軍師ガルディンとその孫ラウル

 アトゥームの生地オラドゥール村は壊滅した。


 村は進出してきたグランサール皇国に併呑され、生き残った村人たちは焼けた教会をそのままに隣に新しい村を起こした。


 皇国から入植者が入り、村は栄え始めた。


 しかし、アトゥームにとって苦難の時は終わっていなかった。


 皇国の神官団は死の王ウールムを邪悪の第一神として滅ぼさねばならぬと声高に主張していたからだ。


 アトゥームの誕生時に死の王が現れた事は村人にとって公然の秘密だった。


 村の指導役として派遣された神官はアトゥームたち孤児を集めて教会で世話をした――噂は知っていたが、真正面からそれを確かめるほど愚かではなかった。


 神官はグランサール人の例にもれず皇国の教え、グランサール純血主義に染まっていた。


 皇国は全ての民族種族に序列をつけ、自分たちこそが世界を導くに相応しい民族だと声高に宣言している。


 法と秩序の守護神ヴアルスこそが世界を救済し、死の恐怖から人類を解放すると。


 村に来た神官はしかし、アトゥームを深く詰めて自らの手で殺す羽目にはなりたくなかった。


 自らの手を汚す覚悟は無かった。


 魔女狩人ウィッチハンターでも村に来させようかと思った事も有るが、彼等は皇国内の異端狩りに殆どが出払っていた。


 寺子屋を開いていた神官は子供をけしかけてアトゥームを害そうとした。


 ――殺すまでいかなくても、そう思っての事だ。


「死神の子。村から出てけ」子供たちはそうはやし立ててアトゥームに石を投げた。


 そのうち一つが頭に当たる。


 どっと喚声が上がった。


 倒れるかと思った子供たちの意に反して、アトゥームは踏みとどまった。


「……」泣き出しもせず、声も上げる事もなく、血を流したまま子供たちを睨み付ける。


 まるで女の子の様な白い肌を、血の赤が鮮やかに彩った。


 波打つ黒髪に隠れた黒い瞳が深い藍色に輝く――単に光が差し込んだだけなのだがそれは子供たちを怯えさせるには十分だった。


「死神が怒った――」子供たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。


 アトゥームは神官にも子供たちにも嫌われてることは分かっていたし、世界は冷たい場所だと思っていた事も有って、石を投げられた事にはそれほど衝撃は受けなかった。


 新たに建てられたヴアルス神の教会、その隣の孤児院に帰る途中、アトゥームは虐殺の生き残りの老婆に呼び止められた。


「お待ち、アトゥーム。あんた怪我してるじゃない」


 アトゥームは無言だった。


「こっちへおいで。治してあげるから」


 アトゥームは少し迷ったが、どのみち他に道は無いだろうと老婆の元へ行った。


 老婆はアトゥームを跪かせるとぶつぶつと何かを唱えだした。


 頭にかざされた老婆の手に光が宿る。


 光が吸い込まれ、怪我をした右の額より少し上、髪に隠れた傷口が塞がった。


「傷跡は残っちまうね。修道女様だったら跡も残らずに治せただろうけど。御免ね、こんな事しかできなくて」


 今まで何とも感じていなかったのに、アトゥームは急に涙が溢れてくるのを止められなくなった。


 こんな事なんかじゃない――僕にとっては――。


 老婆は子供の頭をそっと撫でた。


 アトゥームは人間扱いされた事に泣いた。


 同時に老婆に同情させた自分の弱さが赦せなかった。


 泣いているアトゥームを老婆はあやした。


「あんたの母さんも父さんも巡り合わせが悪かったね」老婆は水に濡らした布巾と水の入ったバケツを持ってきた。


「父さまと母さまはどうして死んだの?母さまは僕が殺したって本当なの?」


「分からないかも知れないけど、二人は愛し合ってた。あんたの父さんは戦争に疲れてこの村に辿り着いた」


 老婆は言葉を区切ると、アトゥームの頭にこびりついた血を拭き取り始めた。


「人の死を見る事に耐えられなくなったんだ。病に罹った妻が出産に耐え切れずに亡くなると思ったのさ。愛していたから、失うことが耐え難かった。妻を奪った訳では無いと知っていたけど、お前を見ると妻を思い出して辛かったんだろうさ」


