ジュラールの恋人

 エルリックたちが帝国へと脱走してから戦況はガルム帝国寄りに推移していた。


 エルリックたちはゴルトブルクから皇国軍が撤退するまで帝国軍と共に戦うと宣言していた。


 死神の騎士以上の強さと言われたエルリックは皇国軍にとっては目障りだ。


 グランサール皇国は帝国首都ゴルトブルクを落とすことが出来ず、軍師ウォーマスターラウルの指揮に後退を強いられていた。


 皇国は何としても首都を落とすべく湯水のごとく軍勢を送り込んでいたがそのことごとくを失った。


 エルリックが離反し、死神の騎士アトゥーム共々の圧倒的な強さ―—近衛騎士ジュラール以外に立ち向かえるものがいないとまで噂されていた―—に皇国兵が怯えているのも大きい。


 皇国はアトゥームとラウルの首に懸賞金を掛けたが、挑んだ者は全て返り討ちにされ、結果としてますます死神の騎士の名声が高まった。


 戦皇エレオナアルはかつてエルリックを戦友と呼んだ過去など無かったかのように沈黙を守っていた。


 実際は悪罵を叩き付けていたのだが、それは近習だけに限られていた。


「あの恩知らずのエルフ風情が―—混沌神に魂を売った魂無しが」皇都ネクラナルでエレオナアルは一向に帝都を攻め落とせない自軍と裏切り者を罵る。


 現場からはせめて勇者ショウを送って欲しいと要請が出されていたのだが、自分以外の誰かが帝都を攻め落とした英雄になるのも許せないエレオナアルは、自分の身辺を守るのに勇者が必要だと詭弁をこねて頬かむりだった。


「近衛騎士ジュラールが本気を出せば帝都はあっさり落ちるはずだ―—もっと本気を出させるべきだ―—」そう言うエレオナアルに参謀役の神官戦士は一つの提案を出した。


 エレオナアルは二つ返事でその案に賛同した―—後の自分に致命的な過ちとして降りかかってくる決断だった。


 *   *   *


「久しぶり、ジュラール」紫がかった長い金髪をなびかせ戦闘礼服バトルドレスに身を包んだ自分より頭一つは背の低い女性の姿を見た時、ジュラールはこんな場所は彼女に似つかわしくないと思う気持ちと久々に許嫁に会えた喜びが同時に沸き上がるのを禁じえなかった。


