときは、「助けて」と言えないのだと知った。残骸のしたから弱々しい呻き声が聞こえ、両親や祖父母を助け出そうとしても、ほそい柱ひとつ持ち上げることができない。やがて巻き起こる猛々しい炎と煙に追われ、命からがら液状化でしめった地面を裸足で逃げれば、ガラスの破片を踏んだのか血が滲んでいたけれど、ちっとも痛くなかった。

 私が体験した震災と、夏美が体験した震災と。倒壊によって象徴されるそれと、水没によって象徴されるそれと。そして、ひとしく失われたもの。

 この子は私にしか救えないんじゃないか。そんなことを思ってしまったんじゃないかと思う。そしてその傲慢は、たぶん正しかった。尼崎に来てしばらく、解離性障害に苦しんだ夏美は、ある日すとんと福島での日々を落としたかのごとく笑うようになり、神戸の災害医療にも関わったという初老の精神科医がさいごに言ってくれた「忘れるってことは幸せなことなんですよ」という言葉を、受け入れられたどころかよっぽど何かを言い返したかったけれど、夏美が幸せならすべては肯定された。それで気づいた。私もたぶん、夏美といて幸せだった。

 ただし、私は夏美を娘だと思ったことは一度もない。彼女は私にとって借り物なのだ。いつかは返さないといけないことは分かっていた。まだ返す先が見つかっていないだけで。そしていろんなことを忘れても、私を「お母さん」ではなく「春子」と呼ぶほど頭のいい夏美は、きっとそのことに気づいていて、帰る場所を探すため、福島を訪れているような気もする。

『ねえ、春子。わたし、まだ帰らないよ』

 電話の切りぎわ、夏美は声高らかにそう宣言した。ながい夏になるんだろう。私にとっても。待つことは幸せなことだ、と、ロストチャイルドたちは、妬みとともによく知ってる。あんぜんな帰りみちを探していたのだ。

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