輪廻に繋がれて

 その日、教会は後片付けのためについでの大掃除がはじまった。

 だが、フィアルはそれには参加することもなく部屋で一人、ベッドに寝転がり天井を見上げている。


 あの後、グランマは「ひと仕事終えて疲れがたまっちゃったのね」と優しく声をかけてくれて、フィアルは「部屋で休みなさい」と言い渡されてしまった。

 リミーナが部屋までは付き添ってくれて、「一緒にいようか?」とまで言ってくれたけれど、フィアルは首を横に振って「それはいいよ」と断った。

 部屋に帰ってきてクローゼットについている鏡台で自身の顔を見たところで、あまりの顔色の悪さに自分自身驚いてしまうほどだ。この顔色では二人に相当心配をかけてしまったことだろうと思いつつ、ふらりと力が抜けて、そのままベッドの上から起き上がることができなくなった。


 カーテンが開いている窓からは昇りはじめた日が差し込んでいる。自室の空気はいつも通り慣れ親しんだ自分たちの匂いがする。外からは庭園の掃除をしているのだろう先輩修道女たちの笑い声が聞こえていて、フィアルはそっと瞳を閉じた。

 そうしたところで、「ふっ」と渇いた笑いがこぼれだす。

 再び開いた深緑色の瞳はぼんやりと、見慣れた天井を映し出した。


――我ながら、なんて脆さなのだろう。


 自嘲するように笑ってしまう。

 紅き乙女だなんて大層な役割を背負って、何度も世界を灼いて終わらせて。人の命を握り潰して人の繁栄を無に還して、そんな痛みも悲しみも、もう慣れたものだと思っていたのに。

 で、胸が痛む、胸が苦しい。

 は何かが変だ――フィアルとしての十八年が、強く、強く、今までの過去を否定するかのように揺さぶり続けてくる。


「わたしは一体、誰なんだろ……」


 部屋の中にこぼれ落ちたひとり言には当然ながらこたえてくれる者はいない。紅き影も夜にならなければ出てこない。

 ただそんなタイミングで、コンッと部屋のドアがノックされた。

 フィアルはゆっくりと体を起こしてドアのほうへと目を向ける。返事をすることができなかったけれど、慣れた調子でドアは開き、顔を出したのはリミーナだった。


「具合はどう? ほら、朝食もまだだったでしょ」


 片腕で支えられている銀のトレイの上には、切り分けられたパンと瑞々みずみずしい彩りある野菜をふんだんに盛ったサラダが乗せられていた。コーンクリーム仕立てのスープと牛乳もセットだ、とばかりに、リミーナが笑顔で朝食をフィアルの机の上に並べてくれる。


「うん、ありがとう」


 部屋に戻ってきて少し一人になったことで、顔色もだいぶマシになってきた自覚はあった。フィアルはそっと立ち上がると机に向かって椅子に座り、少しばかり遅めの朝食をいただくことにした。

 リミーナはベッドに腰かけて、そうするフィアルを優しく見守ってくれている。


「朝からすっごい緊張してたんだし、お腹も空いてたんでしょ」


 机が壁に向かって置かれている都合上、フィアルはリミーナに背中を向けることになってしまうのだが、「うん、そうかも」と返事をした。


「フィアル、最近おかしいし」


 パンをひと欠片口に運びながらもリミーナにそう言われてしまい、どきりとその手が止まった。

 ただフィアルは誤魔化すように笑って振り返り、「そう?」と精いっぱい取り繕いながら聞き返す。


「寝不足ってのもだし、ほらー、この前は倉庫でいきなり倒れそうになったじゃん」


 たしかにあの瞬間、フィアルは目覚めたのだ。

 鋭いなぁ――と思いながらも、フィアルは「あれも疲れていただけだよ」と誤魔化して笑った。


「ほら、また笑う。フィアルはいつも笑って誤魔化そうとするから」


 真っすぐと見つめてくるリミーナの目はうるうると揺れるように輝いていて、フィアルはその視線に居たたまれなくもなって、再び顔をそらし朝食が並べられている机に向かった。