 頭を拭き終わった老婆は血で固まった髪を洗い始める。


「お前の咎じゃない。全ては運命の女神の悪戯さ。その上におられる全知全能の神の思し召し」


「神って、ヴアルスのこと?」


「そんなちっぽけな神じゃないよ。一つの国に肩入れするようなことはなさらない、あらゆるものをお創りになられた偉大な御方」


 大きな血の塊を布巾で包んで老婆は砕いた。


「死や憎悪といった暗黒の神々をも赦す御方。如何なる暴力にも傷つかず、何者も敵とせず、全てを祝福し、あるべき姿に還してくれる御方」老婆の目には何かが見えている、そんな風にアトゥームは思った。


「あんたの父さんも母さんもその方の元に還ったの。死の王の手引きを経てね」


 老婆はもう一つ用意していた乾いた布巾でアトゥームの髪を拭いた。


 布巾に赤色が付く。


「あんたは皆の咎を背負うんじゃないよ。人間にそんな事は出来ないんだから」


「よく分からないよ。父さまも母さまも僕を愛していた事はなんとなく分かったけど」


「それだけ分かれば十分だよ」老婆は微笑んだ。


「よし! アトゥーム=オレステス。貴方に神の祝福が有ります様に」老婆は軽くアトゥームの背を叩いた。


 アトゥームは礼を言うと、家路についた。


 孤児院になっている物置同然の掘っ立て小屋の前に人だかりが有った。


 遠巻きに声が聞こえてくる。


「だから、アトゥームは――」


「いるのでしょう。儂の部下がしでかした事件の生き残りが」


 孤児たちがひそひそ話をしながらアトゥームを見る、入植者と一緒に入ってきた孤児だ、虐殺を生き残った孤児はアトゥームしかいなかった。


「引き渡せないと言うならこちらにも考えが」平均的な大人より少し高い程度の髭を生やした老人が幼い子供と一緒に立っていた、今にも神官に掴みかかりそうな勢いだった。


「そうは言っておりませぬ。ただ、皇国の赤子を戦皇陛下の許しも無く渡す事は許されない事なのです」神官はアトゥームを見かけるとこちらに来るなという素振りをした。


 それで老人はアトゥームに気付いた。


「君、君がアトゥーム=オレステスだな」老人は旧知の友に会ったかのように破顔した。


「聞けば彼はもう七歳だと。リジナス陛下の許しは得ています。後は彼に決めさせるべきではないかな」


 老人は杖を振った。


 人間の四分の一ほどの大きさの透明な翼を持った細身の女性が現われた。


 金色の光粉を振りまいて老人の杖先にとまる。


「アトゥーム、君さえ良ければ儂の元に来ないか? 今見た風妖精シルフィードを呼ぶ呪文だけじゃなくもっといろんな魔法や様々な事を教えてあげるぞ」


 神官は苦虫を嚙み潰したような顔になった。


 選ぶまでも無い事だった。


 孤児院での生活にうんざりしていたアトゥームには正に天からの導きだった。


「どうする?アトゥーム君」


「貴方と共に暮らす事を選びます――あんな所には戻りたくない。ガルディンさん、よろしくお願いします。」アトゥームは宣言した。


「ガルディンおじいちゃん。僕の言ったとおりでしょ。お兄ちゃんは家族になってくれるって」四歳ほどに見える金髪に青い瞳の子供が笑顔で言う。


 見れば子供も杖を持っていた。


 旅に使うにしては装飾が細かい。


「よろしく。アトゥームお兄ちゃん。僕はラウル。ラウル=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツ」人懐っこそうに子供が頭を下げた。


「紹介が遅れたね、儂はガルディン=ヴェルナー=ワレンブルグ=クラウゼヴィッツ。これからよろしくな。アトゥーム」老人も一礼した。


 アトゥームは七年と少し生きてきてようやく家族と呼べる人たちに出会った。


 これからの十年が死神の騎士にとって最も幸せな時期になったのだった。

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