第17話 希望

 病室の中に入ると、ベッドの上で上身を立てて、ディアネイラ王妃から梨を食べさせてもらっている包帯だらけの大男が目に映った。


 私は深々と頭を下げた。


「ヘーラクレレス王様、この度は心よりお見舞い申し上げます」


 ヘーラクレレス王はシャリシャリと梨を頬張りながら手を振った。


「おお、イオリ殿か! 心配かけて悪かった。だが、もう大丈夫じゃ。このとおり、元気モリモリじゃからの。ワハハハハ」


 ヘーラクレレス王は力こぶを作って見せた。上腕部分の包帯が裂けて千切れ飛ぶ。そこから見えた太い腕の皮膚は奇麗で、火傷の痕は残っていなかった。


 反対の腕でも力こぶを作ろうとした王様をディアネイラ王妃がたしなめる。


「何をおっしゃっておられるのです。イオリさんのおかげで、こうして元気でいられるのですよ」


「おお、そうじゃったな。あの温浴治療とかいう方法はイオリ殿の提案だそうだな。感謝しておるぞ」


「いいえ。とんでもございません。ニシシマコン博士の適切な処置の結果でございましょう。そして何より、王様の銀河一の精神力と体力の賜物でございます。お元気そうなお姿を拝見できて、誠に安心いたしました」


「そうか。ニシシマコンには確かに世話になった。彼女の配合した薬は実によく効いたんじゃ。今回、お湯の中に溶かしたというその回復薬剤をもっと生産するよう指示したところじゃ。いやな、あの『風呂』というものは、すばらしいのお。お湯の中に浸かっていると、こう、何と言うか、内側から力がみなぎってくるのじゃ。ワシは決めたぞ。この王宮殿の中に風呂を作る。な、ディアネイラ」


 ディアネイラ王妃は頷いて答えた後、笑みを隠しながら私の方を見た。私も小さく頷いて返した。ディアネイラ王妃の指示で、もうとっくに王宮殿の中にはいくつもの浴室が設置されているからだ。王様が退院して戻ってこられたら、すぐにご入浴ができるよう、王妃が工事を急がせたようだ。退院祝いとしての王様へのサプライズだから、この事は伏せておくようにとディアネイラ王妃から言われていた。


 でも、私にはどうしても王様に伝えたい事があった。私は口を開いた。


「王様。実は折り入ってお願いしたい事がございます」


 ヘーラクレレス王は口元に運ばれた梨を食べるのをやめて、こちらに顔を向けた。


「何じゃ、急に。願い事とな」


「はい。街にも人々が入ることができるお風呂を作ってもらえないでしょうか。城外の人々も疲れや傷を癒す必要があると思うのです」


「ほう。街の人間にもか……」


「はい。大きな入浴施設で、誰でも入れるようにします。運営維持のために少しだけ入浴料を払ってもらいます。それで誰もがお風呂に入れるようにするのです。私がいた世界では『銭湯』と呼んでいました」


「なるほど、共同の有料浴場か……だが、そこまでする必要があるかの。この戦時に、王宮予算を軍事以外の事で宮殿の外に回すなど、出来ようはずもあるまい」


 ヘーラクレレス王は厳しい顔になった。強烈な威圧感だったが、私は必死に訴えようとした。


「どうか、お聞き下さい。実は、先日、グテーシッポ王子とお会いし……」


「ガッハハハハ。冗談じゃ。傷痍兵たちの為でもあろう。全て知っておる」


 ヘーラクレレス王は急に破顔した。


 私がキョトンとした顔をしてみせると、ヘーラクレレス王は広い病室の隅に置かれた両軸の執務机の方を顎で指した。机の上には書類が山積みにされている。


「あれは全てグテーシッポから提出された企画書じゃ。俺に傷痍兵たちの救済を図れと書いてある。その中に、温浴治療施設の企画もあった。そちの事についても少し書いてあったぞ。イオリ殿の見識を取り入れて作るべきだとか何とか。あ奴め、ようやく自分が何をするべきか分かったようじゃ。さてさて、いったい誰の入れ知恵かのう」


 ヘーラクレレス王はニヤリと片笑んだ顔を私の方に突き出した。


 私は慌てて顔の前で手を振った。


「いえいえ、違います。グテーシッポ王子は以前から……」


「知っておる。ワシを誰じゃと思っておるのじゃ。奴が夜な夜な城外の街に姿を消すのは、街の傷痍兵たちを気にかけてのこと。彼らと共に飲み、彼らと共に笑い、彼らと共に泣く。そうして下々の者たちの実態を掴もうとしていたのじゃ。だから、日中は二日酔いでぐったりとしておった。愚かな奴よ。こんなに詳細で正確な企画書を作る力があるというのに」


 ヘーラクレレス王は書類の山を見つめる。私は尋ねた。


「すべてに目を通されたのですか?」


「当然じゃ。実は昨日から意識は回復しておったのじゃ。まあ、戦場の方はヒュロシに任せて安心じゃし、せっかくゆっくりと書類に目を通せるチャンスじゃからな。全て読ませてもらったよ。それにしてもグテーシッポの奴、病み上がりの王に山のように企画書を送りつけやがって、そういう所の配慮がまだ足りんのう。ガハハハハ」


 ヘーラクレレス王の本当に嬉しそうな笑顔だった。私も嬉しくなり、少し涙目で言った。


「では、街に銭湯を作っていただけるのですか?」


「うむ。このヘーラクレレスは嘘は言わん。銭湯を作ろう。皆で入れる大きな奴をな。当然、回復治療薬も湯に混ぜるのじゃ。だからニシシマコンに薬を大量生産するよう指示したのよ。そして、その銭湯の管理は、イオリ殿、そちに任せる」


「へ? わ、私に?」


 私は思わず自分の鼻先を指差した。


 ヘーラクレレス王は笑って頷く。


「当然じゃろう。我々は銭湯どころか風呂というものを知らん。知っているそちに運営させるのが適切じゃ。なあ、ディアネイラ」


 ディアネイラ王妃は首をしっかりと縦に振った。


「その通りですわ。イオリさん、あなたもホログラムでのリモート外交ばかりでは退屈でしょう。街の銭湯の開業準備と、その後の運営と管理、すべてをあなたに任せるわ。王室の名を汚さぬよう、しっかりとやってちょうだいね」


 私は高鳴る胸の鼓動を押さえながら頷いた。


「は、はい。ありがたき幸せでございます。精一杯、全力で取り組ませてもらいます」


 王様夫妻は顔をほころばせて頷いていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る