 銀色のフォークを手に取ってレタスを掬うようにし、口に運ぶ。


「……何かあったなら、相談してよね」


 背中越しに投げ掛けられた言葉に、フィアルはまたしても手を止めて「……うん」と静かに頷いた。

 頷くことしかできない。決して話すことはできないのだから。

 親友が心配してくれる気持ちを背中に目いっぱい受け取って、フィアルはゆっくりと咀嚼しながら返事をした。


「話せるようになったら、話すよ」


――きっとそんな時は、来ないだろうけれど。


 諦めの気持ちは嘘を吐くような罪悪感を残して、吐いた言葉がべたりと重く胸の中に張りついた。

 背中を向けていたことが救いか、その弱さは顔にも出てしまっていただろうから。

 ただ、涙が溢れてくるようなことはなく、黙々とリミーナが運んできてくれた食事を口へと入れる。味なんてものはほとんど感じなくて、ただ腹を満たすためだけに、リミーナへの心配を払拭するためだけに朝食を食べ終えた――。


「じゃ、わたしは戻るから。フィアルは今日一日、休んでおくこと。いい?」


 リミーナは空いた食器を片腕に携えて、眉尻を下げた顔をフィアルに向けている。

 フィアルはそれにも困った笑いを返して、「……うん」と頷いた。

 リミーナはそんなフィアルの返事を見るや、「はぁ」とため息を吐いてドア口のほうへと向かって行く。


「ありがとね、リミーナ」


 リミーナはフィアルのほうへと顔を向けると柔らかく微笑んでから部屋を出て行った。

「本当に、いつもありがとう」というフィアルの声は、ぱたりと閉まるドアに吸い込まれて消えていく。

 再び一人になり静まり返った自室の中で、フィアルはベッドにばたりと倒れ込んで天井を見上げる。


「休んでなんて、いられないんだ……」


 心休まる場所なんて、もうあるはずがないのだから。

 目覚めてしまったからには逃げられない。

 フィアルは決心を固めるようにして目を閉じる。

 そうして、夜が来るのを待っていた。



◇◇◇



 眠ることなんてできなかった。ただただベッドの上で怠惰に時間を潰して、そうして訪れた夜更け過ぎ。

 窓の分だけ間を開けた隣のベッドでは、リミーナが「もう……まったく、フィアルはぁ……」と寝言をこぼした。そんな声に苦笑しながら体を起こすフィアルは、白い部屋着を纏う自分自身を見下ろしてから、ふいに感じた気配へ――窓の外へと気を配らせる。

