第12話:芽生え。

ゆうべの出来事など一晩の夢だったように、今日も何事もなく日は昇り、

吉岡家にいつもと変わらない朝がやって来た。


柊一郎は詩織が怖い思いをしたことでトラウマになってなきゃいいけどって

心配したが・・・

その心配はなさそうだった。


詩織がトラウマにならなかったのは頼り甲斐がある柊一郎のおかげだった。

自分にはいつでも強い兄がついてるってことで怖い思いを払拭した。


夢見る少女は白馬に乗った王子様がいつか自分をさらいにやって来ると思っている。 詩織にとって柊一郎は、ゆうべを境に白馬に乗った王子様になったのだ。


「お兄ちゃん・・・おはようございます」

「夕べはありがとうございました」

「あの、ご心配おかけしました」

「ごめんなさい」


そう言って詩織はペコっとお辞儀した。


「お、おう・・・」

「って言うか・・・なんかさ、お兄ちゃんって呼ばれるのも照れるな」

「それより、ちゃんと眠れたか?」

「しょんべん、ちびらなかったか?」

「まだ怖かったら一緒に寝てやろうか?」


「そんなこと・・・」


「冗談だって、すぐ真に受ける」


「だって・・・」

「だけど、もう大丈夫だと思います」


「って言うか、毎回思うんですけど・・・ほんとに素直じゃないですね」

「人をからかって面白いですか?」


「お兄ちゃんなんて言われたことないからだよ」


「じゃ、シュウちゃん」


「あ〜それもな〜いまさらな〜飽きてきたかな」


「そう呼べって自分から言ったんですよ」

「他になんて呼べばいいんですか?」


柊一郎は自分の尻をぼりぼり掻きながら、


「ってかさ、そういう硬っ苦しい話し方ももうやめないか?」

「兄妹なんだし・・・」


「だって、そんないきなりタメグチとかきけないです」


「ん〜まあ、しゃ〜ないか・・・ぼちぼちでいいわ・・・」


「とにかく、今度からいくら友達からの誘いでも夜、女ひとりで あんな場所に

出掛けちゃだめだぞ 」


「何もなくて済んだけど・・・もしおまえに、なにかあったら俺は・・・なんだ・・・それ」


「私になにかあったら?・・・・・なんですか?」

「ゆうべ、言いましたよね」


「私のためなら命かけるって・・・」


「え〜?・・・そんなこと言いましたっけ?」


「言いましたよ、はっきり」


「・・・・・」


「あのさ、自分にとって大切な人がいて、もしその人が亡くなったとするじゃん」

「その人が生きてるうちに抱き締めときゃよかったって後悔したくないだろ」

「だからさ、決して亡くならないようその人のこと、命をかけて守るんだよ」

「いつだって抱き締めていられるようにさ」


そんなことを言われて、詩織の瞳から涙がこぼれ落ちた。


「それって、もしかして告白ですか?・・・」


「そんなんじゃねえよ」

「おいおい、何、ウルウルきてんの・・・」

「たとえばの話だよ・・・また真に受ける」

「詩織は俺にとって大切な家族だからさ」

「いつだってそう言う気持ちでいたいよなって話だよ」


「家族?・・・ですか・・・」


「なんか間違ってるか?」


「いいえ、そんなことないですけど・・・」


「大丈夫か?」


「大丈夫です・・・少し、がっかりしただけです」

「期待した私がバカでした」


詩織は、うつむいてクチごもった。


「なんだって? 聞こえない・・・」


「もういいです」

「それよりトイレいかなくていいんですか?」

「私、先に入りますよ」


「お、ちょっと待った、今日は俺が先」

「ウンコするからな、ちょっと長いぞ」

「我慢できなかったら、おまえは外でしろ」


柊一郎はそう言ってトイレに駆け込んだ。


「もう・・・デリカシーなさすぎ」

「それから、お前呼ばわりもやめてください」


「なあ、今度の休み、映画でも観に行かないか?」


(映画って・・・いきなりなんですけど・・・)


「え?、あ、はい・・・行きます・・・映画観にいきます・・・あの」

「今、何か面白い映画ってやってます?」


「ドラえもん」


男はいつだって空気読めなくてデリカシーのかけらもない生き物。


そうは思いながらも詩織は自分を救ってくれた柊一郎のことをはっきり

認めていた。


昨日より・・・そして今日よりも・・・明日にはもっと柊一郎のことを

好きになることを予感した。


寒い冬が終わって春の雪解けに芽生えはじめた蕾のように、詩織の心の

中に、ほのかな恋心が芽生え始めたことなど柊一郎は知る由もなかった。


♪─── end.────♪

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いつか君と夜の海を見てみたい。 猫野 尻尾 @amanotenshi

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