 彼女は前線を慰問する役目を負ってやってきたのだ。


 天幕の中、鎧を着たままにも構わず近衛騎士は彼女を抱きしめる。


「ユリア、夢みたいだ」


「夢じゃないわ―—現実よ。戦皇陛下の配慮に感謝しないと」


「陛下にはもう一度だけで構わないから前線に出向いて欲しいと要望しているのだけどね」ジュラールは僅かに顔を曇らせた。


「玉体を危険に晒さないのも立派な戦略よ。それに今は陛下じゃなく私だけを見て」ユリアはすねる。


「気持ちは分かるけど。夕餉が終わるまで僕は自由の身じゃないよ」


 ジュラールは身を切られる様な思いで彼女から身を振りほどいた。


 ユリアは不満そうに鼻を鳴らす。


「僕のあげた指輪は持ってる?」


 ユリアは左手の薬指を見せた―—白金プラチナのアメジストをあしらった指輪だ。


「ちゃんと嵌めてるわよ、婚約者様」悪戯っぽく笑う。


「私があげた指輪は?」


「僕だって忘れたりしないよ」ジュラールは籠手を外すと指輪を見せる。


「感心感心」ユリアはジュラールの頬に不意打ちでキスした。


 ジュラールの顔に赤みが差す。


「じゃあまた後で、私の騎士様―—」ユリアは球を転がす様な笑い声をあげて表に出て行く。


「全く」ジュラールはその後ろ姿を息をついて見送る。


 腰掛に座るとジュラールは今後の戦術について考えをまとめ始めた。


 ここ二日ほど前線に動きは無い。


 早く帝都を落とせとエレオナアルから執拗に言われているが、先日の戦いで消耗した軍勢を立て直すだけの予備兵力が届いていない―—今日、慰問団と一緒にやってきたのだ。


 訓練のなっていない兵隊をすぐさま前線に投入しなければならないほど皇国軍は切羽詰まっていた。


 一方の帝国は―—ジュラールは敵の軍師ラウルの狡猾な戦略をうらやんだ―—新兵は後方任務や支援任務で戦争に慣れさせてから前線に送ってくる。


 戦場慣れした兵はずぶの新兵の様なへまはしない―—それだけでも生き延びる確率が大きく変わってくる。


 場数を踏めば戦局をひっくり返すような強壮な兵となるのだ。


 戦皇は細かな作戦にまで口を出すようになっていた―—兵にもう少し余裕をという要望も聞き届けられない。


 ラウルが女帝マルグレートを上帝に位上げして事実上追放した事は皇国でも驚きをもって受け止められていた。


 彼女と最高司令アダルトマン将軍が実権を握っていた間は皇国にとってはとても戦争がやりやすかった。


 各部隊を連携も取らせずに連続してぶつけて来る、前線に矛盾した指令を出して部隊を自滅させる、退却すべき地形で兵を突撃させる、防御線に適した地形をかなぐり捨てて部隊を下げる、正に不手際の博覧会だった。


 ラウルが権力を握ってから、全てが様変わりした。


 今まで馬の前に馬車を繋いだような動きだった帝国が目覚ましい働きをするようになった。


 ラウルとその義理の兄にして死神の騎士アトゥームは正に皇国にとって死神と言えた。


 権力で腐敗してくれる様な相手なら良かったのだが―—ジュラールは苦い思いと敵ながらあっぱれという思いに苦笑する。


 実に的確にこちらの不備を突いて来る。


 いっその事こちらの戦皇の権力も奪ってくれれば―—近衛としてあるまじき思いが込み上がってくる。


 ラウルたちとの間なら元の国境に下がるという条件で終戦条約を結べるだろう。


 それを許さないのは戦皇エレオナアルその人だった。


 帝都を陥落させガルム帝国そのものを我が物にする、その望みが満たされない限り―—いや、世界全てを征服するまでその野望は止まるまい。


 この一年、何とかエレオナアルを翻意させようとしてきた。


 エルリックが主君を欠陥人格と呼んだ理由が良く分かった。


 エレオナアルは忠誠を尽くすに値するのか、心の表には出ずとも無意識裏にその思いはくすぶっている。


 慰問団として楽団や曲芸団サーカスの一座も来ていた。


 リュートやシターン、ヴィオール、トランペットやドラムの楽し気な音と兵たちの笑い声が聞こえてくる。


 ジュラールは頭を振ると気分転換に楽団の音楽でも聴こうと表に出た。


 深紫に金の装飾の入った鎧が音を立てる。


 恋人ユリアと数人の女性が音楽に合わせて踊っている―—舞踏会の正式なダンスではなく即興で身体を回転させる踊りだ。


 慰問団に加わってきたのは自分の恋人だけではない、他の騎士の許嫁や妻、家族なども来ている。


 新兵と彼女たちは大所帯だった。


 新兵と言っても若い男性だけでなく年かさの者も多い。


 このまま戦争を続ければ少年や老人、女性までも徴兵しなければならないのでないか―—ジュラールは改めて戦争を早く終わらせる必要があると強く感じた。


 道化が逆さ玉乗りを披露する。


 ユリアが揺らめく様に、泳ぐ様に舞い踊る。


 少女が三人、ユリアたちに合流しようと近づいた。


 その時ジュラールは信じられない光景を見た。


 ユリアが身に付けていた短剣を抜いて一緒に踊っていた女性に斬りつけたのだ。


 周りにいた人々は何が起きたのか分からなかった。


 斬られた女性は即死した。


 返り血を浴びた別の女性が悲鳴を上げる―—その声で兵たちが武器を取ってユリアを抑えようと駆け付けようとした。


 兵たちはユリアを傷つけずに取り押さえようとした―—倫理的には間違っていないが、相手の力を見誤った間違いだった。


 兵たちも死んだ女性と同じ運命をたどった。


 ジュラールは走る。


 逃げ遅れた少女に短剣が振りかざされた。


「ユリア!!」ジュラールの叫びが響き渡った。

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