第19話 もう一人の男

 テープカットの後、「星乃湯」の営業が正式にスタートした。お客さんは定員予定数を大幅に上回る人数で、順番待ちの状態。整理券を配り、一人当たりの入場時間を定めて入浴の時間を制限するしかなかった。一日の売上額としては十分な額が見込まれるだろうが、まあ、開業初日の今日は、いわゆる「ご祝儀売上」というやつだから、経営上は度外視しないといけないし、お客さんにとってもゆっくりとお湯を楽しめる訳ではないから、正確な評価も出来るはずがない。開業記念ということで入浴料も半額にしてあるし、今日のところは体験型の宣伝ということで考えておこう。


 そう巡らしながら、私が関係者への挨拶の合間でお客さんの列を眺めていると、見覚えのある人を見かけた。私はその人のところに歩いていき、声をかけた。


「あ、初めまして……ではないかもしれませんが、ユーディースさんですよね、美食研究家の」


「は、はい。ああ、本日は大切な式典にお招きいただきまして、ありがとうございました。招待状に入っていた入浴券を使わせてもらいます」


「こちらこそ参列に感謝いたします。それに、いつも美味しいお料理を組み立ててくださって、ありがとうございます。今日は、そのお礼と言ってはなんですが、短い時間ですけど、お湯を楽しんでいってください」


「いやいや、料理を作っているのは宮廷料理人であるシェフの皆さんですから。私は巷で食べ歩いた安くて美味い物の情報を提供しているだけですな感じですよ。それより、銭湯なんて久しぶりなんで、嬉しくて。昨日は眠れませんでした」


「え? 銭湯をご存じなのですか。ということは、やっぱり……」


 ユーディースさんは自分の口の前に人差し指を立てた。


「しー。お噂はうかがっています。大きな声では言えませんが、実は私も第七界からの転生者です。転生した時の事は覚えていませんが、死んだはずなのに生きているということは、そういう事なのかなと。ま、こっちの世界でも頑張ってみたら、それなりに上手くいきまして、こうして生活していますな感じです」


 この人は自分が肛門を通過した事は覚えていないようだ。そうだ、私が私を抱きかかえていたアルクメーデーに初めて話し掛けた時、彼女はすごく驚いた顔をしていた。ヒュロシ様もイオラオサンおじさんも慌てていたのを覚えている。私は特殊なケースなのだろうか。普通は体の成長が終わるまで、記憶や意識が回復しないのかもしれない。そして、男性は記憶や意識が戻る前に城の外に出されるのだろう。だからユーディースさんは転生をすんなりと受け入れ、恥ずかしくもなく私に語り、城に出入りする仕事をしているのかも。それとも、根がものすごく強い人なのかしら。強靭な精神力の持ち主だとか……。


「あ、ユーディースさん、ひとつお尋ねしたいことが」


「ん、なに?」


「この前、街外れの酒場でお姿をお見かけしたのですが、その時、スマホのような物を持っていませんでした? テーブルの上の料理を撮影していたように見えましたが」 


「ああ、これの事ですね」


 ユーディースさんはズボンのポケットから木製の板を取り出した。スマートフォンのような彫り込みが施してある。要するに木製のモックだ。


「これ、自分で作ったのですよ。いやね、あっちの世界でも仕事で出かけた先の店とかで、安くて美味い物を撮影してSNSにあげていたのですけど、どうもその癖が抜けないみたいで、こういうのを持って食べる前に撮影する素振りをしないと落ち着いて食べられなくて。この世界、変でしょ。ある面の科学技術は理解できないくらい進んでいるのに、灯りはランプや松明だとか、宇宙で他の宇宙人と戦争とかしているのに、乗り物は馬とドラゴンだったり」


「ど、ドラゴン?」


「あれ、乗ったことないですか。隣の都市とかにいくと、結構な数が飛んでますよ。観光客が皆、浅草の人力車に乗るような感覚で乗ってますから」


「そうなのですか。それは知りませんでした」


「でも、イオリさんは運がよかったですね」


「え? どうしてですか。私、たぶん爆弾テロに巻き込まれて死んでしまったのですよ。運がいいとは思えませんが……」


「あらら、それは災難でしたね。私は働き過ぎで体調を崩しましてね。そのままズルズルと長引いて、最後はコロナで……」


「そうだったのですか。お気の毒に」


 死んだ人間同士の会話。なんだ、これ。でも、なんだか少し見えてきたわよ。私は爆弾で即死、ユーディースさんは病気で時間をかけて亡くなった。たぶん、死亡の時間と記憶の回復は反比例するのね。予期しない死で、瞬間的に高速で死んだ人は、その分早く記憶が蘇る、きっとそういう事じゃないかしら。成長の速度も関係があるのかもしれない。でも、あの転生の時のことを記憶していない方が絶対に幸せよね。絶対にそう。


「まあ、どちらにしても死んじゃったので同じですけどね。いや、僕が言ったのは、イオリさんは王室に拾われて幸せ者だなってことです」


「まあ……それなりに大変ですけど」


「贅沢を言ってはいけませんよ。転生者の状況は酷い物です。僕は何とか這い上がることができましたが、大抵は貧乏のどん底に置かれたまま、絶望と希望をもって自殺してしまうみたいですから。街の片隅で人知れずひっそりとね」


「希望って、どういう事ですか?」


「先輩の転生者……ああ、僕より一年くらい前に転生してきたっていう男の人だけど、その人が言ってたなあ、一度転生した人間は、何度も転生するんだって。ここで死んだら、元の世界に転生していくんだって。転生返りてんせいがえりとか言っていたかな。だから、もう一度転生して、次は幸せな人生を送れると信じて、自ら命を……」


 そこまで話して、ユーディースさんは頭を振った。


「いけない、いけない。そういう確信のない情報に惑わされて、自分から人生のチャンスを放棄してしまうのですよね。僕は信じていません。今目の前にある世界で、出来る限りの努力をする。そうやって今まで何とか生きてきました。ま、立場は違いますが、これからもお互い頑張っていきましょう」


 この人はなんて強い人なんだ。きっと私の想像をはるかに超えた苦労をしてきたに違いない。もっと早くお話し出来ればよかった。尊敬する。とにかく尊敬する。


「あ、ほら。あちらで王族の方が呼ばれてますよ。僕は次の順番なので、これからひとっ風呂いただいてきます。では、また」


 ユーディースさんは軽く会釈をして星乃湯の中に入っていった。


 私が振り返ると、向こうの木の影に隠れて、背の高いブロッコリーのような物が手招きしていた。オネイテマス王子だった。私はそちらの方に駆けていった。





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