虐殺――死神の騎士の原風景

 アトゥーム――後に死神の騎士と呼ばれる事になる男の子は三歳になった。


 帝国ガルムと皇国グランサールの国境沿いの村はここ五年ほど戦禍には巻き込まれていなかった。


 凪――偽りの凪だった。


 戦に負けた帝国の軍勢が撤退の途上にあった村を掠奪し破壊し尽くす時は間近に迫っていたのだ。


「アトゥーム」珍しく素面の父親が声をかける。


 父子は家から村を眺めていた。


「父さま――」アトゥームは早熟な子供だった。


「お前の母さんはな」物心ついたアトゥームは何故母親が居ないのか父に尋ねたのだ。


 病に罹って死んだ――何度かそう言ったが、アトゥームは真にその意味を理解する事は出来なかった。


 父は子を構わなかった、無視していた――妻が死んだのはアトゥームのせいだったからだ。


 少なくとも父はそう思っていた――そして少なからず村人も。


 赤子だったアトゥームは村の教会で殆どの時間を過ごした。


 この時、村は帝国の支配下だった。


 五年前に皇国はこの村を失陥していたのだ。


 皇国唯一神ヴアルスを祀った教会はガルム建国皇帝にして神となった国父の神像を置いた神々の教会となっていた。


 教会の主は帝国の国教に改宗したヴアルスの元修道女だった。


 三歳になるまでアトゥームは彼女を母だと思っていた。


 修道女が母でないと知って、父に母は誰なのか聞いたのだ。


 村人はガルム人とグランサール人が半々だった。


 アトゥームの父もガルム人、亡くなった母はグランサール人だ。


 国境付近では珍しくもなかった。


 父親はアトゥームを教会に預けると今日の日課、村唯一の酒場で飲んだくれる事にした。


 そこで思いもかけない出会いがあるとも知らずに。


「ルドルフ、ルドルフ=オレステス。久しぶりだな」村人が野良仕事を終える前の酒場は閑散としていた。


「ヨハンか――お前まだ軍隊にいるのか」アトゥームの父は久しぶりに見た元戦友の姿に驚いた。


「ドジっちまってな。部隊は壊滅だ。俺だけ何とか逃げ延びてきた」隠そうとはしていたが軍人らしいキビキビとした口調だ。


軍師ウォーマスターガルディン親父も焼きが回ったか」


「そう言うな。あれで親父はちゃんとやってる。命令を受けた隊長がしくじった」


「それで、俺に何の用だ」


「落ち延びた仲間数人を助けて欲しい。明日の晩に村外れの廃墟で松明で合図してくれ」


「それは構わんが」


「じゃあ頼むぜ。余所者が長居しては疑われる」ヨハンは外套を纏うとそそくさと出ていく。


 アトゥームの父親ルドルフは致命的な間違いを犯していた。


 翌日夜――ルドルフは松明をもって廃墟に来ていた。


 古リルガミン時代の遺跡だ。


「ルドルフ――助かるぜ」ヨハンが辺りをきょろきょろと見渡しながら礼を言う。


 見知った顔が三人――落伍兵だ。


「教会まで案内する。ほとぼりを冷ましてから内地に帰ればいいさ。四人くらいなら暫く匿えるだろう」


「その必要は無い」突然暗がりから声がした。


 暗闇から重装備の兵隊たちがぞろぞろと出てきた。


 ざっと三百人と言った所か。


「ヨハン、これはどういう事だ」ルドルフの声にヨハンは辛そうな色を浮かべるだけだった。


「俺達を売ったのはこの村の連中だ」隊長と思しき板金鎧プレートメイルに身を包んだ男が傲岸に言い放つ。


「ここは帝国領だ」ルドルフは抗弁した。


「ああ。たった五年前からな」


「あんた達。何を考えている」


「お礼参りだ」


 ルドルフは身を翻して逃げようとした――その身を隊長の長剣が貫く。


「ぐっ――」心臓を刺し通されたルドルフは即死した。


「腐れ皇国に僅かでも関係した奴は腐れ皇国人だ。ガルディン親父なんかは国と人は違うと吠えるが何の違いも無い。皇国人は皆殺しにしなければならん」


「隊長。ルドルフは――」


「グランサール人の淫売を妻にしていたんだろう――裏切り者だ」


 ヨハンの制止も聞かず、隊長は命令する。


「今からオラドゥール村を襲撃する。猫一匹たりとも残すな。根切りにしろ! 」


 隊列を組んだ兵たちは手近な家の戸からぶち破った。


 女子供と見れば歳も確かめずに犯し、男は皆殺しだ。


 やがて家から火の手が上がった。


 方々から悲鳴が上がる――炎を背景に黒い影の様に兵たちは素早く駆け回った。


 皇国軍にやられた分を仕返しするかの様に容赦なくガルム帝国軍は村を蹂躙した。


 やがて捕虜が――生き残った村人たちだ――教会の前に集められた。


 修道女は村人たちに絶望を味合わせる為に皆の目の前で犯されていた。


「中に入れ! 中に入れぇ! 」兵たちは修道女もろとも村人を教会に押し込める。


 老若男女問わず教会に閉じ込められた村人は必死に神に祈っていた。


 教会に外から油が掛けられた。


 松明を持った兵士が本当にやるのかと視線で問うてくる。


「やれ!」隊長は怒鳴った。


 兵士たちは松明を投げた。


 教会が音を立てて燃え始める――何が起きたかを悟った村人たちの大声が聞こえてきた。


 火勢が強まり、悲鳴が響き渡る。


 内側から壁を叩く音も、悲鳴も、怒号も、猛る炎に吞まれ包まれた。


 帝国軍は生きたまま村人を教会に押し込めて焼き殺した。


 村は全滅した。


 その様子をアトゥームは全て見ていた。


 修道女に認識阻害の魔法を掛けられ、何が自分の身に起きているか分からぬまま、自分に愛情を注いでくれた人が、唯一安らぎを与えてくれた人が燃え死ぬのを大声で泣きながらただ呆然と見ていた。


〝死神の騎士〟アトゥームは目に焼き付いた悲鳴と共に燃える教会と村の光景を一生忘れる事は無かった。


 ――そして、この光景を原風景として、アトゥームの人生は展開していく――。

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