第18話 銭湯始めます。

 あれから一か月近くが経過しただろうか。あまりの忙しさに日付の把握もできていない。ああ、もちろん、こちらの世界の時間で一か月ということ。元の世界の時間だと……駄目、疲れていて頭が回らないわ。


 もう、働く主婦って、どんだけ忙しいのよ。私の場合、上げ膳据え膳の状態でこれなのよ。普通の主婦は、これに炊事と洗濯と掃除があるんでしょ。アルクメーデーのような従者もいない訳だし。加えて、子供がいたら、学校行事とか、部活の応援とか、習い事の送迎とか、夏休みの宿題の手伝いとかも。熱出したり怪我したりもするだろうし。世の中の働くお母さんって、マジでスーパーマンだわ。いいや、スーパーウーマン。ほんっっとにリスペクトするわ。本当に。


 とにかく、首都アッテナイの中心地に銭湯は建設された。元の世界でいうスーパー銭湯なみの広さだ。私が設計段階から関わったから、ちゃんと男湯と女湯に分かれているし、サウナ室やパウダールームもある。どんな設計でも、どんなに難題と思われることを要求しても、あっさりと実現できた。さすがは宇宙戦争するくらいの科学技術だわ。


 一応、王立の公共浴場ということになっているが、僅かだけ入浴料を徴収することにした。戦争中なので王宮も経済的に厳しい。銭湯を運営するための出費がかさんで王宮が疲弊すれば、結局は増税や何やらで一般市民たちに皺寄せがいく。だから、なるべく王宮からの補助金は当てにしないようにして、入浴料収入だけで回していきたいと思っている。幸い、王宮職員からこちらに人材を回してもらえる事になっているので、私の分を含め、人件費はほとんど掛からない。この星はそもそも光熱費はすべて無料みたいだから、必要なのはメンテナンスのための清掃費や修繕積立費と投入する薬剤の購入費だけだ。だから入浴料を安く抑えることができた。これで人々が遠慮なくお風呂に入れるはずだ。


 開業まであと一週間。もう一踏ん張りである。


 私はランプの灯りの下で懸命に電卓を叩き、収支計画書の最終見直しをしていた。電卓あるのにランプって、なんで? この星の世界観、分からないわ~。


 眉間に皺を寄せて頭を掻いていると、机の上に温かい飲み物を入れたカップが置かれた。ジャスミンティーみたいなやつだ。私のお気に入り。振り向くと、ヒュロシ様が立っていた。


「あまり根を詰め過ぎてはいけないよ。すこし休憩して」


 きゅ、休憩などできるはずがない!


 ヒュロシ様は半渇きの髪にパジャマ姿だ。首筋にほんのりと浮く汗がセクシー過ぎる。


 王宮内の各自の部屋には浴室と脱衣室が設置された。王族だけでなく、住み込みの王宮職員の部屋や近衛兵たちの兵舎にまで個室風呂や大浴場が設置されている。しかも、蛇口からお湯が出るだけでなく、シャワー完備に追い炊き機能付き。個室の浴槽も広く、申し分ない。皆お風呂に入ることが日課となり、それでその日の疲れを落として回復するので、宮殿の中は生き生きとした雰囲気になった。


 ヘーラクレレス王も毎日薬剤入りのお風呂に入られて、火傷はすっかり回復された。回復どころか、以前よりもパワーアップしているらしい。前線基地にも順次お風呂を設置していったそうなので、兵士たちの回復も著しく、戦局はこちらが優勢となっていると聞いている。実際、この頃、空で戦闘機が飛び回ったり、閃光が走ったりするのを見たことがない。たぶん、戦線を惑星圏外に押し返しているのだろう。ヒュロシ様も少し時間にゆとりができたようだけど、最前線が遠くなったからなのか、御帰宅される回数が減ってしまった。それでも、転送装置をいくつも梯子されて、できるだけ帰ってきてくれる。ここのお風呂に入りに。


 今もお風呂から上がられたばかり。私は先にいただいた。二人とも体は火照っている。私は特に。


 目の前で立っているヒュロシ様を見つめながら、私はお茶を飲んだ。カップの中のお茶に深紅の鼻血が浮き広がる。ヒュロシ様は立っている。休憩などできるはずがあろうか!




 ※※※※




 一週間後、王立共同浴場「星乃湯」は開業日を迎えた。屋号には私の昔のペンネームから一文字を使った。せっかく考えたペンネーム。少しは使わないともったいないしね。


 開業セレモニーは浴場前の広場で盛大に開催された。関係した建設会社の社長や回復薬の製造を請け負った製薬会社の社長、広告宣伝を担当したマスメディアのトップが居並んでいる。あの美食家のユーディース氏も呼ばれていた。ていうか、私がリストに加えたのだけど。そして当然、私は経営管理者兼この式典の責任者として参列している。ヘーラクレレス王とヒュロシ様は戦場に行かれているので不在だ。その代わり、王の代理として、王族からはマッカリアスちゃんが来てくれた。


 式典の最中、壇上の席に座っている私に隣の席のマッカリアスちゃんが話しかけてきた。


「ねえ、イオリさん。前から気になっていたんだけど、今訊いていい?」


「ん? なに? こんなところで」


「前にさ、私がパパのために皮膚を提供するって言った時、イオリさんは温浴治療の提案をして私からの皮膚移植をやめさせたじゃない。あれ、どうして?」


 私はクスリと笑ってから答えた。


「どこの世界に、大切な妹の肌を切り取ることに賛成する姉がいるのよ」


「――ふーん、そうなんだ……」


 そう言った後、何かを言おうとしたマッカリアスちゃんをスポットライトが照らした。


『それでは、王様の代行者マッカリアス姫に王族からの御言葉をお伝えいただきます』


 マッカリアスちゃんはすくと立ち上がる。真っ赤なドレスの裾を風になびかせながらステージ中央の演説台へと向かったマッカリアスちゃんは、マイクの前にまっすぐに立った。凛とした調子で話し出す。


「本日は我が王族が提供する公共浴場を開業するである。この日のために自らの力を惜しみなく捧げてくれた建設関係者各位ならびに学識関係者、警備関係者、そして、ここに集まった全ての者たちに心からの謝意を伝えたい」


 へえ~。なんだ、ちゃんと喋ることができるじゃない。まだ若いのに、さすがは生粋の王族。立派なものねえ。


 会場に鳴り響く拍手の中、マッカリアス姫は言葉を続けた。


「最後に、これは私の個人的な願いなのですが……」


 拍手が止み、会場が静まり返る。


 壇上からゆっくりと観衆を見回したマッカリアス姫は、しっかりとした声で言った。


「この施設設置の発案者であり、この開業の最大の功労者である、我が愛しき姉君、イオリ妃殿下に最大の感謝を込めて、盛大な拍手を贈りましょう」


 さっきにも増して大きな拍手が観客席から沸き上がった。歓声と拍手の音が広場を埋め尽くす。


 感激のあまり私の目には涙が溢れていた。その私の前をマッカリアス姫が通り過ぎていく。彼女は私の前で軽くウインクして、こう言ってから椅子に腰を降ろした。


「これでお相子よ、


 私は零れる涙を拭いながら、若い妹に向けてしっかりと頷いて返した。








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