むなしいクラファン達成

 夏休みの終わりまであと一週間。わたしはこの夏を終えることができるんだろうか。ずっと終わらないような気がする。ホテルから病院まで一時間半に一本だけの鈍行列車に乗って十二駅。薄汚れた車窓の向こう、青々とした稲穂を雲の影が掠めていくのを黙って見ていた。福島の浜通りを南北に縦貫するその路線は、帰還困難区域の中を通り、震災後しばらくは閉鎖されていたという。晩夏の光を跳ね返すソーラーパネルの傍で手を振ってくる麦わら帽の親子連れに「復興」という言葉を重ねて考える。冬馬は、生まれつき心臓が弱かったという。愁香さんのお腹の中にいる時、満足に医者に通えなかったことだとか、避難生活のストレスなんかが、早産に影響したのかは分からない。「冬馬」という名前は、厳しい「冬」を乗り越え、地域の野馬追に象徴されるよう「馬」のごとく強く生きられるように、という願いが込められたと、震災直後の慌ただしかった頃から冬馬の体調を診てくれていた医者が教えてくれた。いい名前だな。海側の車窓、線路に沿って延びたまっしろい砂浜を力強く追ってくる馬の嘶きに耳を潜めた。一日一回、クラファンは確認する。このままの勢いならば、一千万円は達成できそうだった。あんな配信が効いたのか。電車が木立を潜る時、窓ガラスに映るわたしの顔は何かを諦めたかのように微笑んでた。クラファンのサイトにはたくさんの応援コメントがわたしと冬馬を支持してくれている。有り難いけれど、三億円という目も眩むような冬馬の手術費用には到底及ばない。夏が終わった頃、冬が来るより前に、冬馬は死ぬんだろう、ということは、医者ははっきりとは言わなかったけれど、慎重な言葉の端々から感じ取ることができた。悲しいんだろうか。その悲しさは、津波によって愛する人を失ったそれとどっちが重いんだろう。例えば、愁香さんと比べてみれば、わたしと愁香さんのどっちが悲しいんだろう。と考えて、あまりの意味のなさに頭を振りながら、新しい駅舎が寂しいプラットフォームで電車を降りる。愁香さんは愛する人を二回失おうとしているのだ。たったひとり遺される家族のわたしは、それから彼女とどう接したらいいのか分からなくて、愁香さんに会いたくない。

 冬馬にはたくさんの管が繋がれていた。薄っぺらくしろい胸板や、浮き出た肋骨、折れそうな二の腕が愛おしかった。家族じゃないと面会できないから、わたしは迷いなく、初めて彼の姉であることを名乗った。冬馬とはもう何も話せない。けれど話すことなんて、今となっては何もない。

 治療室の外のベンチに腰掛けている時、力が抜けたのか、しばらく眠っていた。目を覚ますと、頬が濡れていた。ぐしぐしと手の平で拭う。わたしは強くならなくちゃ。でも、何のために? 強くあるのが生きるためだとしたら、わたしには強くある理由が見つからない。優しくあるのが生きる価値だとしたら、わたしは冬馬をただ泣いて抱きしめたかった。

 手の中でスマホが震えた。ポップアップに「いまからいくから」と表示されている。愁香さんだろうか。エレベータをふと見遣れば、不気味に点る階数表示がカウントアップし、わたしの階で止まった。ひとりで来ていることも、泣いていることもそうだし、彼女とどう顔を合わせていいか動揺し、慌てて立ち上がった瞬間、エレベータの扉が開いた。そこから現れた姿を見て、わたしの感情は留める箍を失った。

「お母さん!」

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