慟哭する騎士
「ユリア!!」ジュラールは叫びながら咄嗟に投げナイフを抜いた。
ユリアと目が合う―—ユリアの目には何も映っていなかった。
ためらっている暇は無かった、ジュラールはナイフを投げる。
ユリアの胸にナイフは命中した。
短剣が手から落ちる―—少女に覆いかぶさるようにユリアは倒れ込んだ。
「ユリア―—」駆け寄ったジュラールは許嫁を抱きかかえる。
「ジュラール……私」ユリアは虫の息だった。
近くにいた兵が治癒術師を呼びに行く。
それまでもたない、ユリアは助からない、ジュラールは悟る。
「どうしてこんな――」
ユリアは唇を動かした―—何を言っているか分からない。
頭を傾け、ジュラールは必死に聞き取ろうとする。
「愛しているわ」それだけがはっきりと聞こえた。
ユリアの首が垂れた。
「……ユリア……!!」ジュラールは亡骸を抱き締める。
憲兵が駆け付けて来る。
「ジュラール卿、何が有ったのですか?」
「ユリアが乱心した。突然辺りの人間に斬りかかった」呆然とジュラールは答えた。
「調査が必要です。ユリア様の遺体をお渡し頂けますか」
「私が運ぶ。私も証人として呼ばれるのだろう」
―—ユリアの遺体を抱き抱えると、ジュラールは司令部の有る方へと歩き始める。
* * *
「カビ悪魔―—ゴルゴダシャドウ? それがユリアの身体から?」ユリアの検死にあたった
「ユリア様は操られていたのです。カビ悪魔は取り付いた人間に幻覚や妄想を引き起こし、周囲にいる者を襲わせる」
「聞いた事も無い悪魔だ―—そんなものがいるのか?」
「魔都マギスパイトで50年前に
「誰がそのカビ悪魔とやらをユリアに植え付けた?」
「それには私が答えよう、戦皇陛下付き近衛騎士ジュラール=ド=デュバル卿」天幕の入口に背の高い影がいた。
「神官戦士レドパイン殿、何故ここに」ジュラールは思わず苦い顔をした。
戦皇付き神官戦士―—ボーサント=レドパイン、エレオナアルに取り付く奸臣だ。
「陛下の名代だ―—陛下に代わって前線を指揮に来た」
レドパインは戦皇エレオナアルとパーティを組んで冒険に出かけていた成り上がりだ。
冒険者としての実力は確かだが剥き出しの権力志向と悪辣さで知られている。
「レドパイン殿は復活魔法を使えましたね」ジュラールは光明を見出した。
「ユリア殿を蘇らせて欲しい、そう言うのだな」
「礼は尽くします」
「金は要らない。蘇生が成功しようが失敗しようが私に一つ誓って欲しい」
「何でも誓います―—ユリアが蘇るなら」
レドパインは歪んだ笑みを浮かべた―—ジュラールはそれに気づくがユリアの生死の方がはるかに大事だった。
「死神の騎士アトゥームと軍師ラウル、それに裏切り者エルリックの首級を上げてもらう。皇国の勝利の為だ。どんな手を使ってでも、卿の命に代えてでもだ」
ジュラールは一瞬言葉に詰まった、しかし他に道は無い。
「分かりました。近衛騎士ジュラール=ド=デュバル、死神の騎士と軍師ラウル、エルリックの三人を如何なる手段を用いても、命を捨ててでも討ち取りましょう」
「良いだろう」レドパインはジュラールに宣誓させただけで大丈夫だろうと判断した。
蘇生魔法は日の出と共に唱えないといけない。それまで誰がカビ悪魔をユリア殿に植え付けたか考察しようではないか」
一瞬ジュラールはレドパインがユリアにカビ悪魔を植え付けたのではという思いに囚われた―—頭を軽く振って妄想を振り捨てる。
そこまでレドパインもエレオナアルも腐っているとは思えない―—思いたくなかった。
「カビ悪魔を研究していたのは魔都の魔術師だというのは聞いたな」
「ええ」
「秩序機構―—その残党がガルム帝国に逃げ延びたのは間違いない」
「帝国の一味がユリアにカビ悪魔を植え付けた、と?」
