何にもないが、あるんだよ

『何にもないが、あるんだよ』

 アマチュアカメラマンの彼氏が旅行の写真をインスタに上げるとき、よく使った言葉を思い出した。たくさん「いいね!」を貰っていたあの言葉は、英語では何と書かれていたのだったか。フォロワーはわたしより桁がひとつ少なかったけれど、海外含めたバックパックの身軽な旅行が好きで、フランスならパリやマルセイユではなくコルマール、街角で風にはためくカラフルな洗濯ばさみで耳の立った麻のチュニックや、散歩中に一休みする碧眼の老人が眩しそうに太陽を睨むしわくちゃの表情が、汗の匂いも漂うぐらい繊細なLo-Fiの効いたモノクロ写真に現れて、世界中の好事家からウケが良く、わたしはその良さを理解したわけではないものの、彼と付き合えたことは誇りだった。が、彼がファインダー越しにそうあることを求めただろうどんな写真よりも、目の前にある風景は「何もない」。彼氏はわたしの知る限り、福島の写真を撮ったことは一度もなかった。もっと有り触れた町で、苔生した急な石階段や、しなやかにブロック塀を飛び越える野良猫や、豆を挽いた珈琲の焦げた香りが漂う隠れ家カフェを写したように、この風景をシャッターで剥ぎ取ろうとすれば、瘡蓋の跡にはきっと鮮やかな血が滲んでいる。がらんどうの下腹部が疼く。彼氏とはセックスしたことはおろか、会ったこともないのに。

 津波。というあれ以来イントネーションが変質した固有名詞は、現実感をあそこへと置き去りにしたまま、黒く泡ぶきながら脳裏へと去来した。死者・行方不明者の二万人という人数は、土地柄、阪神大震災と比べられ、数字遊びをするわけじゃないけど、わたしは当時流行ったYouTubeの動画を観てもいないから、両手を広げてみても物差には目盛がない。友だちは挙って「えぐい」を連呼しながらその動画のサムズアップを押しており、「映え」だったり「バズ」だったりがあって、それは迷惑系YouTuberや暴露系YouTuberが身体を張ったものと変わらない。迷惑であり暴露。高校の、地理で三陸のリアス式海岸を取り上げた授業だったか、真っ暗な教室に轟く津波の動画を見せられたとき、いきなり胸が苦しくなって、こっそり教室を抜け出した。いつもよりタールの桁が頼もしい葉巻を屋上で貰って肺には入れず吹かしながら顛末を見知らぬ男子に話すと、突風に煽られた栗色のマッシュボブを指先で整えながら「それって恋じゃない」と笑う。わたしには恋がよく分からない。彼氏と付き合っているのは彼がインフルエンサーで所有欲を満たされるからだし、今風というのか、恋なんてアイフォンやディオールのコスメやティファニーの時計みたいなもの。あえて言うならば、わたしは恋に育てられた。震災文学を書き続けた彼は、例え不遜であっても、いや不遜だったからこそ、浮気をするぐらいの無邪気さであれ、福島に小説みたいな恋をしたりしただろうか。

 津波によって浚われたのはいったい何だったのだろう。遺されたのは、何もない空間(という言葉は直裁的すぎる)で、直裁に徹するならば、美しいと思った。「アート」なんて埒外にある美を手軽に表現できる便利な言葉は「アーティフィシャル」、つまり「人が作りし物」という語彙を彼氏いわく連れ添っているらしい。ここにもきっと家があり、店があり、子どもがおねしょをし、井戸端会議が賑わい、作りすぎた肉じゃがが夕間暮れのなか交換されて、またおなじ朝が訪れ、人の営みが飽きるぐらいに繰り返されていたはずだ。それが失われたこの風景に立ってみて、わたしは「アート」という言葉に粟の逆立つ肌ひとつで肉薄する。彼氏と答え合わせがしてみたい。ない、ということは、ある、ということによってのみ、証明できるんだよね。

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