 クリーム色をしたカーテンが、自然と空いた窓から吹き込んだ風によって揺られている。

 フィアルは決心を固めたようにベッドから降りると窓へ近づいて、そのカーテンの向こう側へ、窓の外へと飛び出した。

 窓淵から宙を蹴って跳び上がり、教会の屋根の上へと裸足のままに着地する。


 雲一つない夜空には丸い月がくっきりと浮かんでいて、眩しいほどの月明かりに照らされるフィアルの紅髪が夜風に揺れた。

 裸足の足元、月明かりに落ちたフィアルの影が伸びはじめ、次第にそれは紅い色へと染まって形を象っていく。


『見ていたわ』


 フィアルはそれを別に悪趣味だとは思わず、ただ無表情に頷いた。

 紅き影は紅き乙女に付き従う。文字通りにくことができる。


「そう」


 フィアルの静かな返事を聞いて、紅き影は薄ら笑うように手を振り払った。


輪廻を巡る者リィンカーネーション、もういつぶりかしら?』


 フィアルも紅き影が言いたいことはわかっている。


『危険よ、特に今回の場合は。おまえの影響がより色濃く出ているわ』


 それにもフィアルは自覚があった。

 祈りの儀式――そんなものを執り行ったせいでもあったのだろう。

 内心どこかわかってはいたけれど、どうせ灼いてしまう世界でのことだと軽く見ていた節はある。

 紅き乙女の強い想いを受けた影響が、彼には現れた。

 それにしても早すぎるとは思ったが。


『排除しなさい。世界を灼く前に、おまえの手できっちりと』


 紅き影が腕を伸ばすようにゆらりと揺れて、その指先はフィアルの右手を指した。

 フィアルが無意識に右手を握り込めば、その手の中には紅蓮の聖剣が――白銀の刃が月明かりに照らされ煌いた。


『断ち斬りなさい。その剣で』


 この手で排除する。輪廻の巡りから斬り離す。それはつまり――殺すということだ。


『今さらたった一人斬ることくらい、なんてことはないでしょう』


 ギリリと無意識に噛んだ奥歯が音を上げて、フィアルはそれにこたえることができなかった。

 揺れる瞳で見つめる先で紅き影はふわりと揺れて、どこかフィアルのことを見下しているかのような雰囲気で言葉を続ける。


『何を今さら怖気づいているのよ』

「怖気づいてなんて」

『わかるわよ。おまえはあたしで、あたしはおまえなんだから』


 否定の言葉がフィアルの口を衝くが、それは誤魔化しの言葉でしかなかった。

 紅き乙女は、紅き影の写し身だ。

 世界を灼く宿命を背負って、この世界に生まれた身でしかない。


『情にほだされないでよね。わかっているでしょう? おまえの役目は』


――わかっている。そんなことは、言われなくたって。


 世界を灼かなければ、また世界は死んでしまう。

 世界をそうして一度リセットし、また新しい百年をはじめるためにこの剣が必要で、そのために使命を背負って約束をした。

『せめてわたしの手に、この世界を終わらせる権利をください』――それが背負った者の責任で、この世界のルールなのだから。


 世界の存続には人の繁栄が必要だった。繁栄の力こそが世界に――この星に、力を与えている。

 だが、ある程度繁栄を果たした人々は、他者からそれを奪うため、あるいは守るために争いを繰り返す。

 その行く末に人は、星の力を奪おうと大罪を犯した。

 そうした影響が世界を滅ぼす。せっかく蓄えた繁栄の力も失くして星は命を失った。

 だから、制約を決めたのだ。この世界の安寧を保つために。

 百年周期で世界をリセットすることで、人の繁栄の力を保ち、現状を維持するための安寧を造った。

 そのリセットのために図った方法が、世界を灼くことだった。

 紅蓮の聖剣に灼かれたモノは、輪廻転生を果たし、再び次の世界に生まれ落ちる。

 灼けた世界は一夜のうちに新たなカタチへ転生し、新たな世界を創り出す。

 一から世界を創るよりも早く、次の繁栄を迎えることができるのだ。


『あたしにはもう力がないからねぇ。おまえがやるしかないのよ』


 紅き影に問われて、フィアルは揺れる深緑色の瞳で顔もないその影を見つめていた。

 想いも揺れている。迷い、後悔、失念――何度か何十回か、何百何千何万にも及ぶそれらが湧き起こされそうになって、フィアルはぎゅっと左手で胸元を握り締めた。

 同時にぎゅっと閉じられた瞳の裏では、いつの日か何度も見たくれないの空が揺れていて、聞こえたはずもないのに、燃え盛る炎の向こうからは人々の悲鳴や嘆きが溢れ出してきた。


『おまえは、意識を引っ張られすぎてるよ』


 ぱちりとフィアルが目を見開けば、その声がフィアルの思考を遮った。


『その――フィアルとかいう人の子に、引っ張られすぎている』


 目覚めたときは確かに――わたしはのに。

 紅き影の言う通り、紅き乙女としての意識が、想いが、に引っ張られるようだ。

 フィアル・ストレーンという名は、紅き乙女の運命を背負い、ただ生まれただけに過ぎない少女の名だ。

 ただ眠りから覚めてしまっただけ。忘れていたことを思い出しただけ。やらなければいけないことは、百年前から決まっていただけ。


『おまえは紅き乙女、使命を背負って生まれ落ちるだけのモノ。己の役目を忘れるな。おまえはただ、世界を灼けばいいんだから』


――そうだ……その通りだ。もう、何度だって繰り返したんだ。


 フィアルはキリッとした瞳に力を取り戻して、紅き影へと向きなおると強く一度頷いた。

 気を引き締めて顎を引いて、そうしてジッと見つめた先で紅き影は笑うように揺れる。


『じゃあ、とっとと終わらせてきなさいよ』


 それだけ言って月明かりの中へ溶けるように消えていく。

 返事をしなくともフィアルがやることはもう決まっていた。


 そのまま夜空を見上げる。一筋流れた星屑はあっという間に消えていって、名残すら落とさず燃え尽きた。

 やはり、涙すらもう溢れない。


 紅蓮の聖剣の炎には輪廻転生の力が宿っている。

 それと同時に、その刃にはそれを絶つ力が備わっている。


――それもわたしの手に託されたことだから……終わらせに行くんだ、わたし自身、フィアルとして。


 教会の屋根を蹴って夜空へ飛び出したフィアルは、そのまま宙をもう一度蹴って、果たすべき使命のために夜空を翔け出した。



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