「一つの可能性としてはある。皇国に裏切り者がいたのかも知れないし、ユリア殿や卿に恨みを持つ者の仕業かも知れぬ。或いはその全てを兼ね備えた者かもしれない」
「推測に過ぎない―—犯人は目星もつかないという事ですね」
「ユリア殿を狙ったのでなければ、卿を除こうと考える者なのはほぼ確実だろう。目下、卿を最も疎ましく思うのは帝国軍のはずだ」
「帝国軍が疑わしいと?」
「可能性は高い―—ユリア殿を個人的に恨んでる者はいないのか?」
「ユリアは歯に衣着せずに物言いする娘でした。貴族だからと言って容赦する事も無かった。恨みを買っていないとは言い切れない」
「私から戦皇陛下に言上して調べてもらおう。―—明日は早い。今日の所はこれで失礼する」レドパインは身を翻した。
「私はもう少しユリアの元に居ます。カビ悪魔はユリアから取り除けたのか?」
「はい、ここに」ガラス瓶の中にキラキラ光るもつれた糸状の物体が有った。
「悪魔から誰がユリアに植え付けたか調べられるか?」
「無理ですね。ある程度の大きさになると知性を持つ様になるらしいのですが」
「つまり何も引き出せないと」
「はい」
ジュラールは腰に吊るした剣を抜くと、瓶ごとカビ悪魔を突き刺した。
瓶が砕け、貫かれた悪魔は甲高い悲鳴を上げて霧散する。
「ジュラール様はお休みにならないのですか?」
「私はここにいる。夕餉もこちらに持ってくるよう手配してくれ」
椅子に腰かけたジュラールは一睡もせずに翌朝を迎えた。
* * *
夜も徹して死んだ者たちの遺体を集める作業が行われた。
ユリアに殺された女性と兵たちの遺体だ。
レドパインは払暁から日が上りきるまでの間、連続して蘇生魔法を唱える―—魔晶石の力も借りてだ。
幸い蘇生不可の判定を下された者はいなかった。
全員で五人、順番はユリアが最後だ。
魔法陣を描き助手五人と共にレドパインは蘇生魔法の詠唱を始める。
最初は兵からだった、二人目が蘇ったが一人目と三人目は駄目だった。
ユリアに殺された女性も復活した。
いよいよユリアの番だった。
〝ヴアルス神よ、どうかユリアを―—〟ジュラールは思わず皇国の奉ずる神ヴアルスに祈った。
呪文の詠唱が終わる、ジュラールは息をつめてユリアを見つめた。
「駄目だ―—」レドパインから最悪の言葉が漏れた。
「デュバル卿。申し訳ない。ユリア殿を蘇らせる事は出来なかった」心痛のこもった声だった。
ジュラールは目の前が真っ暗になった様な感覚に襲われた。
息を呑み込み、ようやく言葉を発する。
「最善は尽くされたのでしょう―—貴方がいなければ、ユリアは魔法をかけられるチャンスも無く死んでいた―—」
レドパインは沈黙していた。
「ユリアの遺体に防腐魔法を。バシェラール家に訃報を届けてくれ。私が付いていながら、ユリアの死を防げず面目次第も無いと」
遺体に魔法をかける術士を見ながら、ジュラールは心にぽっかりと穴が開いたのを感じていた。
何もかもどうでも良い―—そんな気持ちだった。
しかし、それでも、自分は騎士だ、代々戦皇家に仕えてきたデュバル家の血を引く騎士だ。
それと同時に自己憐憫が襲ってくる。
恋人が死んだのに、涙一つ出ないのか―—自分は人としての心さえも捨ててしまったのか―—。
乾いた気持ちと均衡を欠いた心が不協和音を立てる。
ジュラールはユリアの遺体にキスすると、自分の天幕へと戻った。
天幕に戻り、剣を立てかけ、椅子に落ち着くと激しい怒りが襲ってきた。
「神よ、何故、ユリアを―—!」籠手を脱ぐと、地面に叩き付ける。
「私は! 私は―—」愛した女性一人助けられない不甲斐ない自分への怒りと、ユリアは死んだのだという思いに、朝の光の照らす中、ジュラールは声を上げずに慟哭した―—。
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